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#4 揺れる心

眩しい太陽の日差しを感じ、彩世は目を覚ました。窓から差し込む光で部屋は既に明るかった。自分の腕の中で剛が眠っているのが見える。彩世は、剛を起こさないように、そっとベッドから降りてテーブルの上に置いてあったタバコとライターを手に取った。タバコに火を付けようとした時に、灰皿がないことに気づき、禁煙ルームだったことを思い出す。そのまま、タバコとライターを机に置いて、ガウンを脱ぎ、シャツとレザーパンツに着替えた。テーブルからタバコとライターを取り、部屋を出る。喫煙ルームは2階にあるため、エレベータに乗って、下に降りた。エレベータを降りた目の前に自販機があり、その横にガラス張りの部屋があった。部屋の中に数人の人が居る。彩世は、その部屋に入った。タバコケースからタバコを取り出し、ライターで火を付けて、煙を吸い込んだ。
『お前は必ず、俺を好きになる』
諭の放った言葉を思い出し、脳裏からかき消した。一昨日、諭に何故、あんなことを言ってしまったのかと後悔した。剛に対して満足しているのであれば、無条件で俺を愛してくれる関係があるのかを知りたいなんて、言うハズがなく、あの言葉を言ったことで、関係性が完全でないことを知られてしまった。また、それを諭に言うことで、その相手として諭を望んだと、諭に思われても仕方なかった。諭は、その綻びを感じ取り、執拗に誘ってきている。ただ、それが単なる駆け引きなのか、本気なのかが、全く掴めなかった。剛と一緒に過ごしているのに、諭のことばかりが浮かんでくる自分が嫌になった。
彩世は、口に咥えてたタバコの灰を灰皿受けで払って、タバコを吸った。剛とのやり取りを思い出す。彩世がスキンシップを求めると、口では拒否を示すものの、体では拒絶されたことは無かった。彩世の行動に対し、
剛は剛なりに愛情を返してくれる。自分のような男には、それで充分なはずだと思った。それなのに、心の奥底では、それ以上のことを望んでいる自分に気づく。自分の欲深さに呆れてしまう。
 彩世は、タバコを灰皿受けに入れて、喫煙ルームを出た。エレベータに乗って、剛の寝ている部屋に向かった。部屋のドアを開けると、剛が走りながら、バスルームのドアを開けているところだった。彩世は、その姿を見て、剛があの時の出来事に囚われていることを感じた。彩世は、剛に表情を悟られないようにして、声をかけた。
「どうしたんだ?」
剛は彩世の顔を見た途端、安堵の表情を浮かべ、「何でもないです。」と答えた。
「…そうか。もう十時前だけど、どうする?朝ごはん食べるなら、ルームサービス頼むけど」
「今日はお昼前に兄さんに会うので、俺、もう帰りますね」
「わかった。じゃあ、お兄様の家まで送っていってやるよ」
「えっ!良いんですか?ありがとうございます」
「じゃあ、早く着替えて来いよ。ロビーで待ってる」
彩世はそう言うと、服の入ったショップバッグを手に提げて部屋を出ていった。剛も彩世の後を追うように急いで服を着替え、学生カバンを持って、ロビーに向かった。ロビーに着くと、ソファに彩世は座っていた。
「お待たせしました」
剛は彩世に駆け寄った。彩世は剛を見上げて立ち上がり、「じゃあ、行くか」と言って、ホテルの外に出た。剛が追いかけると彩世が振り返った。
「そこに居て」
彩世が指し示した場所で剛が止まったことを確認すると、彩世は、駐車場に向かっていった。剛は携帯をポケットから取り出し、『これから、そちらに向かいます。十二時前には着くと思います。』と諭にメールを打った。数秒後、諭から『了解。』と返信があった。ホテルの入り口に紫色のコルベットが停まり、剛は助手席に乗り込んだ。剛はカーナビを諭の家にセットし、彩世はコルベットを発信させた。三十分後、カーナビに従って、諭の家の前に到着した。
「彩世さん、送ってくれてありがとう」
「ああ、またな」
剛が助手席から降りたのを確認し、車を発進させようとすると、サイドウィンドウをコンコンと叩かれた。彩世がサイドウィンドウを見ると、髪色が少し茶色がかった長髪の男の姿が見えた。彩世はサイドウィンドウを少し開けた。
