見出し画像

西遊記どの訳が好きか―空三で読み解こう③

 さあ、今回もはりきっていきましょう。

この試みは、三蔵一行の旅をさまざまな訳ver.で味わいながら悟空×三蔵、すなわち空三関係の進展を見守っていくことです。

 前回、三蔵を旅の仲間と認めて守ってきた孫悟空でしたが、三蔵の勘違いのせいで破門をされてしまいました。三蔵の前を去ってから、誰もいない大海を見ながらとめどなく涙を流す悟空の描写は、何度読んでも切なくて胸がぎゅんとしめつけられます。

 さてさて、この破門から帰ってきた悟空は、ちょっとまた様子が変わっているというか、一旦離れてやっぱり三蔵の存在が自分にとってかけがえのないものと自覚したためでしょうか。だんだんと心の距離も近付いていく様子が可愛いので、今回も一緒に楽しんでいきましょう。
奥さん!今回はエモいシーンが目白押しだよ!


 今回も前回同様、メインはこの三冊です。

  ①岩波文庫版 中野美代子訳「西遊記」
   4巻(1986年)

  ②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳     
   「西遊記上」 (1972年)

  ③福音館文庫版 君島久子訳
   「西遊記中」(2004年)

 (①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、
   「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、
  ②は明の時代の本をダイジェストにした
   清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、
  ③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)



宝象国 黄袍怪のエピソード

 悟空が破門から戻ってくるまで

 悟空が花果山に帰ってしまってから、三蔵は黄袍怪という妖怪に呪いをかけられて虎の姿にされてしまいます。八戒、悟浄、玉竜はそれぞれ奮闘しますが、黄袍怪は強くて倒すことができません。
 玉竜の勧めで八戒が花果山に赴き、悟空に戻ってきてくれと頼むシーンです。

 まずは①

 八戒はあわてて地面に頭を打ちつけ、
「兄貴、たのむから師匠の顔を立ててゆるしてくれよ」
「あの師匠は、仁義ってえのを心得たお方だぜ」
と皮肉ったので、八戒は、
「師匠でだめなら、南海の観音菩薩さまのお顔を立ててゆるしてくれよ」
 孫悟空は、八戒が菩薩の名を出したので少しく気持を動かしました。
「そんなにまで言うなら、まあ、ぶたないことにしてやろう。しかしな、おぬし正直に言えよ。いったい、あの唐の和尚さんはどこで難に出くわし、おぬしがここまでおれさまを迎えに来る、ということになったんだ」
「なに、たいした難に出くわしたというわけじゃないよ。ほんとに兄貴のことをなつかしがっているんだ」
 悟空はどなりつけました。
「まだぶたれたいのか、この大ばかやろう!いつまでもつべこべ言いやがって。この孫さまはな――
 水簾洞にもどったものの
 師匠のことが気にかかる 
 という次第なんだ。あの師匠はな、行くさきざきで難にぶつかり、至るところで災いを蒙むるお方だ。さあ、とっとと報告しろ。なぐるのは免じてやるから」

「あの師匠は、仁義ってえのを心得たお方だぜ」という皮肉が切ないですね。勘違いで破門されたのに言い訳せずにぐっとこらえて、故郷に帰ってきたのだから、そら皮肉の一つも言いたくなりますよ。(そこのけそこのけ悟空モンペが通ります)

 悟空が三蔵は難に遭っていることを既にわかっている、という点に関しては、前回軽く指摘したように悟空がこの旅の本来の目的を既に知る先導者であることを示しているものと思います。(詳しくは最終回にて解説予定)

 今回のポイントは、「兄貴のことをなつかしがっている」と八戒が嘘を言うと怒る悟空と、「水簾洞にもどったものの 師匠のことが気にかかる」の二点です。

 なぜ、なつかしがっていると言われると怒るんでしょうか。

 「正直に言え」と散々言っているのに、八戒がまだ嘘をつくから怒っているという単純な解釈もできるのですが、「大ばかやろう!」と怒鳴る怒りの勢いからするともう少し別の理由も加味しても良いのではないでしょうか。「師がなつかしがっている」と言われてしまうと、それが本当のことではないことを知りつつも、心が浮き立ってしまうのを自分でも認めたくないから、じゃないですかね。どうでしょう。可愛い可愛い。

 それでいて、さらにですよ。三蔵は自分のことをなつかしがってはいないとわかっているくせに、自分は「師匠のことが気にかかる」と言ってしまうわけですよ。なに、その切ねえ感じ。片思いじゃん。もう、やだ。好き。

②ではこんな感じです。

 八戒、あわてて頭を地面にすりつけ、
「兄貴、どうか師匠の顔に免じて、おいらを勘弁してくれ」
「師匠は全く仁義を知らん人間だ」
「それじゃ、南海の観音菩薩に免じて、おいらを勘弁してくれ」
 悟空は、八戒が観音菩薩と言ったので、いくらか心を動かし、
「そう言うなら打つのは許してやろう。しかし正直に言うのだ。おれをだましてはいかん。唐僧はどこで難に会い、きさまがここまで、おれをだましに来るはめになったのだ」
「兄貴、別に難というほどじゃねえ、ほんとうに兄貴をなつかしがっているんだ」
「このばか野郎、なぐられたいか。まだおれをだまそうとしやがる。孫さまは――
  身は水簾洞に回(かえ)れども
  心は取経の僧を逐(お)う
 わが師は、行くさきざきで難に会い、いたる所で災いを受ける運命にある。きさま、さっさとおれに話せ、そうすれば打つのは許してやるから」

 おおまかには①と似た文句が続きますが、「身は水簾洞に回れども 心は取経の僧を逐う」という詩句がすごく良い仕事してます。
 身体は花果山に戻っているけれども、心は三蔵のことを追っているから、きっと「心ここにあらず」という状態そのものなんでしょう。故郷でたくさんの手下に歓迎され、豪勢な食事で宴会をしてもらっているのに、その場を楽しんでいないというか、「三蔵は今どうしているだろうか」「腹を空かせてはいないだろうか」とずっと気にかかって、遠い空を見上げている様子さえ目に浮かぶようです。

 ③です。

 八戒はあわてて、地面に頭をぶつけてお辞儀をし、
「兄貴、師匠の顔にめんじてかんべんしてくれ」
「師匠は仁義を知らない人だ」
「師匠がだめなら、南海の菩薩にめんじて許してくれ」
 悟空は菩薩と聞いて、三分ばかり気を許し、
「そんなら打つのはよそう。ほんとのことを言え。師匠はどこで難に会い、おまえがここまで俺をだましに来ることになったのか」 
「難になど会っていないよ。ほんとの話、兄貴を思ってるんだ」
「打ちのめすぞ、こののろま野郎。どうしていつまでも俺をだまそうてんだ。この孫様はな、身は水簾洞に帰れども、心は取経の僧を追うのだ。師匠は行く先ざきで難に会う運命なのだ。さあ、どこで難義しているか話せ」

「ほんとの話、兄貴を思ってるんだ」「打ちのめすぞ、こののろま野郎」の破壊力すごくないですか。「兄貴を思ってるんだ」と言われた瞬間、そんなことありえないとわかっていても、もしかして三蔵も俺のことを……と一瞬だけ思ってしまった自分に腹を立てて、すごい勢いで八戒にどなりつける悟空の心情が読めてきませんか。どうですか。


 黄袍怪が悟空の悪口を言っていたと八戒から聞いた悟空は(実は八戒の嘘なのですが)、黄袍怪を倒しに行くことにします。

 ①で悟空の様子を見てください。 

「(略)さあ、行くぞ。そいつをとっつかまえて、ずたずたにちぎって、仇をとってやる。すんだら、おれさまはすぐにもどるがな」
「そうだとも、兄貴。仇討ちさえすんだら、どうしようとご自由だ」
 悟空は、そこでやっと崖からとびおり、洞の中に突進しました。いま着ているものを脱ぎすてると、錦の直綴をきちんと着こみ、虎の皮の腰巻を巻きつけ、鉄棒を手にして、さっととび出します。サルども、あわてて悟空をひきとめました。
「大聖さま、どちらへいらっしゃるのです。せめてあと何年か、遊んでくださってもいいでしょうに」
「皆のもの、なんちゅうことを言うんだ。おれさまが唐の和尚さんを守っているわけは、天下の人びとだれでも知っている通りだ。つまり、孫悟空は唐の和尚さんの弟子だから、というわけだ。あの和尚さんは、おれさまを追放したんじゃない、おれさまに郷里(くに)の様子を見に帰らせ、のんびり息抜きしろということなんだ。さて、いまはこんなわけだ。おまえたち心して留守番しろよ。季節ごとの行事も忘れるな。おれさまは、あの和尚さんの取経の旅をお守りしに、もう一度行ってくる。ぶじ東土にもどり功をたてたら、ちゃんとここに帰ってくるからな。そのときこそ、楽しく遊びくらそうぞ」

 まず、注目点がたくさんあるのですが、「着ていたものを脱ぎすてると」という、王様の服から僧服に着替える点に注目です。王様の服の方が高価だろうに、別に大事そうにする様子もなく、かまわずに脱ぎ捨ててしまうんです。そして綺麗好きの三蔵に気に入られるように「直綴をきちんと着込」んで僧としての身なりを整えるんです。僧として生きることを彼が重要視していることが表現されています。

 そして、八戒には仇をとったら「(花果山に)すぐもどる」というくせに、手下の猿たちには「功をたてたら、ちゃんとここに帰ってくる」と言ってるんですね。もう一度弟子になることしか考えてないじゃないか。もう素直じゃないんだから!

