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皆が暇なとき忙しく、皆が忙しいとき暇を選ぶ

今日はGW最終日。

僕は子どもを見るためにほとんど家にいたのだが、少し外出しただけで、路肩に停まっている引っ越し業者の車両を数台見た。

ああ、このGWに引っ越しをした人が日本に何百人、いや何千人いるんだろうと思った。

GW中は、引っ越しの依頼が多かっただろうから、この人手不足の中で、引っ越し業者は必死で人をかき集めて何とか乗り切ったのではないかと推測する。

引っ越し依頼者の立場に立つと、皆と同じタイミングで、同じ行動を起こそうとするのは非効率だ。

予約もかなり前に入れないと埋まっているだろうし、引っ越し業者が忙しいので、依頼者の要望は比較的通りづらいだろう。

それでも勤めていれば基本的に、引っ越しにせよ、旅行にせよ、帰省にせよ、ほとんどのタイミングは大衆と被ってしまうものだ。

これは、僕自身が勤めていたときもそうだったが、勤め人の宿命といってもいいだろう。

一方で、短期にせよ、長期にせよ、休暇を自分で決めて、自分でとれる人もいる。

一例を挙げれば、ビジネスオーナーや個人事業主がそれに当たると思う。

自分がそれをやってて思うのはやっぱり楽だ。

旅行にしろ、引っ越しにしろ、皆とタイミングをずらしたほうが融通が利く。

旅行を例に挙げると、平日を休みにすれば、空いてるから快適に過ごせたり、料金も休日より安かったりする。

混んでいるところを敬遠するタイプの自分としては最高だ。

一方で、もちろんそういった生き方は自己責任だ。

責任も自由を大きい生き方だからだ。

僕は現在生まれたばかりの子供を見るため、ほぼ家にいるが、会社役員は、雇用保険には入れないから当然育児休業給付金もない。

だから変わらず会社の役員報酬のみが収入だし、別に誰に休みを与えられているわけでもないので、家にいながら仕事したり、自分が行けない部分は家族に任せるなどして、事業をやりくりしている。

だから結局はどっちの生き方を選ぶかなのだ。

責任も自由も大きい生き方か。責任も自由も小さい生き方か。

それらは両輪で成り立っているので、責任だけが大きいとか、自由だけが大きいというのは、原理的にあり得ないのだ。

皆が暇なときでも、僕は会社の状況次第で忙しくしている。

逆に、皆が忙しいときに、僕は暇になることを選ぶことができる。

皆が忙しいとき暇をできて、皆が暇なとき忙しくしている。

そんな生き方は僕に合っているなと思う。

今日はそんな話でした。ではまた。

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