「悪かったな。弟を送ってもらって」
「いや、俺が付き合わせたんで」と彩世は満面の笑みを諭に向けて答えた。
「もし時間があるなら、一緒にご飯でもどうだ?」
諭の思いもよらぬ、誘いに彩世は、一瞬、心がざわつくのを感じた。
「…家族水入らずのところ、邪魔するのも悪いし。」と変わらずの笑顔で答えた。
「彩世さん、兄さんのご飯は美味しいから食べていってよ。ずっと、俺ばかり奢ってもらって悪いし」と剛が言った。
「ほら。剛もああ言っているし」
「じゃあ、せっかくだから、ご馳走になろうかな」
彩世はサイドウィンドウを閉めて、近くのコインパーキングに停めて、車を降りた。彩世は諭からの冷ややかな目線を笑顔で受け止めた。彩世は蛇に睨まれた蛙の気持ちになりながら、諭の後をついていく。諭の家に入ると、シャギーの入った長い髪をした女の子がキッチンでカレーをよそっているのが見えた。
「知多ちゃん、久しぶりだね」と彩世はすかさず、声をかける。
「…お久しぶりです」と知多は表情を和らげて答えた。
「知多。俺も手伝うよ」と剛が言い、お皿にご飯をよそって知多に渡す。
「美味しそうだな。スープカレー?なんか、本格的だな」と彩世は言った。
テーブルを見ると、サラダやスプーン、お茶が4つ置いてあった。事前に彩世が来ることを知っていたようである。
「洗面所で手を洗ってこいよ」と諭が彩世に言う。
「はいはい」と彩世は言い、洗面所に向かった。手を洗い終わり、タオルで手を拭き洗面所の鏡を見ると、鏡越しに諭と目が合った。
「こないだは悪かったな。結局、全然、話は出来なかったな」
「お酒が弱いなら飲まなきゃいいのに」と彩世は後ろを振り返って答えた。
「普段はあの量じゃ酔わないんだけど。緊張していたのかもしれないな」
「全然、緊張しているようには見えなかったけど?」
彩世が答えた後、しばらくお互いに沈黙となり、その沈黙を破るように諭が口を開いた。
「…やっぱり、剛が好きなのか?」
「見ての通りだと思うけど。なんで?」
「俺は、お前のことを認めていない訳じゃない。ただ、剛と一緒に居て欲しくないだけだ。…俺じゃ力不足か?」
諭の言葉に彩世は笑った。
「あんたは、十分に魅力的だ。自分が一番分かっているだろ?」
「じゃあ、どうして?」
「剛が好きだからだ」
諭は彩世を見据えて、話を続ける。
「そうか。それじゃあ仕方がないな」
「諦めた感じに全く見えないんだけど」
「人の気持ちなんて、分からないだろ。お前が俺を好きになる可能性がゼロじゃないからな。ところで、…あの日の夜、お前に何かしたか?」
「特に何もないよ。あんたは、俺のジャケットを脱がしながら寝てたよ」
「そうか。悪かったな」
その時、リビングの方から剛が彩世と諭を呼ぶ声がした。二人はリビングへ移動した。テーブルは4人掛けとなっており、スープカレーとサラダ、みかんゼリーとお茶が並んでいる。彩世は促されるまま、剛の横に座った。彩世の目の前に知多が座り、その隣に諭が座った。
「じゃあ、いただきます」と剛が言い、剛、諭、知多はその後に手を合わせたので、彩世も皆に合わせて、手を合わせた。ホストの仲間内でご飯を食べることはあるものの、お酒がある食事が日常だったので、お酒のグラスを合わせて乾杯するのが、食事の始まりの挨拶だったことに気づいた。こういった食卓を囲むのが、いつぶりなのか、彩世は思い出せなかった。
「どうした?食べないのか?」と諭が彩世に声をかけた。
「悪い。こうした食事が久しぶりで…」と言ってスープカレーを口に運んだ。
「うまいな」
「ですよね~」と剛が言う。
諭は笑いながら、「こんなもので良ければ、いつでも作ってやるよ」と言った。
「剛、俺は1時には出かけなくちゃいけないから、お前の相談をここで聞いても大丈夫か?」と剛の方を見ながら、諭が言う。
「大丈夫だよ。兄さんが忙しいっていうのは分かっているんだけど、勉強見てくれないかな?と思って」
「お前…塾に行ってるんじゃなかったっけ?塾の先生に聞けば良いんじゃないか?金も払ってるんだし」
「正直言って、先生に聞いても全然、分からなくて…」
「プロに聞いて分からないのに、俺が教えて分かるのか?」