 しかもしかも、手下には破門じゃなくてただの里帰りなんだと言い聞かせてるんですよ!
この解釈としては、
Ⓐ破門されたのは恥ずかしいのでとりあえず良いカッコしたかったから
Ⓑ手下猿たちに破門されたというと三蔵に悪印象を持つことが予測され、手下の猿たちに三蔵の悪い印象を与えたくなかったから、
という二通り考えられますけど、どちらだと思いますか?自分の身内(手下)には、自分の大切な人(三蔵)について良い印象をもって欲しいから良い話しかしたくなくて、つい庇ってしまうっていうの、恋愛の始まりにあるあるだよなあと思います。

 つぎは、私の好きな水浴びのシーンです。

 まず①

 やがて東洋大海をよぎり、その西岸まで来ますと、悟空は雲をとめ大声で申しますに、
「おい、おとうと。おぬしはここからゆっくり行ってくれ。おれさまは海におりて、ちょいとからだを清めるから」
「急いでるというのに、からだを清めるだって?」
「おぬしにはわかるまいが、水簾洞にもどってしばらくごろごろしているうちに、妖怪のにおいがからだにつきやがった。師匠はきれい好きだから、いやがるだろうと思ってな」
 八戒はここではじめて、悟空が本心からそう言っていて、他意もさらさらないことを知ったのでした。

  ほら、萌える。萌えただろ?

 「師匠はきれい好きだから、いやがるだろう」という「だろう」という推測の表現から、実際にはいやがられたことはないことがわかります。つまり、普段の悟空は妖怪のにおいがしないように、気を付けて身体の清潔さを保っているんでしょう。健気……。

 次は②です。

悟空は八戒と手を携え、雲に乗って、東洋大海を渡った。西の岸に来ると、悟空は雲を止め、大声で、
「おまえはゆるゆる行ってくれ。おれは海にはいって、からだを清めるから。洞にもどってから、しばらくの間に、からだに妖怪のにおいがするようになった。師匠は、きれい好きだから、きらわれるといけない」
 八戒はそこで初めて悟空がま心をもち、全く他意のないことを知ったのである。

 「きらわれるといけない」
きらわれるといけないんですよ。きらわれないようにしたいんですよ、彼は

 なんで?ねえ?なんで? 

 ③です。

 悟空は八戒と手をたずさえて雲に乗り、東洋大海を渡って西岸に来ると、雲をとどめて叫んだ。
「八戒よ、ゆっくり行ってくれ。俺は海で体を清めて来るから」
「この急いでいるときに、なんだって身を清めるんだ」
「俺はながらく水簾洞にもどっていたので、妖精のにおいがする。きれいずきの師匠に、きらわれちまうとこまるからな」
 この一言を聞くと、八戒ははじめて悟空が、誠心誠意で事にあたることを知ったのだ。 

「きらわれちまうとこまるから」

 ひぃぃぃ、きた。もう答えじゃないですか?

 嫌われると困っちゃうんですよ。なんで?ねえ?この人に嫌われたくないって思った時点でもう好きじゃんね。

 やっぱり一度距離をおいてみて、その間に自分が何も手につかずに三蔵のことばかり考えてしまっていたという事実があったからでしょうか。悟空が三蔵のことを大切に大切にし始める記述が増えてきた気がしませんか。 

 てか、もう好きだよね、もういいだろ。我々、もう十分我慢したよね。

 もう好きだよ。もう好きってことで良いよね?今の時点では、悟空→三蔵の気持ちはかなり明らかに書かれてるって解釈で良いね?
はい、もう好きです。悟空は三蔵にもう惚れております。

 さて、次はあまり空三とは関係ないですが、あわや空浄展開が始まるのではないかと疑うようなシーンが見逃せなかったので紹介しましょう。

 ①です。

おお、かの沙悟浄、孫悟空という三字を耳にしたとたん、醍醐の洗礼水を浴び、甘露に心をひたしたかのよう。空いっぱいに喜びがひろがり、あたりはこれ春、といった風情です。だれが来たのかも聞こえたのやら、むしろ金か玉を拾ったかのようでありました。そしてほら、手をひらひらさせ衣の袖を払って門から出てくるや、悟空におじぎしました。
「兄貴!ほんとに天から降ってきたね。たのむ!助けてくれ」
 悟空は笑いながら
「おぬし、尼さんにでもなったか。師匠が緊箍呪をとなえたとき、おれさまのためにひとこと、口添えしてくれたってよかったじゃないか。それがなんだ、口から出まかせばっかり言いやがって。師匠を守るなら、どうしてさっさと西に向かわんのだ。こんなところでごろごろして……」

 悟空が戻ってきたことを知った悟浄の感激っぷりが少女漫画じゃないですか?絶対背景に花が咲いてるだろうという感じです。悟浄の心がときめいているのを悟空もちゃんとわかっていて、「尼さんにでもなったか」という台詞で受けています。

 でも空浄展開にはならず、破門の時に庇ってくれたらよかったじゃないかという悟空の愚痴につながりますw悟浄、都合の良いときだけにデレてもだめなのだよ。もしあのとき悟浄が悟空を庇ってくれていたら、空浄展開がみられたのかもしれません。

虎になった三蔵に聖水を吹きかける


 虎になった三蔵を救う場面です。
 まず、①です。助ける前までの悟空の意趣返しと、助けてからのデレっぷりが可愛いので、少し長いですが、抜粋してみます。

見たところは、たしかに虎なのですが、悟空の目だけはごまかせません。あの化けものに魔法をかけられたので、身うごきはできなくなっていますが、あたまははっきりしており、ただ口と目がきかないのです。悟空は笑いながら、
「お師匠さまよ、ごりっぱなお坊さんが、どうしてまた、そんな情けない姿におなりなすったんです。おれさまがひどいことばかりするといって追ん出して、あなたはひたすら善行を積みなすったのに、いやはや、すごい顔つきにおなりですなあ」
 八戒はそこで、
「兄貴、助けてあげろよ。そんなに人の弱みをあげつらうなよ」
 悟空、
「なんだ、おぬしはお調子のいいことばかり言いやがって。お師匠さまのめんこのくせに、自分で助けないでこの孫さまにさせるとは、なんだ。いいか、おぬしにはちゃんと言ったはずだぞ。妖怪をやっつけて、おれさまのことを悪く言った仇をとったら、それで帰るってな」
 すると、沙悟浄が悟空のまえにひざまずいて言いました。
「兄貴、むかしの人も言ってるじゃないか。『坊主の面(つら)を見ないで仏のお顔を見ろ』って。せっかくここまで来てるんだ。なんとか助けてあげてくれよ。おれたちでできるものなら、はるばる兄貴を呼びに行ったりなんかしないさ」
 悟空は手を貸して立たせながら、
「おれだってな、助けもしないでへっちゃらというわけじゃないぜ。さあ、はやく水を取って来い!」
 そこで、八戒は駅亭にすっとんで行って、荷物や馬をとりもどし、托鉢用の紫金の鉢をとり出すと、それに半分ほど水を入れて、悟空に手渡しました。悟空は、それを手にして、呪文をとなえ、虎に向かってプーッとひと口、頭から吹きかけます。これで、妖術は解け、虎の気が抜けて、三蔵はもとの姿にかえりました。
 三蔵は、そこで気を落ち着かせ、目を開き、やっと悟空に気づきました。その手をとってしっかり握り、
「悟空よ、よく来てくれた」
 沙悟浄がかたわらで、悟空に妖怪退治をたのんだこと、姫を救い出したこと、虎の気を抜いたこと、この国で起こったさまざまなことなどを、ひと通りつぶさに話しますと、三蔵はくりかえし礼をのべ、
「まったく良い弟子だ。なにもかも、そなたのおかげでうまくいったの。さあ、こうなったら、すぐにも西をめざそうではないか。いずれ東土に帰ったあかつきには、そなたの功績が第一と、帝に申しあげよう」
 悟空は、てれて、
「もう、言いっこなしにしましょうや。でも、あの呪文だけはとなえないでくださいよ。それで、じゅうぶんありがたいのですから」

