「ニートから2年で社長になれた理由」 その1. クリエイティブに目覚める
どうも、TETOTETO Inc. 代表取締役社長のゴウキです!
突然ですが、実は僕、2年前までニートをやっていました。軽くニートではなく、ヒモでニートというどうしようもない生活を送っていた時期がありました。
そんな僕がどうやって代表取締役社長になったのか、なぜ会社を作ったのか。改めてまとめてみたいと思います。
交友関係上、また仕事柄いろんな人に出会う機会が多いのですが、自己紹介をするたびに「なんで料理つくってるの?」「どんな仕事をしているの?」とか「なんで会社作ったの?」とか聞かれるんです。
周りから見ると色々なことに手を出していて、何やってる人かわからない上に、なんでそんな活動が仕事になっているのか?どうやって食っていってるんだろう?という疑問が生まれるようなんですけど、実は僕の中では一貫して大事にしているコトがあったりします。
毎回説明するのも面倒だし、一回どこかにまとめたいなと、そんなわけでこのnoteは僕の考えをまとめて皆さんに伝える場所として、社長になるまでの経緯や想い、携わっているプロジェクトについてまとめていけたらなと思っています。
TETOTETO Inc.はブランディングをクリエイティブでお手伝いする会社なんですが、美大も出てなければ、鑑定人なんていうお堅い仕事をしていた僕が、なんでクリエイティブな会社をやっているのか?
1回目の今回は、僕がクリエイティブに目覚めるきっかけになった、おもてなしユニット「てとてと」が誕生秘話についてお話ししようと思います。
きっかけは「2人で何かやりたいね」
突然ですが実は僕、ニートの時期が半年間くらいありました。
というのも…、前職が鑑定人という超特殊職だったため、そこから転職するために仕事をやめたのですが、キャリアのスライド先が自分でもわからなかったり、やっと見つかった転職先がまさかのブラックだったりで、結果ニートになってしまったんです。
その当時、彼女だったモモコ(現在は妻でビジネスパートナー)のアパートに転がり込んで、ヒモをやっていました(笑)。
何がやりたいか?何ができるか?全くわからなくて、悩むのにも疲れて、バイトもせずにモンハンやって過ごしていたんですけど、(今思い返すとゾッとします。)料理だけは得意だし好きだったので、毎日作っていました。
その料理を、モモコが褒めてくれて、自分の友人や同僚を招くホームパーティーを一緒に企画して、僕に料理を振る舞う機会を作ってくれました。
モモコは元々美大出身で、周りにはクリエイティブな人ばかり。
クリエイティブに圧倒的に憧れているくせに、自分は仕事もしていなくて、何も生み出せない、何もできないと思っていた僕は劣等感に塗れていたんですけど、でも、僕には料理があるなって、その時に気が付いたんです。
一方で、モモコはおもてなしが好きで、サポートするのが得意。それなら2人でなにか一緒にやろうとなって、おもてなしユニット「てとてと」を始めることになります。
おもてなしユニット「てとてと」
こうして、おもてなしユニット「てとてと」の活動が始まりました。
今だからはっきり言えるのは、僕にとって料理は「クリエイティビティを発揮するための手段」だということ。
料理屋で決まったメニューを作るのは嫌だったけれど、ホームパーティーに来るゲストのために、自分が納得できる料理を考えて作って提供して、一緒にお話ししながら食事して…、食を介して仲良くなるっていう場をつくるのが好きだったんです。
そして、自分の料理で楽しんでもらえるという成功体験ができたことで、クリエイターに対しての劣等感みたいなものは消えて無くなったし、どんどんクリエイティブなことが好きになっていきました。
そこから、自分が尊敬している作家や職人に会いに行ったり、興味がある場所に行ってみたり、すごい料理人のお店に行ったり、生産者を巡ったりするようになります。
自分が触れてきたモノやコトが、自分の料理の糧になっていくのが自分でもわかって、それが面白くて、興味を惹くもの、知識欲を刺激するものを手当たり次第に求めるようになりました。
ニート、覚醒
ホームパーティーは最初、原価だけでやっていたんです。
「材料代1,000円ください。」って言ったり、「投げ銭でいいです。」ってな具合に。
でも、好きな食器やカトラリーを集めて、材料にもこだわって、自分の納得できる料理を作っていくうちに、みんなが「これは安すぎる!」って言ってくれるようになっていって、自分でもこのやり方は苦しいなって気がついて、ちゃんと続けられる価値交換って何だろうって考えるようになって言ったんです。そして、料金体系や予約方式とかを色々試行錯誤しだします。
この辺から料理が「生業」になり始めました。
自分がワクワクすることって、趣味の中だけでできるものだと思っていたけれど、そこで気づいたんです。「自分でワクワクを持ってきて、だれかと共有することって、仕事になるのかも?」って。当時ニートだったボクは、ここで完全にクリエイティブに目覚めました。
とはいえ、お金を取るようになったと言ってもせいぜい3,000円程度。しかも前の借家は狭かったので、呼べるのも4人くらいまでで、こぢんまりやっていました。
てとてとの活動が大きく加速するようになったのは、結婚して、今住んでいる九品仏の家ができてからのこと。
ワクワクを仕事にするということが一気に加速していきます。
ニートから会社員へ!そして家をつくる!
以前住んでいた借家は、ビンテージマンションをリノベーションした物件。2人とも気に入っていたものの、色々と手狭でした。
僕の仕事が決まったこともあり、実家の大分に預けていた大型の家具を引き取って、広い家に引っ越したかったんですが、それが全部置ける家へ引っ越すとなると、その分家賃が高いことは自明の理です。
その上、「ビンテージマンションをリノベーションした物件がいい!」という価値観が2人に共通してあったため、理想通りの都内の賃貸に住もうとすると、家賃はもっと高くなってしまいます。(具体的には25~30万円くらい)
じゃあ、ローンを組んだらどうなるの?とシミュレーションしたら、月14、5万くらいだったんです。
それなら、自分たちでもビンテージマンションを買ってリノベーションして、思い通りの空間を作ろう!と、思い切って家を買うことにしたんです。
リノベに興味がある方は是非別記事を見てみてください!
人と人が繋がる「場」を創造する
僕らの家のコンセプトは、「ホームパーティーをするための空間。そして人が集まりやすい空間。」
家が完成してからは、いろんな人が出入りするようになって、1年目で100回以上、600人を超えるゲストを招待しました。
当時はフルタイムの会社員をやりながら、ホームパーティーの準備や調理を行なっていました。なんでそんなに呼べるの?って聞かれることもあるんですけど、楽しいから、やめろって言われても無理なんです。ワクワクするから、夢中でしたね(笑)。
そこでいろんな人を紹介してもらったり、紹介したりして、友人をつくるのはもちろん、食の仕事をもらったり、コンセプトワークの仕事をもらったり、そんなご縁がたくさんあって。
ワクワクすることや、ワクワクしてる人が集まる場が生み出すパワーってすごいなーって思ったんです。そこからいろいろあってTETOTETO Inc.を作ることになるわけなんですけど、そのことについては、次のnoteで書いていきたいと思います。
つづく。
代筆:宇治田エリ