この試みは、三蔵一行の旅をさまざまな訳ver.で味わいながら悟空×三蔵、すなわち空三関係の進展を見守っていくことです。
さて、まだまだ三蔵一行の旅は続いていきます。今回は通天河のエピソードがあるので、ちょうど天竺までの旅路の中間地点くらい。……中間地点かあ。まだ長いなあ。
でももう前回、一度目の破門を乗り越えた悟空からの気持ちはかなり固まっている様子が見てとれましたし、宝林寺でのいちゃいちゃケンカップルの様子を見ると、三蔵も好きなんでしょはいはい的なエモいシーンが多かったですけど、今回はわりと落ち着いたシーンが多いです。
まあ、落ち着いたといっても悟空と三蔵がお互いに思いやっているのが当然、というような関係になっていると考えてください。ほらほら、興奮してきたしてきた!
さて、今回も前回同様、この三冊から引用します。
①岩波文庫版 中野美代子訳「西遊記」
5巻(1988年)
②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳
「西遊記上」 (1972年)
③福音館文庫版 君島久子訳
「西遊記中」(2004年)
(①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、
「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、
②は明の時代の本をダイジェストにした
清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、
③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)
さてさて、続きをやっていこう!有名な紅孩児のエピソードの続きからだよ。
紅孩児編
三蔵をさらってきた紅孩児は、すぐ食べようとして衣服を剥ぎ取ります。
まずは①
裸の三蔵を洗う役目は子分に押し付けたわけなので、紅孩児はきっと三蔵の身体には興味がないんでしょう。ただの食べ物としか認識していないようです。
③ではこうです。
ただ、着物をはぎ取るのは紅孩児自身でやったようなので、これは悟空にバレたら「なんてことしやがる」と折檻ものですね。
次は、紅孩児の吹く三昧真火の妖火から逃げるために冷たい水の中に飛び込んだ悟空の息が止まってしまうシーン。悟空のお師匠様一筋の気持ちの強さと、珍しく頼りになる八戒が見れます。
まず③です。
おろおろする悟浄と、全然動じない八戒が可愛くないですか?可愛いですよね。
それと、いいですか。死にかけて(というか半分死んでて)生き返って最初に言う一言が「師匠」ですよ。こんなの愛じゃなくてなんなんですか。彼の頭の中には師匠しかいないんですよ。師匠の事しか考えていないんですよ。もう、なんなの……。こんなの、「好き」をとっくに超えてるじゃんね。
しかもその悟空の言動を「兄貴は生きている時も師匠、死んでもまだ師匠」と悟浄が受け止めているのがもう尊い。おとうと弟子からも温かく見守られている悟空×三蔵……。
こんなシーン何度でも見たいよね。①でも見てみましょう。(②は①とほとんど同じでしたので割愛です。)
①
「師匠」も良かったですけど、息を吹き返してすぐの「お師匠さま!」呼びも尊いですよね。これこそ、翻訳で楽しめる醍醐味……。
しかも、「猪さま」八戒が得意になっていますが、結局悟空は礼も言いませんw(本当にこの猿は八戒のことをどうでもいいと思っている)
この後、悟空は八戒の台詞を無視したまま、龍王に礼を言って帰ってもらい、師を思って泣きます。
そのシーンも①から抜粋
