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#34 夢幻のお願い

 彩世はクラブ「哀」のスタッフルームでメールを打っていた。
「彩世さん、まだ居たんですね」
夢幻がスタッフルームに入ってきた。彩世は夢幻の方を見た。
「今日はなんか用事ありますか?」
「特にないな。何で?」
「じゃあ、飲みに行きませんか?」
「お前の驕りならな」
「彩世さんの方が稼いでるじゃないですか~」
「誘ったのはお前だろ?」
「確かにそうですけど…わかりました。俺が出しますから行きましょう」
「このメール打ち終わったらな。ただ、俺、金曜まで出勤だから早く帰るぞ」
彩世は再び携帯でメールを打ち始める。
「そういや、昨日、仕事を早退したって聞いたんですけど、なんかあったんですか?」
「いや、何もないよ」
「仕事に来ないことはあっても、途中で早退することなんてなかったじゃないですか。剛ですか?」
「剛じゃない」
「え?じゃあ誰ですか?お客?」
「お前が知らない人だよ」
「え~めっちゃ気になるんですけど」
「後で教えてやるよ」
「わかりました。ここで待ってますね」
夢幻は彩世の傍のソファに座った。彩世は女の子たちにメールを一通り打ち終わった。
「悪い。待たせたな。行こうか」
「どこに行きます?」
「お前の好きなところで構わないよ」
「わかりました。じゃあ、ついてきてください」
夢幻は微笑んで、彩世の先を歩いた。彩世は夢幻の後をついていく。夢幻はカラオケ館に入っていった。彩世は躊躇いながらも夢幻に続いて入っていく。二人は受付を済ませて、エレベータに乗った。
「お前が飲みに行くって言ったからついてきたんだけど」
「大丈夫です。歌いませんから。二人でゆっくりと話したかっただけなんで」
「そんなに深刻な話なのか?」
「いえ、静かなところが良かっただけです」
彩世と夢幻はカラオケボックスに入った。しばらくすると、店員がワインボトルとワイングラスを2つ持ってきた。夢幻がボトルを開け、2つのグラスにワインを注ぎ、一つを彩世に渡した。
「ありがと」
「乾杯~」
夢幻が彩世のグラスに自分のグラスを合わせ、ワイングラスを傾け、そのまま一気に飲み干した。
「ぶっ倒れても俺は送ってやらないからな」
「これぐらいじゃあ、酔わないですよ。俺が強いの、知ってるじゃないですか」
夢幻の言葉に彩世は笑った。
「こないだ、大阪で倒れたじゃないか」
「あれは、本当にテキーラとの相性が悪かっただけですから」
夢幻は、ワインボトルを傾けて彩世と自分のワイングラスに注いだ。彩世は、ワインを少し飲み、スーツのポケットから煙草とライターを取り出した。夢幻が彩世からライターを奪い、ライターで火を付けた。彩世は煙草を咥え、火に煙草を潜らせた。煙を吸い込み、煙草を手で挟む。
「…俺になんか話があるんじゃないのか?」
「流石、彩世さん、察しが良いですね」
「お前が用もないのに俺を飲みに誘わないだろ?」
「そんなことないですよ」
「なんだ?りゅうか?」
「りゅうさんに目を付けられることはないですよ。俺はNo.1に興味はないので」
「じゃあ、なんだ?」
「こないだ大阪に行った時に剛の友達と会いましたよね?」
「会ったな」
「長い髪の綺麗な子がいたじゃないですか?」
「知多ちゃんのこと?」
「そうです。あの子のことが気になって…もう一回会いたいんですよね。彩世さん、知り合いならひき合わせてくれませんか?」
「やめとけよ。知多ちゃんは付き合っている奴いるからな」
「彼氏がいても構わないですよ」
「俺からは詳しく話せないけど、あの子は止めておいた方がいいぞ」
「闇がある感じはしましたよ。逆にそういう子だから気になったんですけどね」
「そう。剛の方が仲良いから剛に頼めば?」
「剛は会わせてくれないと思ったんで」
「まぁ、そうだろうな。分かった。知多ちゃんが断る可能性もあるから、その時は、お前にそのまま言うからな」
「その言い方だと断られる前提に聞こえるんですけど」
「俺らと会う理由がないだろ?そもそも、他にも色んな女に会う機会があるのに何で知多ちゃんなんだ?」
「俺が持ってないものを持ってるからですかね~?」
「闇ってこと?」
「いやいや、それは俺も持ってますよ。そうじゃなくて、純粋な心ですよ」
「へぇ、そんなものが欲しいんだ」
「お金じゃ買えないですから」
「確かにな。でも、人の心ほど不確かなものはないって、お前も分かってるだろ」
