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#41 クラブ「哀」編(3)

「ちょっと、あんたたち、お客様に失礼なことはしていないわよね?」
「大丈夫ですよ」と諭が答えた。
「あ、彩乃、俺が来たんだから、諭は帰してもいいよな?」
「え~、帰っちゃうの?」
「オーナーは、何してたんですか?」
「私?お酒を飲んでたわよ」
「そうなんですね。じゃあ、俺も付き合いますよ」
彩世が諭の肩を掴む。
「ダメだ。その女、酒は底なしだから」
「あら?別にお酒は飲めなくてもいいのよ。ほら、行きましょう」
彩乃が諭の腕を引っ張る。
「彩世。店終わるまで待ってるからアフターは行くなよ?」と諭は去り際に彩世に声をかけた。
諭は、彩乃についていくと、人気の少ないフロアの奥に入っていく。VIPと書かれたドアを彩乃が開けて、諭を中に通した。
部屋の中は、テレビとカラオケ、テーブルとソファが置かれていた。
「適当に座って」と彩乃が言った。
諭は、ドアに近いソファに腰をかけた。彩乃がふふっと笑った。
「なんか、警戒しているの?」と彩乃が言った。
「いえ、お酒をすぐに持って来られるようにドアに近い方が良いかと」
「それなら、他の人に持ってきて貰うから大丈夫よ」
彩乃は近くにあったベルを押した。すると、ドアが開き、黒いスーツを着た男が入ってきた。
「ウイスキーと水を持ってきて。諭は何にする?」
「俺も同じもので良いですよ」
「じゃあ、グラス2つで」
「かしこまりました」と男が言い、ドアを閉めて去っていった。
部屋の中は、店内で流れるBGMが響いている。
「オーナー」と諭が言うと、「彩乃で良いわよ」と彩乃が言った。
「…それにしても」と彩乃が言い、諭の頬を撫でた。
「本当に綺麗な顔をしているわね」
「よく言われます」と諭が笑顔で返した。
「その顔で彩世も誑かされたのかしらね」
「ひどいですね。誑かしていないですよ」
諭は頬に触れる彩乃の手を握った。
「あなたは、そのつもりかもしれないけど、私からするとそうなの。あの子、全然、仕事に身が入ってないのよ」
「元から、そうだったんじゃないですか?」
「昔からムラがあったのは事実だけど、最近は特にひどいのよ。何でかな?と思っていた矢先にあなたが来たから、すぐに分かったわよ」
彩乃はポーチから煙草を取り出した。諭がライターで火をつけようとするのを彩乃は制して、自分のライターで火をつけた。
「それは俺のせいですか?単に彩世がホストという仕事に興味を持てなくなっているだけでは?」
「そうかもしれないけど、あなたが変わるきっかけを作ったのは事実だわ」
彩乃は、煙草の煙を諭に向けて吐き出し、煙草を灰皿に押し付けた。
「…別に俺と会わずとも、人なんて変わる時は変わりますよ」
彩乃は、ポーチから果物ナイフを取り出して、キャップを取り、刃を諭の頬に向けた。
「その美しい顔の皮を剥いだら、彩世もあきらめてくれるかしら」
諭は彩乃を見て、微笑んだ。
「試してみたらどうです?」
彩乃は、果物ナイフの刃を諭の頬に押し当てた。諭は顔色を変えない。しばらくして、彩乃は果物ナイフを諭の頬から外してテーブルの上に置いた。カシャンと軽い音が部屋に鳴り響く。
「いやな男…でも」
彩乃は立ち上がって、諭の膝の上に座った。
「その度胸は気に入ったわ」
「どうしたら認めてもらえますか?」
「ふふっ…認めるかどうかですって?あなたは私に認めて貰わなくても構わないんでしょう?」
彩乃がそう言うと、諭は、笑みを深めた。
「あなたは騙せそうにないな…。俺自身はそう思っています。でも…彩世にとってあなたは親だから今後のことを考えると認めて貰った方がいいかなと」
「そんなに彩世が気に入って?」
「ええ。愛してますよ」
「だったら、彩世が仕事に注力できるように協力してちょうだい」
「あいつが望むなら、そうしますよ」
その時、ノックする音がしてドアが開き、男がトレイにウイスキーの瓶とミネラルウォーター、氷、グラスを載せて持ってきた。諭がグラスに氷を入れて、ウイスキーとミネラルウォーターを入れてマドラーでかき混ぜる。
「どうぞ」
諭は、彩乃の前にあるコースターの上にグラスを置いた。
「ありがとう」
彩乃がグラスを取ると、諭もグラスを持ち、彩乃のグラスに軽くあてた。彩乃が飲んだ後、諭も少し飲んだ。
「ふふ…何も入っていないわよ」
「そんなこと思っていないですよ」
「そう」
「彩乃さんは、彩世がホストを続けることを望んでいるんですか?」
「そうね。一番の稼ぎ頭だからね」
彩乃はグラスを傾けながら答えた。
「…それは、他の人が稼げれば、彩世でなくても良いってことですよね?」
「そうは言っていないわよ?私は経営者だから、お店の売上と利益を上げるのが仕事」
彩乃は、諭をじっと見つめた。
「あなたも売れそうね?」
諭は、軽く笑った。
「俺は、医者なので、ホストはできませんよ。それに顔だけじゃ、売れませんよ」
「あら?私は、顔だけで評価していないわよ?夢幻のところのお客様にボトル開けさせたの、あなたでしょ?」
「…見ていたんですか?」
「あれだけ、人が集まっていれば、見に行くわ。新人がボトルを入れるなんて、ないですからね。一体、どんな手を使ったの?」
諭は、持っていたグラスをテーブルに置いて立ち上がり、口元に人差し指を立てた。
「企業秘密ですよ。では、これで失礼しますね」
諭は、ドアを開けて、部屋から出ていった。
彩乃は、持っていたウイスキーの水割りを少し飲み、「本当にいやな男」と呟いた。

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