三蔵は取経という正果のために、唐を出てから散々苦労してきてるのに、今日もまたご苦労されて……と泣いています。自分が助かったことはどうでも良くて、妖怪に捕まった師が苦しんでいることがしんどい悟空、マジ尊くないですか。なんなんですか。愛なんですか。愛ですね。
次は、八戒が紅孩児に捕まってしまったシーン。三蔵が捕まった時と比べて悟空の様子と違うことに注目です。悟空は虫に化けています。
まずは①
八戒は自分では逃げることができないので、悟空が来たらお前たちなんかめっためたのぎったぎたにされちゃうんだからな、という虎の威を借る狐で悪態をついているんですが、「悟空、おかしくてたまりません」の余裕感と「このあほんだら」の見下し感w
全然八戒のことを心配してませんw
これが三蔵だったら「大丈夫ですか」だの「もうすぐ助けてあげますからね」とかなんとか言って慰めるのに、結局悟空は八戒に声をかけずに立ち去りますw
まあ、意外と元気そうじゃねえか、こいつと安心したせいかもしれませんけど、基本的には悟空ってそういう距離感なのかなって思います。三蔵との距離が近すぎて過保護っぷりが前に立ってますけど、誰に対してもそうなるわけじゃなくてやっぱり相手が三蔵だから世話を焼くという三蔵ベクトルの特異さをここで感じます。
②でも見てみましょう。
八戒の罵り漢詩を聞いて「腹の中で笑」う悟空が可愛い。
③では
こっちの悟空は「くすりと笑」ったらしいのでそれも可愛い。三つ見ていくと、やっぱり八戒がまだ意気を失っていないことを安心しつつも、多少馬鹿にしてにやにやしてる悟空の兄貴分さがいいですね。
さて、次は紅孩児が強すぎるので、観音菩薩に助力を頼んだシーンです。観音は三昧真火を消す水を入れた浄瓶(花瓶のような入れ物)を渡しますが、浄瓶は重過ぎて悟空には持ち上げることができません。竜女を運び屋として貸すのも嫌だなあと渋る観音の悟空評が容赦ないので、見てください。
まずは②です。
竜女と浄瓶の両方を悟空のものにされてしまうのではないかと危ぶむ観音の悟空への信頼のなさ、笑えます。
①ではもっと容赦ないです。
人をたぶらかすのが専門のろくでなしwww
ヤ○ザか何かでしょうか。
ただ、空三クラスタとしては、ここでなぜ悟空が龍女をたぶらかすと思われたのか、についてちょっと考えてみたいなと思います。天界で太上老君の仙丹、蟠桃園の桃、仙酒などなど、竜宮から如意金箍棒などの武具と装備一式などさんざん盗んだりぶんどったりしてきた悟空ですが、これまで誰か人をさらったりしたことはないんですよね。しかも美人に弱いという属性は八戒にはあるけど悟空には微塵もない。
それなのになぜ美しい龍女を一緒に行かせると、悟空がたぶらかすのではと観音が危惧したのか。それは、既にあの美しい三蔵が既に悟空にたぶらかされていると判断したからではないでしょうか。
違う!邪推じゃない!
深読みと言え!!
観音様はすべてお見通しなんですよ。三蔵の気持ちもなにもかも。
そう、これまであまり三蔵の悟空に対する気持ちが明確に描写されてる場面は少なかったですけれども、とっくに三蔵の方も惚れてるわけですよ。完全にたぶらかされちゃってるわけですよ。いや、正確には「たぶらかして」はないよね。悟空は誠心誠意、三蔵のことが好きなだけだもんね。
でも、観音からしたら、せっかく自分が唐にまで出向いて金蝉子の生まれ変わりを見つけ、袈裟と錫杖を与えて取経の旅に出させたのに、旅の途中で猿に気持ちを持っていかれおって……みたいな苦々しさを感じているのかもしれません。私の可愛い金蝉子を……的な。
で、まあ観音は結局悟空は信用ならねえってことで、龍女はつけず観音自らが浄瓶を持って一緒に来てくれます。どんだけ信用してないんだ。
いろいろあって、紅孩児は観音菩薩の弟子となりました。捕まっていた三蔵を助けるシーンです。
②です。