「分かってますよ。でも、あの子は擦れてない感じでしょ?そういう子に一瞬でも想われてみたいんですよ」
「ふぅん。そんなものを手に入れたいんだ。面白いな」
「手に入れるっていう表現は、そぐわない気がしますね。そういう感じを受け取ると言うのが正しいかなと」
「お前が、そう思えば、それで済む話じゃないの?知多ちゃんは、お前を想ってくれてるよ」
「…彩世さん、なんか機嫌悪いですか?」
「別に…七連勤の一日目にお前に捕まったのを後悔してる」
「ひどいなぁ…そういえば、昨日の早退の理由を教えてくださいよ」
彩世は、煙草を吸って煙を吐いた。
「…そうだな。他の奴に言わないでくれるか?」
「言わないですよ。俺、他に仲のいい奴いないですから」
「ちょっとトラブって早く帰らなきゃならなくなった」
「彩世さんでもトラブルことがあるんですね」
「あるよ」
「どんなトラブルだったんですか?」
「付き合っている人から電話が掛かってきて、会いたいって」
夢幻は、口笛を吹いた。
「トラブルっていうか、惚気じゃないですか?彩世さんの頭、お花畑になってません?」
「う~ん…のぼせているのかもな」
「なんか、彩世さんらしくないですね」
「俺らしくないって、どういう意味だ?」
「主導権を相手に握られてる感じがしますよ。いつもの彩世さんなら『仕事中だから後でな』って言って電話を切りそうですよね」
彩世は、ふっと笑い、「確かにな」と言った。
「でも、楽しそうですよね」
「そう見えるか?」
「ええ」
「俺の予想を軽く超えてきてホントに読めない」
「そうなんですね。俺の知っている人ですか?」
「剛のお兄さん」
「え?そうなんですか。それは…びっくりです」
「正直言うと俺も自分自身で驚いてる」
「その人は元々、男性が恋愛対象ですか?」
「うん…そうだな。あ、こないだ、アフターでゲイバーに行った時に俺がカウンターで話していた人だよ」
「あ、あの人ですか?綺麗な人ですね」
夢幻はワインを飲んだ。
「彩世さん、男と付き合うのは初めてですか?」
「ああ」
「男同士で付き合うのは、なかなか難しいですよ」
「お前…男と付き合ったことあるのか?」
「ありますよ。何度か」
「お前の場合、てっきりパフォーマンスなのかと思った。じゃあ、ゲイなのか?」
「俺はバイですね。好きになれば、男も女も関係ないので」
「男の方が女と付き合うより楽じゃないのか?」
「ゲイとかバイってことをカミングアウトしている人の方が圧倒的に少ないので、一般的には難しいんじゃないですか。まぁ、歌舞伎町は別ですけどね」
「確かに街中で手を繋いで歩いているのは、見ないよな」
「それだけじゃないですよ。彩世さんも男だから分かると思いますけど、浮気してしまうとか…」
「お前はしたことあるのか?」
「俺の場合はこの職業柄、お客さんを繋ぐためにやることもあるじゃないですか?そうすると、相手からすると自分が本命なのか遊ばれているのか、分からなくなるみたいで結局、揉めてダメになりましたね」
「それは男も女も同じだと思うけどな。相手が浮気することもあるだろうし」
「そんなことを気にしていたら、付き合っていられないですよ」
「どういう意味?」
「疑いだしたら、キリがないと思うんですよね。なので、自分が相手を好きという気持ちが大事だと俺は思いますよ。ただ、俺の考えなので、彩世さんに合うかはわかりませんが」
「今までは相手の気持ちなんて、気にしたことなかったんだけど、それは、その相手に興味が無かったんだなと今なら思うな」
「それで今は、どんな感じなんですか?」
「…うまくいってるんじゃないか、とは思うんだけど。因みに男同士の恋愛って、セックス以外にも何かしたりするのか?」
「う~ん…相手次第な気がしますけど。共通の趣味があるなら、一緒に出掛けたりとかしません?」
「一緒に出掛けたこともないし、何が好きなのかも、よく分からないんだよな」
「付き合い始めたばかりですよね?徐々に分かってくるんじゃないですか?」
「だといいけどな。じゃあ、俺、そろそろ帰るよ」
彩世は、煙草を灰皿に押し当てて、席を立った。
「え?もうですか?」
「あと6日も仕事があるからな。じゃ、またな」
「さっきの件、頼みましたからね」
彩世は微笑みながら、手を振って出て行った。

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