ツッコみたいところがたくさんありすぎて、どこから手をつけたらいいのか……。そわそわしちまうぜ。
 いや、まずまず、まず順番に。
 虎になった三蔵を見て、悟空が最初に言うことが「すごい姿におなりですな」と言うんですよ。しかも笑って。でも、本心では「助けもしないでへっちゃらというわけじゃない」んですよ。あああ。尊い。
 悟空が口に含んだ水を虎になった三蔵の頭からぷーっと吹きかけるのも、きたな……いや、神猿のやることですからね、聖水なんですよ。聖水プレイ。いや、語弊があるな、プレイじゃないな、本気で、やる必要があってやってるんだもんな。聖水方策。

 そして、元の姿に戻った三蔵が悟空の「手をとってしっかり握り」、「悟空よ、よく来てくれた」とくりかえし礼を述べたら、悟空が「てれて」……。てれて……。ぴぎゃあ。手を握ってお礼言ってもらっただけでてれちゃうんですよ、なんなんだよ、片想い尊いかよ。
しかも悟空の性格なら「おれがあんなことしてこんなことして」って自分から恩を売りにいってもいいはずが、自分では何も言わず、悟浄が詳しく説明している点も奥ゆかしい

 「もう、言いっこなしにしましょうや」という台詞からは、三蔵からの感謝の意が気恥ずかしくてたまらない気持ちと、破門のいざこざももうこれで水に流しましょうという提案が感じられます。
 はあ、尊い。

 それと思い出したように影で進む空浄展開ですが、ひざまずいて頼んだ悟浄に「手を貸して立たせ」る悟空が非常にジェントルマンで萌えませんか。私は好きです。

 こんな場面は色々な訳で楽しみたいですよね。わかってますわかってます。では②です。

人々が見たところでは虎そっくりであるが、悟空が見ると、まごうかたなき三蔵である。かれは妖術をかけられたため、歩行がかなわず、精神ははっきりしているのであるが、目と口があけられない。悟空は笑いながら、
「師匠、あなたは情け深い坊さまで、わたしが乱暴をはたらくといって、追い返したくせに、どうして急にそんな恐ろしい姿になったんです」
 八戒、
「兄貴、助けてあげてくれ。ひやかすものじゃないよ」
「八戒、きさま、告げ口ばかりしやがって、師匠のお気に入りのお弟子さまじゃねえか。自分で助けないで、孫さまに頼むとはどうしたわけだ。もともと、おれはきさまに言ってある。妖魔をやっつけ、おれの悪口を言ったかたきを討ったら、すぐに帰るんだと」
 悟浄は、悟空のまえにひざまずいて、
「古人も、仏の顔に免じて僧を許せ、と言っているじゃないか。せっかくここまで来たんだから、どうか助けてあげてくれ。おれたちで助けられるものなら、あんな遠いところまで頼みに行きはしない」
 悟空は、悟浄を助け起こし、
「実はおれだって、助けないで平気でいるわけじゃないんだ。はやく水を持って来い」
 悟空は水を手に持ち、真言を唱えると、その虎をめがけ、頭から水を吹きかけた。三蔵は、我に返って、目を開き、初めて悟空だとわかったので、悟空の手をとり、
「悟空よ、どこから来た」
 悟浄が、これまでのことをこまごまと話すと、三蔵はしきりと礼を述べ、
「良い弟子じゃ。まったくやっかいをかけたな。さあ、これから急ぎ天竺へおもむき、東土に帰ったならば、そなたの功労は第一である、とみかどに奏上しようぞ」
 悟空は笑って、
「けっこうですよ。あの呪文さえ唱えないでくれたら、じゅうぶん感謝しますよ」

 まず、虎になっている三蔵ですが、「歩行がかなわず、精神ははっきりしているのであるが、目と口があけられない。」という状態らしい。虎だけど歩けないんですね。耳は聞こえているはずですが、虎の姿から戻って「目を開き、初めて悟空だとわかった」と記載がありますが、声と喋り方で悟空とはわからなかったのでしょうか。耳も聞こえにくかったのかな。せっかく悟空が嫌味を言ってるのに聞こえてなかった可能性が高いですね。

 また、悟空が八戒に言う、お前は「師匠のお気に入りのお弟子さまじゃねえか。」という台詞も良いですね。八戒は人の懐に入るのが上手いので、三蔵もつい八戒の言う事を信じてしまうのですが、そこにやきもちを焼いている悟空が可愛いです。


 さて、次は③

 よそ目にはただの虎に見えるが、悟空には、まさしく三蔵であることがわかった。虎は妖術をかけられているために、歩行もできず、目や口もあけることができなかった。
 悟空はにやにやして
「お師匠さん。あなたは人のいい和尚さんで、俺を兇暴だと言って追い帰したのに、なんでこんなあさましい姿になったんです」
と言って眺めていると、八戒が、
「兄貴、助けるなら、はやく助けてやってくれ。ひやかすもんじゃないよ」
「なんだおまえは、俺をおとし入れたくせに。おまえこそ師匠お気に入りの弟子なのに、自分で助けないで、孫さんを呼び出したのは、どういう料簡だ。化け物を退治し、ののしられた仇さえ討てば、俺は帰ると言ったはずだ」
 すると悟浄がすすみ寄り、ひざまずいて
「兄貴よ、古人の言葉にも『仏の顔にめんじて僧を許せ』と言うことがある。せっかくここまで来たのだ、後生だから助けて上げてくれ。もしも俺たちで助けられるなら、わざわざ遠くまでたのみに行くわけがない」
 悟空は悟浄を引っぱり起こして、
「ほんとは俺だって、見ちゃあいられないんだ。はやく水を持って来い」
 すると八戒が跳んで行って、荷物の中から紫金の鉢を取り出し、水をくんできて悟空に渡した。悟空は真言を唱え、水をふくんでその虎の頭めがけてぷっとふきかけると、妖気は退散し、三蔵はもとの姿にもどった。
 三蔵は心静かに目をあけると、はじめて悟空をみとめ、その手を取って、
「悟空よ、おまえどこから来たのか」
 悟浄がそばにひかえて、ことこまかに物語る。三蔵は何度も礼をのべ、
「賢い弟子よ、世話になった。天竺より東土にもどったならば、なんじを第一の功労者として皇帝に申しあげよう」
と言うと、悟空は笑って、
「いえいえ、あの緊箍呪さえ唱えなければ、それで十分満足です」

悟空はにやにやして」虎になった三蔵を「眺め」た外面と、「ほんとは俺だって、見ちゃあいられないんだ。」の内心の対比がたまりません。大事な師匠が浅ましい姿になっているのを「見ちゃあいられない」んですよ。だれよりも早く元の姿にしてあげたいと思っているんですよ。

 八戒には「俺は帰ると言ったはずだ」と言うくせに、三蔵が目を開けたらそんな言葉忘れたかのように口にも出さない悟空が可愛すぎませんか。
 最後の悟空の言葉は三訳のどれもいいですが、私はこの③の「いえいえ、あの緊箍呪さえ唱えなければ、それで十分満足です」が一番好きです。


 悟空が三蔵に望むことって別に大それたことではないんですよね。皇帝に第一の功労者として報告してもらうこととかどうでもよくて、ただ、三蔵にだけ感謝してもらえればそれで良くて、わりとすぐ勘違いで唱える緊箍呪さえやめてもらえれば、もう何も言うことないです、って思ってるのが本当に健気だし、それってもう愛だよね……って思うんですよ。


次は有名な金角銀角のエピソード

 三蔵がへこんだ時は慰める

 さて、破門を乗り越えて再度仲間になった悟空は、なんというか、三蔵のことを改めて大事にするようになります。
 ①から抜粋しますが、山道が険しいことを嘆く三蔵には

「(略)この孫さまさえいれば、たとえ天が落っこちて来たって、だいじょうぶ、ちゃんと守ってさしあげます。虎や狼なんて、へっちゃらですよ」

と励まして安心させる。
   なかなか西天にたどり着けないなあ、のんびりできるのはいつの日になるだろうか、と自信をなくす三蔵には

「お師匠さま、のんびりしたいのならかんたんですよ。功を立てたあとは、よろずの縁もすべて消え、人の世のことは、みな空になります。そうなったら、黙っていても、身のどかに憩う、ってなことになるじゃなりませんか」
 三蔵は、そう聞くとくよくよした気分も晴れ、龍馬のたずなをとって先を急がせました。


と励ましてあげる。まだ三蔵泣いてもないですし、ただちょっと自信をなくしてるだけです。それでもすぐにその落ち込みに気づいてフォローしてあげる。前回は泣いたら慰めてたけど、今回はもう泣く前から励ましてくれる。一歩気持ちが近づいているのがわかります。なんなん、師のことをよく見てるし、気持ちに敏いし、優しいよ。こんな良い子には絶対幸せになってもらいたい。