ふんふん、なるほど。別に普通ですよね。ただ、覚えていますか?紅孩児は三蔵を丸裸に剥いてから縄にしばりつけていたことを。
①です。
すっぽんぽんの三蔵を見つけた時の弟子の衝撃をもう少し……あの……、もう少し書いてはいただけないものか……。ほしい……、ほしい……。
でもやっぱり着物を着せるのは悟空なんだな、そこは八戒や悟浄にはやっぱり譲らないよねっていう謎の安心感すらある。
すっぽんぽんの三蔵が衝撃的すぎて前に書いたやつ。
車遅国編
次は妖怪の化けた三人の国師と術比べをする車遅国です。③の福音館版は部分訳なのでこの国まるごとカットされているので、①と②で比較していきたいと思います。
三蔵一行がこの国にたどり着く前、虐げられている僧侶の前に太白金星が現れ、「もうすぐ斉天大聖が来るから辛抱しなさい」と言いに来たんです、と僧侶が語る場面です。悟空の容貌が詳しく描写されているので、確認していきましょう。
気になるのは「でこぼこの額」ってところですけど、頭突きしまくったからじゃないよね?額が前に出ているってことかな。美人じゃん。
自分の高名さを広報してくれた金星に腹を立てたり喜んだりする悟空、めちゃくちゃ面倒な人ですね。(好き)
②では
漢詩の部分をどのくらい和訳するかで大分雰囲気が変わりますね。
ちなみにおでこの描写「磕額」をGoogle先生で調べてみたら「額をノックする」って出てきたから、やっぱり頭突きしまくって変形したおでこってことなのかもしれない……。わからにゃい。
悟空は三蔵が寝た後、いたずらのために悟浄と八戒を起こします。①にだけなんですけど、ちょっと見逃せない描写があるので見てください。
ここはきちんとした寺に泊まっていたはずなんですけど、布団足りなかったんですか。
なぜ一つの布団に寝てるんですか。
デキてるんじゃないのであれば、この描写が何のために入っているのかがわからんのです。
寺の貧乏さを強調するためだろうか??
いや、でもさ、足と頭をたがいちがいに寝てるってことは恋人ではない……のかな。あれあれプレイ中に寝ちゃったんですかね。
……深堀りはやめておきます。
三清観でのむさぼり食い
さて、悟空たちは三清観という道教の施設に行って妖怪の国師たちが供えた供物を食ってしまうことにします。その際に聖像に化けて食おうということになり元の聖像を捨てに行けと八戒に命じるシーンです。この施設は妖怪が化けた国師が大切にしている場所なので、敵にダメージを与えるためではあるのですが、三人はやりたい放題でただ楽しんでいるだけのようにも見えます。
②ではこんな文章になっています。
ところが①ではこんな感じ。
聖像を便所に捨ててこいとはさすがの悟空も言いにくかったのでしょうか。五穀が輪廻する場所という遠回しな表現で便所を指しているのですが、そのしゃれの効き方が中国古典ぽい。(あなたは中国古典をなんだと思ってるんですか)
部分訳の本はこの①②のどちらのパターンを選択するかで結構訳者の好みが分かれる部分でもあります。(私は断然五穀輪廻推しですが)
しかし、私が確認した限り、部分訳の本では五穀輪廻までは書いてあっても、投げ捨てた時に八戒の衣服の半分がクソまみれになったことまでは書いてあったことはないので、さすが原本の威力は半端ねえわと思ったりします。
何を食べたのかという描写では①では中野御大の大好きな「ものづくし」で述べてあります。
同じようなものを詳しくいくつも描写することで滑稽さを演出する「ものづくし」ですが、一つ一つ読み上げていくとそれぞれ頭の中に料理が浮かんできて絵巻物を見ているような気分にさせられます。
一方、②ではものづくしではないのですが
「風が残雲を吹き払うがごとく」という表現が素晴らしいです。