「こないだ、分からないところ、少し聞いたけど、兄さんに教えてもらって分かったよ」
「俺としては時間ある時なら構わないけど、そもそも、何で医学部に行きたいって思ったんだ?」
「親父の病院を継げれば…と思ったんだけど」
「あの人が望んだのか?」
「いや…そうじゃないけど」
諭は右手に持っていたスプーンを置き、剛を見据えて軽くため息をついた。
「医者になりたい理由は何でも構わないが、医者になるための前提があると俺は思っている」
「前提?」
「そうだ。人を助けたいと思っているかどうかだ。助けたいと思っても、助けられない命もある。他の仕事よりも死に直結している仕事だから、人よりも死を見る機会も多い。死を日常として受け入れた上で、一人でも多くの命を救えると思って、対応できる心構えが備えていなければならない。お前はそれを理解して、医者を選べるか?」
「……そこまで、深く考えてなかった。そのくらいの覚悟がないと医者にはなれないってことだよね?」
「医者になることは出来ても、それがないと良い医者にはなれないだろうな」
剛は肩を落とし、「ゆっくり考えてみる」と言った。
「そうか。じゃあ、俺はもう出かけるから」と言い、諭は食器を持ってキッチンへ向かった。
「病院まで送っていこうか?お昼ご飯のお礼に」と彩世が諭に言った。
諭は少し驚いたような表情を見せた。
「送ってもらえるなら、助かる。じゃあ、出かける用意をするから、少し待っててくれ」と言い、自分の部屋に戻っていった。
彩世はサラダ、スープカレー、みかんゼリーをたいらげ、食器をキッチンに持っていく。
「あ、彩世さん、食器はそのままで良いですからね」
「わかった。ありがとう」
その時、諭が丁度、リビングに入ってきた。諭はこないだ会った時と同じ服を着ていた。
「じゃあ、俺も行くね。剛、知多ちゃん、またね」
彩世は剛と知多に軽く手を振りながら、諭の家を出た。
「どうぞ。お兄様」と言い、彩世は右側のサイドドアを開けた。
「…ありがと」と言い、諭は助手席に乗り込んだ。
彩世は運転席に座り、エンジンをかけた。
「どういう風の吹き回しだ?お前が俺を車に乗せるなんて」と諭は言った。
「特に理由なんてないけど」
「そうか」
「人助けのつもりなんだろ?」
「…え?」
諭は彩世の方を向いた。
「あんたが俺に近づいた理由だよ。おかしいと思ったんだ」
「…さっきの話か?ふふっ」と諭は笑った。
「何がおかしい?」
「俺は『良い医者』じゃない。俺の目の前にいる人を助けたいと思ってはいるけど、助けられる命には限りがあるから篩いをかけることもある。俺は剛に対して兄らしいことは何も出来なかったから、何かしてやりたいと思った矢先にお前が現れた」
「何でそんなに俺が剛と一緒に居るのが嫌なんだ?」
「お前が悪いとは言わない。でも、あいつとは、歩んできた道が違い過ぎるし、これからも交わることはないだろう。たとえ、剛がお前を好きだとしても、ほんの一時だ」
「だったら、俺を野放しにしてもいいのでは?」
「俺は、気長に待てないんだ。それに悪い種は先に摘んでおきたい」
「俺のこと、悪いって思ってるだろ?」
「剛にとってはね」
「あんたにとっては?」
「ふふっ…さあ、どうかな?まだ何も試してないから分からない」
「試すって何…を」
その瞬間、彩世の頬に諭が口づけた。彩世は驚いて諭を見る。諭は軽く微笑んだ。
「好きになったかも」
「…茶化すなよ」
諭はふふっと笑う。
「俺もあんたは、もっと生真面目な人間だと思っていたけど、イメージ違うな」
「俺は、そういう風に見せてるだけだからな。実際はもっと黒い人間だよ」
「どんな風に?」
「それはお前が見つけてみろよ」と諭が言う。
「気が向いたらな」と彩世が答えた。
諭は目的地に着く100メートル前で彩世に車を停めるよう促した。
「流石に病院前でこの車から降りるのを誰かに見られたくないからな」
「医者も大変だな」
「イメージが大事だからな」と諭はにっこり微笑み車から降りた。
彩世は諭の後ろ姿を見送りながら、車を発進させ、自宅へと向かった。


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