 こんな悟空が大切にしている三蔵は、相変わらずすごい怖がりなのでその辺を見ていきましょう。
 三蔵を陰ながら守っている神将が木樵に変装して現れ、この山の妖怪は手強いから気をつけろと忠告してくる場面です。
 まず①です。

三蔵はもう魂もふっ飛んでしまって、鞍にちゃんとまたがっていられないほど、がたがたわなわなしましたが、あわててふり返り、
「そなたたちも聞いただろう?この山にはおっかない魔ものがいる、って。だれか行って、もうすこしくわしくたずねてきておくれ」
 すると悟空が
「お師匠さま、ご安心を。この孫さまが言って、あらましたずねて来ましょう」

「魂もふっ飛んでしまって、鞍にちゃんとまたがっていられない」くらい怖がる三蔵、推せますよねえ。はぁ、可愛い可愛い。

 ②です。

 三蔵は驚いて、振り返り、弟子たちを呼んで、
「おまえたち、あのきこりの言うことを聞いたか。誰か行って、よく尋ねてくれ」
 悟空が、
「お師匠さま、ご安心ください。わたしが行ってまいります」

 三蔵は弟子たち全員を呼んで「誰か行って」と指示したんですけど、必ず悟空が「私が行って」くるというの、本当に愛を感じます。三蔵を安心させるための情報は俺が確実に掴んでくるという強い意志がそこにはある。絶対。

 ③はこうです。

これを聞くと三蔵は魂も消し飛び、戦々兢々、鞍にもたえない様子で急ぎ振り返り、弟子たちを呼び寄せ、
「あの樵の話を聞いたか。誰か行ってもっとくわしく聞いて来てくれ」
「師匠、ご安心を、わたくしが行って聞いて来ますから」

 「戦々兢々」という四字熟語がこんなに似合う怖がりの三蔵が可愛い。


八戒にやきもちを焼いている悟空

 まずは八戒を偵察に行かせようと目論む悟空ですが、ただ頼んだところで億劫がって断られるので、師匠の世話か偵察に行くか、二つの案を提案し、どちらの仕事を取るか八戒本人に選ばせる策士悟空のシーンです。

 ①です。

「ふたつ同時にできないのなら、どちらかひとつでもいいことにしよう」
 八戒は笑って、
「そいつはいい。しかし、師匠のお世話とはどうするのか、山の見まわりとはどうするのか、まず教えてくれよ。そしたら、おいらに向いているほうをするさ」
「師匠のおせわというのはだな、師匠がはばかりに立ったら、お供をする、お出かけのときは、つきそう、食事となったら、托鉢に出る、といったことだな。もし、ちょっとでもひもじい思いをさせたら、承知しないぞ。ちょっとでも痩せるようなことがあったら、ぶんなぐられるんだぞ」
(中略)
「そんなら、大したことないな。さて、猪さまは山の見まわりにお出かけになるとするか」とて、このまぬけは、着物のすそをはしょり、まぐわを手にして、勇ましく、意気揚々と深山にわけ入り山道を行くのでありました。
 悟空、おかしくてたまらず、くすくす笑いますと、三蔵が叱りつけます。
「これっ!このなまいきザルめが。そなたは、おとうとたちにいたわりの気持がまったくなくて、ただやきもちばかり焼いておるの。わる知恵とへらず口で八戒をおもちゃにして、山の見まわりとやらに出し、自分はここでばかにして笑っているとは、なんたることじゃ」

 悟空の口から師匠の世話について詳しく説明されている点が見逃せません。トイレに行くときは同行するんですね。連れションだ。出かける時にもつきそうそうで、片時も一人にしないんですね。ほとんど赤ちゃんかというくらい二十四時間そばに居る過保護ぶりが伺えます。

 しかも、三蔵から悟空はおとうと弟子に「やきもちばかり焼いて」いるという萌え情報も語られます。なんだ、三蔵も悟空がやきもち焼いていることに気付いているんじゃないか。どの程度好かれているか理解しているかは判然としませんが、悟空からやきもちを焼かれる対象に自分がなっているということまでは理解している。うんうん、よしよし。まずはここまでな。恋愛に慣れていない三蔵はまだまだ自覚は薄いかもしれんが、こっからだからな。


 次は、道士に化けた銀角をおんぶしなくてはいけない羽目になった時の悟空の呟き。ちょっと無視できないようなことを漏らしています。
 まずは③です。

悟空は口の中でせせら笑い、
――この魔物め、俺を惑わす気だな。てめえがこの山の化け物だということは、ちゃあーんと見抜いてるんだ。師匠を喰おうたって、そうはさせないぞ。

 これはわかる。まあ、普通ですよね。師匠を喰わせてなるものか、という悟空の決意ですね。
 問題なのは①です。


 悟空は背負う段になってから、にやにやして
「このろくでなしの化けものめ!なんだって、おれさまを怒らすようなことをしやがるんだ。この孫さまがおいくつか知ってるのか。うそ八百いんちき話を並べたって、師匠はだませても、おれさまは、そうはいかんぞ。きさまがこの山の化けもので、師匠を食べたがっていることぐらい、ちゃんと知っているんだ。おれさまの師匠はな、きさまが食った、そんじょそこらの凡人とは、わけがちがうんだぞ。どうしても食うというんなら、半分以上は孫さまに分けてよこせよ」

ちょっと、待て待てーい。
「どうしても食うと言うんなら、半分以上は孫さまに分けてよこせ」
っておい!マジか!これマジか……。
これが原典なんですね。原典なんですか……。

旅の序盤であれば、本気で三蔵を師とあおいでいるわけではなくて三蔵の隙をうかがって食うつもりがあるんだなってそれだけなんですが、今まであんなに大事にする描写があってのこの台詞ですからね。
欲しいけど、手に入らない存在に恋をしてしまった苦悩というか、思い通りにならない恋情を持てあましている様子を表している、と解釈するのは、飛躍していますかね?


妖魔たちは三蔵を食おうと考えて襲ってくるけれども、悟空からしたらいささか単純すぎるんですよね。その展開が。
俺なんか、その妖魔たちが狙いをつける、ずっと前から三蔵のことを欲しいと思ってるし、それが叶わないなら三蔵の身体だけでも食っちまいたいくらいの熱情でもって三蔵のそばにいるのに、ぽっと出の妖魔に奪われてたまるかよ、みたいな、なんかこじらせた幼なじみみたいな感情が伺えます。


プライドは高い悟空

金角銀角の母親と名乗る九尾の狐に頭を下げるのを悟空が嫌がる場面です。プライドの高さを垣間見ましょう。

まずは③

悟空は無念やるかたない思いである。俺が拝するのはこの世で三人だけなのだ。西天の如来、南海の菩薩、両界山で救ってくれた師匠と。だのに、いまこいつを拝さなければならないとは。ああこの屈辱も師匠の難を救うためだと、ぐっとこらえてすすみ入り、妖婆の前にひざまずくと、

シンプルながら悟空の無念さが伝わってきます。「この屈辱も師匠の難を救うため」という忠義が泣けます。

次は②

悟空は、胸の中で、
―おれは好漢をもってみずから任じ、これまでに、人を拝したのは、西天に仏祖を拝し、南海に観音を拝し、両界山で、おれを救ってくれた師匠を拝したことがあるだけだ。いまこの妖怪の前へ出て、もし俺がひざまずいて拝をしないと、きっと感付かれるだろう。これも師匠に会ったからこそ、おれまで恥をかくことになったわけだが、事ここにいたっては、それもやむを得ぬ―
 そう考えると悲しくて涙が出たが、しかたなく奥へ進み、妖婆の前にひざまずいて、叩頭し、

頭下げるのが嫌で、涙まで出る悟空w
この辺を読むとああやっぱり中国古典だなあ、と思います。序列とかすごい気にして敵には大きな態度で接することが多いですね。

①は


「この孫さま、腕があればこそ妖怪の子分に化けて、このばばあのところに来たんだ。だから、ばばあの前につっ立ったまましゃべるなんてことは、まず出来っこないわけだ。つまり、ばばあに会うには、なんとしてもひれ伏して叩頭しなければならん。
  おれさまは、人となり豪放をもって鳴らし、いままでに三回しか頭を下げたことはないんだ。西天で仏祖を拝し、南界で観音を拝し、両界山でおれさまを救ってくれた師匠を拝しただけだ。いまこのばばあを拝したとなれば、四回目ということになるが、五臓六腑が煮えくりかえる思いだなあ。
 ああ、お経というのはどれほどの値打ちがあるものなのかわからんが、このおれさまをして妖怪めに頭を下げさせることになったわけだ。もし、あのばばあの前にひれ伏して礼をしなかったら、きっと秘密がばれてしまうだろう。えい、くそっ!それもこれも、師匠が難儀していればこそ、おれまで屈辱を受けるわけなんだ」
と思ったものの、ことここに至ってはどうしようもありませんので、奥へとずかずか進んで行き、妖怪の前にひざまずいて申しました。