八戒はわかるとしても、ここからわかることは悟浄も結構大食いなんですね。普段は(八戒と違って)節制してるのだろうなあと、想像できます。
誰が望んだ聖水プレイ
さてさて、たらふく食った悟空たちは妖怪の国師たちに見つかってしまいますが、聖像に天尊が宿ったふりをしてだまし続けます。国師たちが「聖水を頂きたい」と望んだことがきっかけで聖水プレイが始まります。
(ほんとなんでもありな原本にこっちが引きます。いや、引かねえけど)
①は天尊のふりをする悟空の台詞がちょっと難しいんですが、②を後で読むとわかりやすいので、とりあえず読んでみてください。
飲んだよwwwwwwww
本物の聖水プレイだwwwwww
神通力で言えばチートキャラである悟空が、どこの悪ガキだよっていうレベルの低いいたずらしてるのがたぶん民衆の心を掴んだんでしょう、きっと。盛り上がったんだよ、通りの講釈で語られてる時に。「妖仙が大聖の小便飲んだ!」とか言ってさ。……平和だなあ。
八戒の「兄貴よ、あんたとはここなん年も兄弟づきあいをしているけれど、こんなおもしろいことはついぞしてくれなかったな。」という完全に面白がってるだけの台詞もわりと好きです。
同じシーンを②でもう一度。言葉がわかりやすいのはこっちです。
妖怪国師の羊力大仙が一口で「豚の小便」と当てている、その利き酒ならぬ利き尿に笑えます。
チート悟空の術比べ対決
さて、さんざん妖怪国師をコケにした翌日、術比べが始まります。
まずは雨乞いで、三蔵を台に上げようとするシーン。
①です。
「ちゃんと助けてあげますからね」の純度100%の優しさ!
それでちゃんと「しぶしぶ腰をあげ台に登」る三蔵のほだされ具合!
もうこの辺はお互い信頼で動いている感じがたまんないですね。
そして見逃せない八戒の「兄貴はお師匠さまを殺す気ですよ」というテキトーすぎるからかいw
②では、
「わたしがお助けしますから」と言葉は違っても優しさは変わらない。
雨乞いは悟空の力添えのおかげで無事に勝ちます。
次は高く積んだ禅台の上での坐禅勝負。なんでもできる悟空ですが、じっとしていられない坐禅は不得手だ、と悩んでいると、三蔵は座禅なら私ができると言って台に上がります。が、しばらくすると妙な動きを始めます。そのシーン。
まず①
師匠に何かあったと慌てる八戒と悟浄を尻目に、「坐禅ができると言ったら、ぜったいできるんだ。」と一分の疑いも抱かない悟空、ヤバないですか。絶対の信頼感。
しかも、いいですか。八戒と悟浄はそれぞれ「てんかん」「頭痛」と三蔵の内側に原因を見ていますが、悟空は三蔵ができると言えばできるのだから、もしできないとすれば外部からの邪魔が入ったに違いないと考え、すぐに様子を見に行きます。
②では
「師匠は誠実な君子だ」という一言に憧れと敬意が詰まっていますね。個人的には、「好きで好きで仕方ないけど、でもデキてはない」という雰囲気を感じますけど、いかがですか。
誠実な君子だからこそ、弟子なんかとは簡単に関係持てないんですよね。そして、そんな師のことが悟空は好きなんですよね。
坐禅勝負はもちろん三蔵の勝ちとなり、次は首斬り勝負です。これは、首を斬って、蘇生した方の勝ちというとんでもない勝負です。喜んで名乗りをあげる悟空に、三蔵は怖気ずく場面です。
ここは創作の多い西遊記本では作者の創意工夫が現れ、三蔵が泣いて悟空を引き止めたりすることが多い名場面なのですが、現本ではどのような描かれ方をしているか見ていきましょう。
まずは②
わお、シンプルwww
でも大丈夫。行間を読む空三クラスタならこれでも萌えられる。
「あとも見ずに出て行った」という表現からは迷いなく首斬り場に向かう悟空の背中が浮かんできますが、これってもしかしてぐずぐずしてると三蔵に引き止められることがわかってるからじゃないですか?ねえ?
