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#22 一寸先は闇(3)

 知多は携帯が鳴る音で目を覚ました。携帯を手に取って、画面を見ると『高木剛』と表示されていた。
「…もしもし」
電話からは外の風の音は聞こえるものの、声は聞こえなかった。代わりにすすりなく音が聞こえる。
「どうしたの?」
「夜遅くにごめん………ちょっと……彩世さんと喧嘩しちゃって、そのまま飛び出してきちゃったんだ。家に帰るにも距離があるから、知多の家に泊めてもらえないかと思って。」
「今、どこなの?」
「彩世さんのマンションの前」
「わかった。タクシーで行くから少し待ってて」
「…知多、電話、切らないでくれる?」
「うん。わかった」
知多は近くにあった服に着替えて部屋を出て、大通りに向かい、タクシーを拾って運転手に行き先を伝えた。
「剛、もう少しで着くから」
「うん。夜遅くに本当にごめん…」
「いいよ」
知多は目的地に着くと、運転手にすぐ戻ると伝えて、剛の元へ向かった。マンションの入り口でしゃがんでいるシルエットが見え、剛だとわかった。
「剛」と知多が携帯を切って、声を掛ける。
剛は知多に駆け寄り、そのまま抱きついた。
「タクシーを待たせているから早く帰ろう」と知多が言い、剛の手をひいた。
剛は知多に導かれるままに後をついていき、タクシーに乗り込んだ。
「…タクシー代、後で払うから」
「いいよ」
「…兄さんって、家にいる?」
「今日はまだ帰ってきてない。夜勤かも」
「そっか。知多、悪いんだけど、今日のこと、兄さんには言わないで欲しいんだ。…心配かけたくないし」
「わかった」
その後、知多と剛はタクシーに乗り、車窓を流れる景色を眺めていた。剛は知多が色々と聞いてこないことに感謝した。元々、知多はこちらが話をしない限りは深く聞いてくることがないことを剛は知っていたので、頼みやすかった。タクシーが知多の家に到着し、知多は運転手にお金を払い、部屋まで向かう。剛は黙って知多の後に続いた。
「諭さんは帰ってきてないみたい。上がって」
「…お邪魔します」
知多は剛をリビングの椅子を勧め、剛は椅子に座った。
「なんか、飲む?」
「コーヒー」
「眠れなくなるわよ」
「…眠れそうにない」
知多は剛の前にマグカップを置いた。マグカップにはコーヒーじゃなくミルクが入っていた。
「ホットミルク。飲んだら少し気持ちが落ち着くんじゃないかと思って」
「ありがとう」
剛はマグカップをじっと見つめて、両手でマグカップを持ちホットミルクを少し飲んだ。
知多は剛の向かいの椅子に座った。知多は剛の首に赤い痕があることに気づいた。
「それ、彩世さんにつけられたの?」
「…え?」
知多は自分の左手で自分の首を指し示した。
「この辺りに赤い痕がついてる」
剛は洗面所に向かい、鏡で自分の体を確認した。
首につけられた覚えはないものの、首の左側に赤い痕がついていた。剛はTシャツを脱いで、鏡を見た。胸にも赤い痕が散っており、遠くから見ると赤い花びらのように見えた。
「それ…全部、彩世さんに?」
すぐ後ろに知多がいて、剛は咄嗟にTシャツで上半身を隠した。
「ごめん。見るつもりなかったんだけど、気になって…。彩世さん…そんなことをするような人に思えないんだけど」
「俺も…俺もそう思ってた。今でも信じられない」
知多は剛の手からTシャツを取り、剛の頭に被せようとした。剛はかがんで、知多に頭を差し出し、Tシャツを着る。剛は彩世に襲われた時のことを思い出し、その場でしゃがみこんだ。知多は剛を包み込むようにして、軽く抱きしめた。知多は剛の手が小刻みに震えていることに気づき、右手を剛の手に添えた。剛は右手を知多の背中に回した。
「……彩世さんじゃないみたいで、怖かった」
「うん」
剛は知多のやわらかな感触とぬくもりで少しずつ、気持ちが落ち着いていくのを感じた。しばらくして剛は知多から離れた。
「ありがとう。もう大丈夫」
「眠れそう?」
「うん」
「そう。たぶん、今日、諭さんは帰ってこないと思うから、諭さんの部屋を使って」
知多は剛を諭の部屋に案内した。
「おやすみ」と言い、知多が部屋を出ようとする。
剛は咄嗟に知多の手を掴んだ。知多が振り返る。
「…え…っと。…ごめん」
剛は知多の手を離した。
「剛が眠るまで、ここに居るわ」と知多が言った。剛は顔を上げて、知多を見た。
「いいのか?」
「うん」
剛は諭のベッドで横になり、知多はベッドの脇に座った。剛は仰向けになり目を閉じたが、全く眠れそうになかった。知多がそれを察したのか、剛の手を握ってくれた。剛は知多がかつて実の兄に性的虐待を受けていたことを思い出した。自分が近しい立場の人に半ば強制的に性的な暴力を受けたことがなかったので、知多の立場を理解できていなかったと思った。そして、友達だけど、他人の俺と密室で二人きりでいるのは知多にとって苦痛じゃないのかと思い至った。
「知多…ごめん。お前の立場を何も考えてなかった。お前も…俺と二人きりは嫌だろ。部屋に戻っていいから」
「大丈夫。剛が今日、遭ったことの辛さは私も分かるから。私のことは気にしないで、ゆっくり寝て」
「ありがとう。知多は優しいな」
剛は目を閉じ、時折、知多の手を握り、その感触を確かめながら、眠りに落ちた。

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