ばばあのオンパレードwばばあを拝するのは「五臓六腑が煮えくりかえる」という悟空w
「奥へとずかずか進んで行き、」というのがせめてもの怒りの表し方なんでしょうね。


次は銀角の容姿についての詩なんですが、空三とはあまり関係なかったんですが、どうしても放っておけなかった設定なので、紹介させてください。

灌口二郎に似た面構え
巨霊神とも見まがう姿

灌口二郎というのは顕聖二郎真君のことですし、二郎真君といえば凛々しい男前で通っています。巨霊神というのも山河の神で、巨大な姿というのが定説なようです。
つまり、銀閣はめっちゃ男前で、身体もデカい、ということですね。この設定あんまり書いてる西遊記の本、少ない気がする。ね、ね?
金角銀角が似ているという描写はないので、金角がどんな容姿をしているかはわからない(剣に髪の毛が巻き付いてた描写はあるので、長髪ということだけはわかる)のですが、イケメンでも銀角と並んだ時に美味しいし、ぶおとこでもショタでも銀角との対比と兄弟愛で美味しいなと考えた次第です。


八戒に邪魔される悟空

 銀角に捕らえられたものの、すぐに縄を解いて敵の部下に化けて隙を窺う悟空と、「本物の悟空は逃げ出した」と大声を出して悟空の足を引っ張る八戒の様子を見ていきましょう。

 銀閣、
「八戒のやつ、少しはましだと思っていたが、とんでもない野郎だ。口を棍棒で二十ほどひっぱたいておけ」
 悟空が棍棒をとって来ますと、八戒、
「お手やわらかに頼むぜ。ちょっとでも強くしたら、またわめきたてるからな。おたがい身内なんだから」
「孫さまがこうして化けているのも、すべてはおぬしたちのためだっていうのに、それでも逆におれさまの秘密をばらそうってのか。ここじゃだれも見破っていないんだ。それをわざわざ身内だなどとぬかしやがって」
「頭や顔はうまく化けたつもりでも、尻のところは化けてないぜ。赤い尻っぺたがふたつ、そのままじゃないか。だから身内だと見破れたのさ」
 そう言われた悟空、裏手の厨にこっそりしのびこみ、鍋底をかすって煤を尻になすりつけて黒くしてから出てきました。

本当に八戒は誰の味方なんだよ、という感じで足を引っ張るのですが(ここでは悟空だけ縄を解いて逃げたことをずるいと思っている)、八戒の見破り方が可愛いし、尻に煤をつけて黒くする悟空の猿っぽさが愉快ですよね。こういう細かい描写でキャラクターが生き生きしてきます。

感謝感激する三蔵

さんざん苦労して金角銀角を倒した後、三蔵の縄をといて助けたときの様子は②ではあっさりしています。

三蔵の喜びは限りない。

 え、そんだけ?みたいなw

 ここは①に詳しく描写してもらいましょう。

 三蔵、感謝にたえぬ様子にて、
「悟空や、そなたにとんだ苦労をかけたの」
 悟空、
「いやはや全くです。お師匠さまたちはじっと吊るされたまま痛みをこらえていれば、それでいいわけでしたが、こちとらは脚を休めるひまもなかったですよ。補給部隊の新兵より忙しくて行ったり来たり、いやそのめまぐるしかったこと。おかげで、やつの宝をかっぱらい、なんとか退治できましたけどね」

 「そなたにとんだ苦労をかけたの」と感謝されて、今回も照れるのかと思いきや、「いやはや全くです」という悟空の胸張り加減が可愛すぎませんか。
 本当は瓶の中に吸い込まれたり、なかなか宝物が奪えずに金角の叔父まで出て来たりして、悟空は結構大変な思いしてるんです。けど、その大変さを感じさせない報告というか、深刻味の薄い朗らかな報告をしていて、三蔵にいらぬ心配をかけないようにという配慮が裏にあるのではと勘繰りたくなります。


 金角銀角という強敵を倒した後の一行の様子を①で見てみましょう。

かくして馬に乗り、猪八戒が荷を担ぐ、沙悟浄がくつわをとる、孫悟空が鉄棒を手に先頭に立つして、その高い山をおり前進をつづけます。
 かれらがいかにして水辺に宿したか、風の中で斎をとったか、またいかにして霜や雨露をしのいだか、とても語りつくせるものではありません。

 次の難が始まるまでの間の記述なんですけれども、あのさあ、やっぱり普段の一行の様子みてみたいよ、空三クラスタとしてはさ。
 「水辺に宿した」時はなるべく乾いた地面を三蔵に譲って、弟子たちはちょっと湿った地面に寝て翌日八戒は鼻水出してたんじゃなかろうか、とか、「風の中で斎をとった」時は悟空が風よけになって壁をつくり、そのかげで三蔵が「もっと風を抑えてくれないと、斎がとんでいってしまう」とか文句言うから、悟空はヌリカベみたいに身体を変化させて「お師匠さまは世話が焼けるや」とか言ってたんじゃなかろうか、とか、「いかにして霜や雨露をしのいだか」とかぜひ聞かせてほしいんですけどね!「寒い」とか「濡れる」とか言い訳にして身体くっつけあう絶好の機会なんですけど!
 はぁ、この辺は二次創作で補っていくしかないやつですね。


知っている人は知っている烏鶏国でのエピソード


 烏鶏国直前に泊まることになった宝林寺ではエモいエピソードが満載

 宝林寺でいちゃつきあう空三をみてください。
②ではシンプルに

三蔵は馬を降りて山門の前までやって来た。見ると、上に五つの大きな文字がしるされている。
――勅賜宝林寺
 悟空、
「お師匠さん、誰が中へ行って、宿を頼みますか」
 三蔵、
「わたしが行こう」

 これだけの記述ですし、③では宿をとるシーンをこんな感じでまるっと省略されているんですけど

悟空が、大唐国から取経のため、西天に行く途中立ち寄った者だと名乗ると、僧官は、三蔵一行を奥の間に案内し、精進を運んで、ていちょうにもてなした。

 この宝林寺のエピソードはエモいネタが満載なので、細かく見ていきたいと思っています。
 ①です。とにかくケンカップルがいちゃついてるんだな、と思って読んでください。

 三蔵は馬を急がせ、まっすぐ山門の外まで来ました。悟空、
「お師匠さま、ここはどんなお寺なんですか」
 三蔵、
「わたしの馬は、いまとまったばかりだ。わたしの足の爪先は、まだ鎧から外れていない。それなのにわたしに、どんなお寺かときくのかね。なんという、もの知らずだ」
「でも、お師匠さまは子供のときからお坊さまで、たくさんの儒教の本も読んだ上でお経を学び、なににでも通じていらっしゃるんでしょう?その上で、唐王のご恩まで受けられたんですから、門の上に書いてあるあんなでかい字が読めないはずはないでしょう?」
「このなまいきザルめ!わけのわからんことばかり言いよって。わたしはな、いま西を向いて馬を急がせておった。だから、ちょうど逆光を浴びてな、おまけに門は埃だらけ、字が書いてあっても、見えるわけがないじゃないか」
 悟空きくなり腰をちょいと曲げ、二丈ほどの背丈になって、手を伸ばすや埃を払いのけました。
「お師匠さま、ほら!」
 そこには五つの大きい字で、
 ーー勅建宝林寺と書かれてありました。背丈をもとにもどした悟空、
「お師匠さま、中に入って宿をたのむのはだれにします」
「わたしが行こう。そなたたちでは、姿はみにくい、ことばづかいは雑、気ばかり荒くて態度は大きい。そんなでここのお坊さんを怒らせでもしたら、宿は貸してくれないだろう。それじゃまずいからな」
「それではどうぞ、いらっしゃいませ。もうなんにも申しませんですよ」

 もう解説いらないくらいじゃないです?もう最初から最後までいちゃついてる。
 何て書いてあるんですかぁ?って、からかい始めて、読めないって言われたらわざわざ背を大きくして門の埃を払いのけて(いちゃつきに術を使う人初めてみました)からの、からの、「お師匠様、ほら!」ですよ。「ほら!」ってアンタ、無邪気な……。ほら読めるでしょ、じゃねえんだよ、悟空も須菩提祖師に読み書き教えてもらってますからね、読めますからね。でも、師匠に読んでほしいんですよ、もう言葉を交わすだけで楽しいんですよ。付き合いはじめのカップルなんだよ。もうなんなんだよ、見せつけてんなよ。きわめつけは、弟子たちは醜いから私が宿を頼みに行く、と言った三蔵に「それではどうぞ、いらっしゃいませ。もうなんにも申しませんですよ」と言うんですよ。もう!その、三蔵のことはわかってますよ的な、こいつしょうがねえなあ的な圧倒的彼氏感。

