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想像できないものを受け入れるのは難しいことか

ワーママというカテゴリにカテゴライズされるのが好きではありません。

しかし、世間の区分わけで見たとき、サラリーを頂きつつ子育てもしているわたしがワーママであることは間違い無いのです。

何故、そうカテゴライズされるのが好きではないのか。

「ワーママvsその他社員」の構図に巻き込まれる事があるからです。

もっというと、そんな「VS」が出来ることに違和感を感じるのです。

まず、ワーママという単語が好きではないのです。

子供を望んだ家庭の人間が、働きながら子育てもする。それはごく普通のことだと思っています。

男性だって、働きながら育児、してますよね。
なのにワーパパはない。
イクメン、カジダンはあるのに。
なんなら育女とか家事妻とかない。
どっちも家族がいて働いている、家庭を運営している構成員なのに。

数のせいでしょうか。
少数派には個別の名前を付けたがる性質があるのかもしれません。
(ちなみに、イクメン・カジダンという言葉も好きではありません)

さらに、人それぞれ境遇は違います。
同じワーキングマザーでも、幸運なことに周囲の助けを得られ、時短なしで働く事ができる人もいれば、それがとても難しい人もいる。
とてもひとくくりにはできないものです。

ワーキングマザーでなくても、同じです。
子供を産むのは個人の自由、産まないのも個人の自由。
アフターファイブの1時間は、ワーママもそれ以外の人も同じ1時間なのです。
使い方が違うだけ。

だから、本当は時短の制度や休暇は育児などの理由に限らず誰でも取得できるのが一番良いのですが(勿論、協力し、お互いに譲りあって)
それを実現できる企業は中小企業ほど少ないのが現状ですよね。

そこで勃発するVS。

赤コーナー、非時短社員

時短をとるからズルい、残業しなくていいからズルい。わたしだって休みたいし早く帰りたい。子供がいるからって免罪符で仕事を楽してる。子供がいるとか関係なくない?好きで作ったんじゃないの?その皺寄せは全部こっちに来るのよ。


青コーナー、時短取得中のワーママ

子供のお迎えに行かなきゃいけないのに、定時で帰るとどうしても間に合わないから、時短を使うしかないのよ。使いたくて使ってるわけじゃないから。悪いとも思ってるし気もつかってる。その分お給料も減ってるし。残業してる方が子育てよりずっと楽なんだけど。そもそもその仕事、わたしがやった方が数倍早く終わるのよ。

・・・
相容れないのか?
相容れないものなのか??
誰が悪いんだ?
個人?会社?地域?社会?国??

わたしは時短勤務も育休も経験したワーママですが、やっぱり経験したことのないことって、理解しづらいものですよね。

今、国や会社を回している偉い人達は、女性は寿退社当たり前、子育てを奥様に任せてバリバリ外で働いてきた世代の方が大半でしょう。

もう少し待てば、世代が入れ替わって状況が変わるでしょうか?

ただ、それぞれが少しずつ相手の状況に想いを巡らせ、想像力を豊かにすれば、解決する問題なのかなと、そう思うのですけれど、難しいことなのでしょうか。

自分ごととして考えれば良い制度なんかも考えつくのではと思うのですが、綺麗事なのでしょうか。

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