人生の終わりが明日だとしたら
皆様こんにちは日本初暇活コミュニティSCHOLE代表の熊本亜斗武です。
普段は講演会で志のあり方を話したり、志コーチングでお客様の志を見つけるお仕事をしていたり、暇活を世に広めようと動いています。
さぁ今回の暇活ブログですが、明日急に死ぬとしたらあなたは何をしますか?そんな問いとともに、生きるって何かを考えていきます。
人は本当に死ぬ
僕はものすごく平和ボケして生きてきた1人でした。
21歳まで身内の死というのを経験したことがなく、どこか死と自分を遠ざけて考えて生きていました。
そんな中コロナがおさまった頃、2年ぶりに親戚が全員茨城の常総市の中にある小さな町にあるおばあちゃんの家にいつなることになりました。
昔は子供だった僕ら兄弟や従兄弟も大人になり、なかなか全員の予定が合わせることが難しくなっているのですが、その年は奇跡的に全員が集まることができたんです。
僕も胸を躍らせ茨城に車で向かっていました。
到着するやいなやおばあちゃんとおじいちゃんに挨拶をということですぐに探し回ったのですが、出会ったおばあちゃんの姿は元気な姿が見る影もなく弱った姿でした。
聞くところによるとここ最近調子が悪いとのことで、ずっと寝たきりだったけど今日はみんなのために起きてるんだよとのことです。
なんでかはいまだにわからないのですが僕はおばちゃんの姿をみた瞬間に涙がボロボロ落ちてきて、おばあちゃんの近くで顔を見ながらずっと泣いていました。
おばあちゃん認知症が激しくて、5分前に言ったこと忘れちゃうんです。
僕が風邪引いた時なんて、「風邪か?風邪にはヨーグルトがいいぞ!昔はヨーグルトたくさん食べたからこの年なるまで一度も風邪ひいたことねえな!」と言ってヨーグルトを持ってきてくれるんですが、5分後にまた僕のところに来て「風邪か?風邪にはヨーグルトが〜」と言ってヨーグルトをまた置いてくんです。
それが繰り返され気がつけばヨーグルトのピラミッドが作れるぐらいヨーグルトをもらったんですよね。(笑)
それぐらい忘れっぽくなっていたんですけど、いくら忘れても毎回愛でいっぱいなんですよね。
ただその会いに行った日は「ごめんね?みんな来てくれてるのにおばあちゃん何にもしてあげれてないね。ごめんね」と僕にいうんです。
僕はすかさず「そんなことないよ!おばあちゃんは今までたくさんみんなに愛をくれたから、今こうしてみんな集まってるんじゃん!」って言葉を投げかけました。
余談ですけど僕茨城に行ったら標準語に自然となるんですよね。(笑)
でもまた5分後には「ごめんね?みんな来てくれてるのに〜」というんですけど僕はその度に「そんなことないよ」と声をかけ続けました。
そのやりとりを何回も繰り返したんですけどその度に涙がボロボロ落ちて、その当時僕はすごくしんどい時期で、やりたいことも夢もないし、生きていることに希望なんか一つも持てていない人間でした。
そんな僕が言葉では「愛をもらったからこうやってみんな集まってるんじゃん」ってゆうんですけど、その愛をもらって育ててもらった自分が、生きることに希望を持てていない状況が恥ずかしくて悔しくて。
だから僕心に決めたんです。
「よしわかった。僕はまだ何かはわからないけど、一生懸命生きて来年また来た時に、今より自分に自信をつけて生きているの楽しいよ」って言える自分になろう。そう心に決めたんです。
だから涙を拭いて「またくるからね!」と手を振っておばあちゃんの家を出て、これから俺はビックになるんだと意気込んでやる気も出てこれからだと自分に少し自信がついたんです。
それから1ヶ月後におばあちゃんが亡くなったと一本の電話が母の元に入ります。
それはもう膝から崩れ落ちました。
これから俺もっと大きくなるのに。
やっと自分の未熟さを理解できて、もっとかっこいい男になるのに。
おばあちゃんにまだ話してないことたくさんあるよ。
まだおばあちゃんと話したかったことたくさんあるよ。
なんであと一年待ってくれへんのよ。
なんであと一年早く大事なことに気づけんかったんやろ。
様々な思いが頭を駆け回り、頭が本当に真っ白になりました。
身内の死というのが初めてだった僕は相当ショックを受け、電話があった次の日にファシリの仕事があったのですが、その仕事中に何度も席を外して泣きじゃくりました。
止めたくても涙が溢れてくるんですよね。
葬式に行ってもいつも笑ってるおじいちゃんや親戚全員が涙しているのを見て、人が死ぬってことはこういうことだと。
こんだけ多くの人に悲しんでもらえる人間になろう。
あの人に会ってよかったって言ってもらえる人間になろう。
僕にしかできない人生もきっとあるから、誰のものでもない自分人生の道を、自分の足で歩いていこうと心に決めたんです。
そこからというものなんでも死に物狂いで動きまくりました。
いろんな人に出会っていろんな挑戦をして。
もう本当に死ぬ気で行動をし続けました。
今までダラダラ過ごしてきた時間を取り戻すように、悔しさと悲しさを忘れぬように動きまくりました。
そしてどうなったかは別のお話。。
今日はどうして僕が志を持って生きるようになったのか、その大きなきっかけにもなったおばあちゃんとの別れのお話でした。
また別の暇活出会いましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?