 この二人のやりとりを、八戒と悟浄は死んだ瞳でぼーっと見てんのかなと思うと、もう笑っちゃいますよね。


 三蔵が宿を頼んだものの、すげなく断られて帰ってきたときのやりとりも見てください。まずは傷の浅い②から

悟空は、師匠の憂え顔をうかがい、
「寺の坊主め、あなたをぶったりどなったりでもしたんですかい?そんなにべそをかいたりして」
「悟空や、ここは、泊めてもらえないよ」
 悟空は笑った。
「あなたではだめだ。どれ、わたしがひとつ行って来ましょう」 

 悟空は三蔵が憂えているのにすぐ気付くんですね。そしてべそをかいている(また泣いてるw)三蔵に「わたしが行って来ましょう」と余裕で提案するスパダリ……。

 では①です。私はこの辺でわりと傷を負いました。

悟空は、師匠の顔に怒りがこもっているのを見てとって、進み出ると
「お師匠さま、この寺の坊主になぐられでもしたんですか」
「なぐられはしないよ」
 八戒が、
「いや、なぐられたんでしょう?そんなにべそかいて」
 悟空、
「どなられたんですか」
「どなられもしないよ」
 悟空、
「なぐられもしない、どなられもしない。だったら、どうしてそんなにがっくりきているんです。故郷が恋しくでもなりましたかね」
「弟子たちや、ここには泊めてもらえないよ」
 悟空、笑って
「それじゃ、ここにいるのは道士だけなんですな?」
 三蔵は叱りつけて、
「道士は道観に住まうもの、お寺にいるのは和尚だけだ」
 悟空、
「お師匠さまでは話になりませんな。和尚だけというなら、おれたちと同じこと。
  仏のみもとにいるからには
  すべて縁のある人ばかり
 と言うじゃありませんか。まあ、あなたはじっとしていらっしゃい。ちょいとおれさまが見て来ますから」

 「なぐられたんですか」「どなられたんですか」の連打ヤバくないですか。幼児の親ですか?三蔵に辛い思いをさせる者はたとえ人間であっても許さねえという悟空の強い思いが感じられます。
 「まあ、あなたはじっとしていらっしゃい。ちょいとおれさまが見て来ますから」の余裕っぷりもカッコいい。結局のところ、三蔵には経を読む以外のことは何もできないと思っているんですよね、まあ事実なんですけど。


 結局、悟空が寺の坊主たちを脅したので、全員正装して頭を下げ、三蔵を迎えてくれることになったのですが、その時の八戒の台詞も面白いです。


「お師匠さまじゃ、まるきり話になりませんな。あなたがはいって行ったときは、涙ポロポロ、そして口は油の瓶でもぶらさげているみたいにとんがらせて、ふくれていただけでしたぜ。ところがどうです、兄貴ならたいしたもんですな。やつらをぺこぺこさせ、迎えに来させたんですから」
 三蔵、
「このまぬけ!無礼にもほどがあるぞ、『幽霊でさえ、こわがるものは悪人だ』というではないか」
 三蔵は、ここの僧たちが地面に頭をうちつけてぺこぺこしているのを見ているうちに、なんとも気の毒になってきました。

 悔しい時には口を尖らせる三蔵可愛いですね。自分は冷たくあしらわれたのに、その僧たちがぺこぺこしてるのを見て気の毒になる三蔵の純粋さも愛おしくないですか。

 次は、三蔵一行の普段の様子が垣間見える台詞を八戒が言っていたので、ここもすかさず取り上げましょう。

「(略)あんたのおかげで出家するはめになり、旅のおともをすることになっちまった。それも、和尚になるはずだったのが、いまじゃまるで奴隷だ。ひるまは荷物をかついで馬をひく、夜は洩瓶(しびん)をぶらさげたり、せまいところで仲間同士あたためあいながら寝るという情けないありさまなんですよ。(略)」

 まず、聞き捨てならないのが、「夜は溲瓶をぶらさげる」。溲瓶って尿をためておく瓶ですからね。奴隷宣言しての溲瓶宣言ですから、自分の溲瓶ってことはないでしょう。となると、これが意味してるのは、三蔵の溲瓶に他なりません。
 うん、なるほど、夜は三蔵は便所に行かず、溲瓶で用を足すんですね。(電気のない時代だし、水洗トイレでもないし、暗がりで便所に行くのは危険なんでしょう)
 それはまあいいとして、「溲瓶をぶらさげる」ってまぁ、あれですか。三蔵は自分で溲瓶の中に用足しするんじゃなくて、弟子に瓶を持ってもらって放尿するってことでしょうか。


 ちょっと待って、おい。夜に何にも見えない状態で三蔵の股間あたりをまさぐる弟子がいるってことじゃないですか。しかも夜中にそんなお世話、八戒は言ってるだけで絶対してないでしょ。ぐうぐう寝てるに決まってるじゃん。そういう面倒な世話を喜んでしたがる一番弟子が出てくるに決まってるじゃん。

 はぁ、溲瓶ってパワーワード過ぎませんか、ねぇ?

「この辺ですか、お師匠さま」
「いや、もう少し奥の方だ……」
「もう面倒ですね。俺がちょっくら失礼して、瓶口にあてがえさせていただきますよ」
「あ……。ちょっ……、あの」
「尿意を催されて大分我慢されてたようですね。半勃ちじゃないですか」
「……いらぬ報告じゃ」

 みたいなさあ。もう二次創作できちゃったじゃん。やだもう。

  2022.7.5追記 辛抱たまらず書きました。


はぁ、溲瓶でこんなに萌えるとは思わなかった。油断していた。

 さらにですよ、「せまいところで仲間同士あたためあいながら寝る」っておいおい、詳細をもっとくれ。一番見たいシーンじゃん、何通りでも二次創作で読みたいやつじゃん。
 わざわざ「せまいところで」って言ってるってことはさ、身体を密着させてってことじゃないですか。それでお互いの熱を分け合って眠るんだってよ!もう!尊すぎて腹が立ってきたよ。

 難にあってない普段の一行の様子を誰かかいてくれないか。うう。


 次は、三蔵の頭を揺さぶって悟空が起こすシーン。
 ①です。

三蔵たちは、今夜も禅堂にいたのですが、もう一更(午後八時ごろ)になろうというのに、悟空は気がかりなことがあって、なかなか寝つかれません。そこで寝床からころがるように起きあがり、三蔵の寝台の前に行き、
「お師匠さま」
と呼びかけました。三蔵はまだ寝ついてはいなかったのですが、悟空がなにかおじけづいたのかもしれぬと思って、眠ったふりをしていました。すると悟空は、三蔵のまるいお頭をなでたり、むちゃくちゃに揺さぶったりして、
「お師匠さま、なんだって寝ちまうんです」
と起こすものですから、三蔵は怒って、
「このろくでなしが!いま時分まだ寝もしないで、なにをさわいでいるか」
「お師匠さま、ちょっとご相談があるんですが」
「なんだ?」

 午後八時頃で既に深夜みたいな書き方が可愛いですよね。電気がない時代の生活は太陽と共に生活しているから朝が早くて夜も早く寝てたんだろう、と思いを馳せます。
「三蔵のまるいお頭をなでたり、むちゃくちゃに揺さぶったり」する悟空の遠慮のなさ、いいですよねえ。もう三蔵の頭は自分のものと言いたげですらあるw

 「お師匠さま、なんだって寝ちまうんです」の言い分も良い。そら夜だし、寝るわw悟空は神通力の使い手ですから、三蔵が狸寝入りしていることくらいお見通しでしょうし、自分が呼びかけてるのに反応してくれないことにちょっと拗ねて頭を揺さぶってると思うと、もうイチャイチャにしか見えなくなってきますよね。
 しかも、三蔵も怒ったかと思いきや「相談がある」と悟空に言われてすぐに「なんだ」と答えてるし、全然怒ってないじゃんwみたいな。ありがてえありがてえ。

同じシーン、③ではこんな感じです。

 悟空はその夜、三蔵を護って禅堂でやすんだが、一更(夜の八時ごろ)近くなっても、心中思うことあって眠れない。起き上がって、三蔵の寝台の前に近寄り、
「師匠」と呼んだ。三蔵は眠ったふりをして応じない。悟空は三蔵の坊主頭をなでまわし、ゆすぶって、
「師匠、もう眠ってしまったのですか」
 三蔵はおこって、
「このいたずら者め。まだ眠らず、何をわめいておるのか」
「ちょっとあることでご相談したいのです」
「どのようなことだ」

 ちょっと訳が固めですよね。
 それでも、坊主頭を「なでまわし、ゆさぶって」いることには変わりない。てか、「なでまわし」ってちょっと色っぽくないですか。どんな手つきでなでまわしたんですか。怒らないから詳しく教えてください。

 そうなると、三蔵が怒ったのも、眠りを妨げられたからでも、頭を揺すぶられたのが煩わしかったからでもなくて、悟空の手つきにちょっと気持ちよさを覚えてしまった自分に腹が立っていたという解釈もできますよね。


妖怪に騙されて井戸に突き落とされた国王の死体を取りに行く


 さて、八戒に井戸の中の死体を引き上げさせる時に悟空と八戒が言い争う場面。どうしても聞き捨てならない悟空の台詞があります。

 まず①です。悟空の台詞から始まります。

「その死体が、宝ものなんだぞ。どうしてかついで来ないんだ、あほんだら!」
「死んでからしばらくたってるぜ。そんなもの、かついで来てどうするんだ」
「そうか、言うことをきかんのなら、おれさまは帰る」
「どこへ帰るんだ」
「寺に帰って、お師匠さまとおねんねだ」

 ねえ、「お師匠さまとおねんね」ってさぁ……。ねえ、そこ「お師匠さまと」って言う必要あった?それと「おねんね」ってさぁ……。どういうこと?幼児語使うってことはつまり、同衾するまたは添い寝するのを可愛く言ったわけ?ねえ、二人は一緒に寝るの?