三蔵が泣いてしまうとそれを振り切っていくのは悟空の心情的に辛いので、泣かれる前にさっさと出て行ったってことじゃないですかね。ね、そういう気の遣い方しそうだよ、この弟子はさ。それで、無事に生還した悟空に対して、師匠は「私に挨拶もせずに死ににいきおって。助かったから良いようなものの」とかなんとかぷりぷり怒るんだ、きっと。
一方、①はどうでしょう。
「悟空や、気をつけるんだよ。遊びに行くわけじゃないのだからね」がめちゃくちゃ可愛いと思いません?首を斬りに行くのに、「気をつける」も何もなくないですか?可愛いなあ。不老不死の身体の悟空と頭ではわかっていても、弟子の心配をして、自分のできる限りの表現で安否を気遣ってやる師匠可愛いですよねえ。
それに対する悟空も「さ、手をはなしてください。すぐもどってきますから」。こんなやりとり、恋人同士しかしねえやつだよ。やだもう。自分からは、はなさないんですよ、この男。三蔵が納得して手を離すまでは傍にいてやるんですよ、やだもう。好き
次は煮えたぎる油鍋の中に入る勝負なんですが、八戒達が笑いながらのん気に観戦しているのを見た悟空は「おればっかり苦労させられて」とへそを曲げて油の中で小さな釘に化けます。
突然油壷の中で姿を消した悟空に皆驚き、悟空は煮え殺されてしまったと三蔵が勘違いする場面。三蔵はさぞかし取り乱すかと思いきや、意外に落ち着いていて、悟空の供養をさせてほしいと国王に上奏します。
①です。
供養をして師弟の情をあらわさせてほしい、その後で罰として死刑になっても構わない、と三蔵は願い出てるんですよね。はあ。一番弟子への愛が重いよ。
「幽鬼となるも西天へ」と言ってるところは、初見では悟空の霊魂も一緒に天竺に連れて行ってやるからね、という意味かなと解釈をしていたのですが、あれですね、ここではもう三蔵は自分が死ぬ覚悟もできているので、現世では果たせなかった西天への到達を二人が霊魂になった状態で果たしましょう、って言ってるのかもしれないですね。死してなお結ばれている二人の絆……。ヤバいじゃん。急に限界闇落ちルートみたいな匂いがしてきましたね。
さらに、悟空が生きていたことがわかったときの三蔵の「悟空や!たまげて死ぬところだったよ」も可愛い。死ななくてよかったですね、師匠。
「兄貴ったら、ほんとに死んだふりをするのがうまいねえ!」の悟浄の台詞の無邪気さも、ほんと可愛いかよ。
ここで注目したいのは、悟空が生きてたことがわかった時に、三蔵と悟浄は驚いた描写があるのに、八戒にだけはないってことなんですよね。あんだけあほらしい漢詩読んどいて、生きてたってなったら「うへえ、殴られる!」とか慌てる描写があってしかるべきなんですけど、全然ないんです。
ってことは、あいつ、悟空が本当は生きてるってことを確信してて、わざと悟空に聞こえるようにあの漢詩読んでますよねw
犬猿ならぬ猿豚の仲とみえて、悟空の本当の力を一番理解してるのは八戒だというのが胸熱展開ですね。
(悟空と八戒は本当は裏でセ○レなんじゃないか妄想もわりと好きな人はこちら→)
②では
「丸裸のからだから油をしたたらせつつ、釜の底に棒立ちとなって」いる悟空ですが、気になるのは釜の大きさですよね。どこまで隠れているんでしょうか。どこまで丸裸の状態が見えてしまっているんでしょうか。
さてさて、次は通天河編
通天河という広い河について早速泣きそうになる三蔵を見ていきましょう。
まずは③
すぐ泣いちゃうんです、うちの師匠w
いや、まだ「涙声」ですからね。「まだ泣いてない」と怒られそうですね。
次は①
「三蔵はもうびっくりしてしまい、口はあんぐり、泣き声になって」の細かい描写が可愛い。どんだけ可愛いことをわからせたいのかw
宿を頼むにもいちいちいちゃつく
次は、すぐに河を渡る事は諦めて、宿を頼もうとする一行の様子です。
①