 なんなの?匂わせなの?明や清の時代から匂わせてるの?時代を先取りすぎでは。

 このシーンが幻覚でなかった証拠に③でも同じような台詞があることを、あなたも確認してください。

「それが宝物なんだ。どうしてしょって来なかった」
「あんなのしょって来て、どうしようってんだ」
「しょって来ないなら、俺は帰っちまうよ」
「どこへ帰っちまうんだ」
「寺に帰って、師匠と寝ちまうよ」

 ね?ね?あるでしょう。「師匠と寝ちまうよ」って言ってるんですよ。幻覚じゃなかった……。

 いや、でも待って。落ち着いて。
 この巻数までいくと、今まで見てきた通り、かなり悟空のデレっぷりが明らかになってきてはいるけれども、冷静に考えればまだ一緒に寝るというほどの関係ではないはず。(さっき頭を揺さぶって起こしていた時も「三蔵の寝台の前に近寄り」と記載があるから、二人は別の寝台で寝ていることは明らか)

 それならなぜ「師匠と寝ちまうよ」と言ったか、なんですよ問題は。

 そばに寝てるよってことが言いたいの?おれと師匠は同衾してなくても心は一緒に寝てるんだよってことが言いたいの?もう!はっきりしてください!

次は小学生の私にトラウマを与えた、死体と悟空の口付けシーン。

まずは①です。


「(略)息が絶えているだけのことだから、だれかがひと口、プッと息を吹きこんでやるがよい」
 すると八戒が、息を吹きこんでやろうと前に出ました。三蔵、それをひきとめて、
「お前の息ではだめだ。やっぱり悟空がいいだろう」
 三蔵の言うことも、もっともで、もともと八戒はガキの時分から殺生をやり、わるさをして、人を食らったりしてきましたので、息が濁っているのです。そこへいくと、悟空のほうは、ご幼少のみぎりから、松や柏をかじり、桃を食べたりしているものですから、息は澄んでいるのでした。
 悟空は前に出て、その雷公みたいな口でもって、国王のくちびるをふくみ、フーッとひと息、のどへ吹きこんでやりました。

 小学生の私は推しCPのキスが来ず、死体とのキスシーンがあったことにショックを受けたのですが、どうでしょう。みなさま、涙しておられないですか、大丈夫ですか。
 八戒にやらせればいいのに(言い方)、三蔵が「やっぱり悟空がいいだろう」と悟空を指名するんですよねえ。悟空の心中の描写がないのですが、一体どう思ってるんですかね。心から口付けしたいと思っている人から、「お前が死体に息を吹き込め」と指示されるんですよ。真性のMでもないかぎり、泣いちゃいません?

 花果山にいてまだ須菩提祖師の修行も受けていない時は人を喰らっていたと自分で言っていた悟空ですが、そのことはここでは触れられないんですよね。忘れられてんのかな。
 まあ、何をどう言っても一番息が澄んでいるのは三蔵ですけどね、三蔵は死体にキスしないんですよね。本人も弟子たちもそれがわかっていながら、だれも「三蔵がやればいい」と言わないあたりに、三蔵の甘やかされっぷりを感じます。

 別に私は真性のMでもなくて自分の傷をえぐりたいわけでもないですが、一応他の訳でも見てみましょう。

②です。


「死後、長いことたった死体は、精気が全くなくなっている。誰かひと息吹き込んでやったらいいだろう」
 すると八戒が近寄って、息を吹き込もうとするので、三蔵は、それを止め、
「おまえはだめだ。やはり悟空がいい」
 そもそも、八戒は小さい時分から、殺生をやり、人を食って来たので、息が濁っている。そこへいくと、悟空は、子供のころから松や桃を食べて潔斎しているので、息が澄んでいるというわけ。
 悟空は進み出て、雷公のような口に、国王のくちびるをふくみ、ふーっとひと息、のどの奥へ吹きこんだ。

 雷公のような口ってどんなんなんですかね。 

https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2017/03/2017_luo_692-676.pdf

  この論文を参照すると、明や清の時代には雷公の口は鳥の嘴だったとのことなので、悟空の口元も尖っていると解釈でいけるものと思います。なんとなく尖っていると猿っぽいしね。

③ではこんな感じ。


「生かせぬ道理はない。このように死んでから久しい死体は、精気が絶えてしまっているのだ。誰かが一息吹き込んでやればよかろう」
 八戒がすすみ出て、息を吹き込もうとすると、三蔵がおしとどめ、
「やめるがよい。やはり悟空にやらせよう」
 なぜかというと、八戒は幼時から殺生をしたり人を食べてきたりしたので、息が濁っている。悟空は小さいときから、松の実をかじり、桃を食べてきたので、息が清らかだからである。そこで悟空がすすみ出て、雷公のような口を国王の唇にあてがい、ぷーっと、ひと息のどの奥まで吹き込むと、息は丹田(下腹)までとどき、ほーっと音がして、国王の気が集まり、魂がよみがえった。


 三回も死体とのキスシーン読んで心挫けませんでしたか?大丈夫?

 ここで心の励みにしてほしいことは、悟空の息が清らかであることですね。清らかであるなら、三蔵とキッスしても問題ないよね、三蔵が汚れることはないね、そういや既に悟空の口から水を全身に吹きかけたことはあったね、あれも大きく言えばキッスの亜種ではあるよね。うんうん、気持ちが持ち直してきました。

二人の三蔵に困惑する悟空の可愛さ

国王に化けていた妖怪を追い詰めたところ、今度は三蔵の姿に変身してしまって悟空が困る場面です。

まずは①


 悟空、まことに不愉快です。そこへもってきて、八戒のやつがフフンと笑っているものですから、あたまにきて、
「このおたんちんめ!おぬしにはいま、ふたりの師匠がいるんだぞ。どっちも呼ばれれば、はい、と返事しなきゃいかんし、仕えなくちゃいかんのだ。それが、うれしいのか」
 八戒は笑って、
「兄貴は、おいらのことをばか呼ばわりするがね、兄貴のほうがよっぽどばかだぜ。見分けられんといって骨を折ることはないさ。兄貴が頭の痛いのをちょいと辛抱して、れいのおまじないをとなえてもらえばいいのさ。おいらと悟浄が、ひとりずつつかまえていて、そのおまじないに耳をすましているからよ。ちゃんと唱えられないほうが、化けもの、というわけだ。どうだ、かんたんだろ?」
「おとうと、でかした!たしかに、あのまじないのことは三人しか知らないんだ。もとはといえば如来がつくり、それを観音菩薩に伝え、菩薩がまた、わが師匠に伝えたもの。それ以外には、だれも知らないんだ。――よしきた、さあ、お師匠さま、となえてください」

 妖怪が三蔵に化けたことを「悟空、まことに不愉快です」と表す一文が、なんとも言えず味わい深いですね。でしょうね、不愉快でしょうね。殴り殺したいくらい不愉快でしょうねw

 八戒に対する「このおたんちんめ!」っていう、ののしり文句も可愛いです。なかなか最近聞かないですよね。
 「どっちも呼ばれれば、はい、と返事しなきゃいかんし」という、たとえ妖怪が化けた師匠であっても、本物の師匠がどちらかわからない限りはいうことを聞かねばならないという悟空の律儀さを感じてください。はい、愛おしい。

②です。


 悟空、心中いらだつおりから、かたわらで八戒が、鼻先で笑っている。悟空はかんかんになり、
「この阿呆、何をうれしがっているんだ!」
と、どなれば八戒、
「兄貴は、おれを阿呆、阿呆と言うが、おまえは、おれよりもっと阿呆だぜ。師匠の見分けがつかなきゃあ、少しばかり頭の痛いのをがまんして、あのおまじないを唱えてもらったらいいだろう。おれと悟浄とが、ひとりずつ、つかまえていて、聞いていてやるよ。唱えられない方が化け物だ。なんでもないことだろ」
「なるほどそうだ」
 悟空、そこで唐僧に向かい、
「お師匠さん、あれをむにゃむにゃとやってくださいよ」

 何やら隠語めいた「お師匠さん、あれをむにゃむにゃとやってください」という身内感が可愛くないですか。


③です。

悟空がいらいらしているとき、ふと見るとそばで八戒がにたにた笑っているので、悟空はかっと怒り、
「この阿呆、二人の師匠でこんがらかっているというのに、何をそんなに喜んでいるんだ」
と言えば、八戒は、あいかわらず笑いながら、
「兄貴よ、おまえは俺を阿呆と言うが、おまえの方がよっぽど阿呆だな。師匠がどっちかわからないからって、なにもそんなに苦労することはないだろう。ちっとばかし頭の痛いのをこらえて、師匠にあのお呪いを唱えてもらえばいいんだ。俺と悟浄で、一人ずつつかまえて、聞いてみるから。唱えられない奴が、化け物にきまっている。かんたんだろう」
「兄弟、まいったよ。まったくそのとおりだ。あの呪いの文句は、三人しか知らない。もとは如来が観世音菩薩に伝えたもので、菩薩がまた師匠に伝え、ほかに知ってる者は誰もいないはず。……では師匠、唱えてください」

 八戒が「にたにた笑っている」という表現が秀逸です。絶対にたにた笑うもん、あいつ。
 「……では師匠、唱えてください」の「……」が痛みに耐える心づもりをしていそうで、悟空の覚悟が感じられます。


本当を言えば国王になんていつでもなれる悟空


 妖怪を退治すると、三蔵一行のおかげで蘇ることができた国王は、王の座を譲ると言い出します。
 まずは①

「わたしは死んでからすでに三年、いま御僧さまのおかげにて、こうして生き返ることができましたのを、どうしてまた身勝手に王などと称せましょうや。なにとぞ、そちらの御僧さまこそ国王におなりください。わたしは、妻子ともども城外に行き、平民として暮らしていければ、それで十分、と念じているのです」
 ですが、三蔵、どうしてそれを受けるはずがありましょう。み仏を拝し経を求めることだけが、心を占めているのですから。すると今度は、悟空にたのむのです。悟空は笑って、
「ほんとのとこを言わせてもらいますぜ。この孫さま、もしその気になれば、この広い天下万国、どこへ行ったって国王にぐらいなれるんです。しかしね、おれさまも坊主の暮らしが身についちまって、ごらんの通りの風来坊だ。これで国王にでもなった日にゃ、まるめた頭は伸ばさなきゃならん、早寝はできず寝坊もできん、辺境に異変があれば心配だし、飢饉だ災害だとなれば心痛の種、ということになる。おれさまには、ちょっと辛抱できないね。だから、あんたはあんたで国王ぐらし、こっちはこっちで坊さんぐらし、功徳を積みながらの旅がらす、でいきましょうや」

 三蔵は多分黙って断ったんでしょうね。彼が王の座に全く興味がないことはよくわかりますw
 悟空の断り文句もすごく優しいですよね。「もしその気になれば、この広い天下万国、どこへ行ったって国王にぐらいなれるんです。」本当にその通り。てか花果山では現に王様だったわけだし。

 国王より旅僧の方が気楽だ、という言い訳ですが、どう考えたって国王の方が快適な暮らしできるに決まってる。三蔵のことを放っておけないからって言っちゃえばいいのに、もう。


③でも優しい悟空が見れます。


「わたくしは死してすでに三年。ただいま師父のおかげをもちまして、生き返らせていただきました。どうしてまた、自ら皇帝などと称することができましょう。どうぞ、そちらの師父を君と仰ぎ、わたくしは妻子を連れて城外に行き、民として住むことができますれば、それで十分でございます」
 だが、その言葉を三蔵が受けるはずがあろうか。かれはひたすら仏を拝み、経を求めることに専念している。そこで悟空に請うと、悟空はにっこりして
「ほんとのことを言えば、この孫さんが皇帝になろうと思えば、天下万国、どこの国の皇帝にでもなれるのです。ただ我々は、和尚というものになれきって、これこのように自由気ままの暮らしです。皇帝になったら、長髪を頭にのせ、日暮れても眠れず、国境に事が起これは(原文ママ)心落ち着かず、災害、飢饉を見れば、憂いははてしない。わたしにどうしてしんぼうできましょう。あなたはもとの皇帝にもどり、わたしはわたしで和尚をつづけ、修行をつみに行きますよ」


「我々は、和尚というものになれきって、これこのように自由気ままの暮らしです」そうですか。そうでしょうか。和尚というものになれきった人間はそんなにむやみやたらに暴力を振るわないとは思いますがw
 それでも素敵なヘッドハンティングの話を断って、当然のように三蔵のそばにいることを選ぶ悟空がもうエモエモです。


さて次も有名!紅孩児が出てくるよ!

まずは紅孩児が三蔵の容姿に驚く場面。

①で見てみましょう。

「すごい和尚だ!馬にまたがり、色が白くてふっくらしたのこそ、唐の聖僧にちがいない。それにしても、三人のぶざまな坊主どもにしっかり守られているのが気に入らんな。どいつもこいつも、手を伸ばして袖をたくしあげ、武器を手にして、いまにも打ちかかって来そうな気配だな。おっと、もしかすると、だれか目のきくやつが、おれのことを見抜いたかもしれん。とすれば、あの唐僧の肉を食うのは考えものだな」

 三蔵の容姿は色白でふっくらとしているということですから、おそらくもち肌なのでしょう。舞台は唐の時代ですから、ふくよかな人=美人の図式で、三蔵も美人であると解釈して良いものと考えます。悟空は三蔵が痩せないように気を使っていますし。

 紅孩児は幼児に化けて近づいてきます。悟空は妖怪だと何度も忠告したのですが、三蔵はそれを聞かない場面です。

①です。


 三蔵は手綱をぐいとひっぱると、悟空をしかりつけました。
「このばかザルめ、なんといういいかげんなやつだ!良心なんぞ、ひとかけらもなくて、やたらに騒ぎたてたり、凶悪なことをしたりするばかりじゃないか。わたしがあれほど、叫んでいるのは人間だと言ったのに、おまえは妖怪だとぬかしおって。見てみろ、あの木に吊るされているのは、人間じゃないか」
 悟空は、師匠が自分を悪く思いはじめたことと、妖怪の様子をじかに見たことで、ひとつには、いまは手出しができない、ふたつには、れいの緊箍呪がこわい、と思い、うつむいたまま、もう口答えもしませんでした。そして、師匠が木の下に行くにまかせていたのです。

 ほら、なんか思い出しませんか?妖怪だ、妖怪じゃないの争いですよ。

 そう、あの白骨夫人の悟空が破門されたエピソードに似ていますよね。一度破門された悟空はどうするかというと、もう口答えしないんですよね。うぅ泣ける。
 もう破門されたら困るから、とりあえず「いまは手出しができない」と考えて、黙っておく。悟空が愚かな師匠に合わせてアップグレードしてるんですよ。もう!健気っ。

 ②です。

 三蔵は、手綱をしぼって、悟空をののしった。
「この悪猿め、なんたる不届き者だ。わしがあれほど、誰か人が呼んでいるというのに、なんだかだと言って、化け物呼ばわりをしくさる。それ、あの木の上につり下げられているのは人間じゃないか」
 悟空は師匠がじぶんを疑いだしたので、口答えをひかえ、三蔵のするがままに任せた。

「化け物呼ばわりをしくさる」という表現が昔気質でいい感じです。


③です。

三蔵は見るなり悟空をののしって、
「この悪猿が、ずぶとい奴だ。わしがあれほど、誰か呼んでいると言ったのにつべこべ言いおって、とうとう妖怪だと言いはった。見てみよ、あの木に吊るされているのは、まさしく人間ではないか」
 悟空は、三蔵が疑い出したので、あえて何も言わず、するがままにまかせた。

「あえて何も言わず」ですよ。わがままで人のいうことを聞かない師匠に、弟子の方から合わせてあげるんですよ、なんていう優しさ。


 今回はここで終了です。長々とお付き合いありがとうございました。
 だんだんと悟空のデレに遠慮が無くなってきましたね。三蔵もそれに悪い気はしていないというか、ケンカップル上等だぜ的なやりとりに、おいらもわっくわくが止められねえや!

 もし、これを機に西遊記読んでみようと思われた方は、どの西遊記から手をつけるかに関してはこの記事を参照して頂けると嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?