最初の三蔵の「お主たちはこわい顔をしているから」なんちゃら台詞に対する悟空の「はいはいお好きにどうぞ」的ないなし感が、もう彼氏感満載です。バカップル万歳かよ。もっといちゃついてください。
「美男のお坊さん」「醜いお弟子」と老人に言われて、その両方を少しも否定しない三蔵の心の強さがすごいですね。自分の顔には自信がある男です。
②では最初のいちゃつきは記載されていません。
こちらの三蔵は、「醜い」と言われた弟子のことを「顔かたちはよくないですが」とちょっとやわらかい表現に変えているのが優しさを感じます。
さてさて、家の中に入ってもまたひと騒動が起きます。
①
めずらしく三人の弟子を叱りとばす凛々しい三蔵をご覧ください。
「悟空たちとてぐうの音も出ません」と何も言えなくなってる醜い三人弟子たち可愛いですよね。お師匠様、お師匠様が知らないだけで車遅国でこの三人は妖怪をだまして小便を飲ませたんですよ、叱ってやってください。
②です。
こっちの説教はシンプルですが、やっぱり何も言い返せなくなっている弟子たちがかわいらしい。
③も見てみましょう。
「静まれっ」の響きがいいですね。それを受けての「弟子たちは、はっと静まった」が生きています。
さてお斎をごちそうになる場面ですが、一行の食欲のほどがよくわかる台詞があるので、①を見てみましょう。
お斎を世話してくれる下男の数で、それぞれの食べる量がどの程度かよくわかるってことですね。三蔵には一人、悟空には二人、悟浄には八人、八戒には二十人以上wやっぱり八戒と比べるから目立たないだけで、悟浄も大飯ぐらいなんじゃないか。
三蔵をはげますいつものパターン
そんなこんなでいつものごとく、通天河の化け物に三蔵が捕まってしまい、悟空が様子を伺いにくる場面。悟空はえびに化けています。
まず①
三蔵は生まれてすぐ川に流されているので、水難にばかり遭うのは「運命に過失でもあるのか」と言い、「旅を終えて無事に唐に帰れるのだろうか」と危惧しています。
師匠が弱気になっているとわかると、黙っていられなくなり「思わず叫」んだ悟空、愛を感じます。
悟空がはげまし、三蔵は「早くしておくれ」と望むのもいつものパターン。このシーンの後では悟空が「八戒!」と呼びつけた後偉そうにいろいろ指示します。そのギャップですよね。
師匠には「さあ、孫さまが来たんです」「ご心配なく」「だいじょうぶですったら」と優しい言葉をかけるくせに、その他大勢(豚含む)には偉ぶった態度しか見せない。悟空にとって三蔵がどれだけ特別な存在なのか、さあ、一緒にかみしめましょう。
尊いや。
②です。
こちらの訳では漢語がわりと生かしたままになっていますね。これも趣深い。
水難を恨む三蔵に、「水なければ長ぜず」と五行の水が表す意味を伝え、すなわち水難は三蔵の成長の糧となることを説明しています。この辺りは先導者としての役割ですね。
それを受けての「さあ、悟空がまいりましたよ」の衝撃ですよ。
自分が来たら三蔵が安心することがわかっていてのこの台詞ですよ。赤ちゃんが泣いてて、「はいはい、よちよち、ママが来ましたよー」っていう母親と一緒の精神ですよ、これ。
先導者でもあり、庇護者である悟空は、でも師ではなく弟子なんですよねえ。師匠に叱られるとだんまりしちゃって、破門されるのが何より怖い弟子なんですよねえ。この一見、逆転して見える師弟関係にこそエモさの源があるのかもしれない。
さてさて、今回はここまでです。
空三のエモさを感じつつ、旅に慣れてきた弟子たちのわちゃわちゃ感も可愛いシーンが多かった印象です。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
もし、これを機に西遊記読んでみようと思われた方は、どの西遊記から手をつけるかに関してはこの記事を参照して頂けると嬉しいです。