「サルゴンの法則」"Sargon's Law"について、及び「地獄への道は善意で舗装されている」説の欺瞞

 私は、古代メソポタミア、特にアッカド王朝について興味があり、ある程度専門的な論文も、日曜研究者として読むくらいには精通している。
 そんな私がある日、アッカド王朝の開祖でもある「サルゴン」について、少し論文でも探そうと思った時、検索のサジェストに"Sargon's Law"なるものが現れた。

「え!これ、もしかしてサルゴンの何かすげーテクストが見つかったんじゃね!?」

 と学術の場から遠ざかって久しい私は、そんな最新の知見に触れられることに胸を躍らせながら、そのサジェストを入力した。

 が、得られたものはというと、古代メソポタミアの「こ」の字も出てこない、歪な結果だった。
 というわけで、今回はこの「サルゴンの法則」なるものについて話していく。

 

サルゴンの法則

 さて、前置きでも話した通り、サルゴンの法則自体は、たまたま目に入っただけだったのだが、その検索結果、何故か最上位に出てくるのがurban dictionaryで、しかもその上位に来るのがTwitter、しかも文面からは「ポリコレがー」とか「SJWがー」みたいなのが目に入り

「あーあ、やべーの見ちまったな」

 というのが当時の私の実感であった。

 まぁでも、以前noteで「ネット言説」について話したこともあったので、「まあいい話の種ができたか?」と思い、その内容についてちょっと調べてみよう、と思ったわけである。

 まず第一に「この言葉の出所」を調べようと思ったのだが、イマイチ判然としたものが出てこない。というかそもそもurban dictionaryとかいう「まぁ、まず真面目に議論したい時には使わんサイト」程度しか、この言葉を詳しく解説してないものだから、しばらく頭を抱えたものである。
 
 そして、恐らく「アッカドのサルゴン」とは無関係の話であることは掴めたので、「無駄に歴史上の人物の名前使うなよ、ややこしいな」と憤慨しつつ、もはや唯一の情報源といっていい、urban dictionaryの内容を読んだわけである。すると以下のような短い説明が出てきた。

Whenever an ideologue makes a character judgement about someone they are debating with, that character judgement is usually true about themselves.

https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Sargon%27s%20law

 直訳しますと「イデオローグが、議論相手である他者の人格判断をする際には、必ず常にその人格判断とは、そのイデオローグ自身に当てはまる」といったもの。

 まぁ、特に哲学的な議論や統計的な調査が背景にあるわけでもなさそうなので、この短い一文をたたき台に、話をするしかない。

 さて、これはどういうことかというと、そのままurban dictionaryの例文を見ると、こういうことだそうだ。

SJW: 'You should always 'Listen and Believe' someone who claims to have been sexually assaulted'

Logical person: 'But what about due process and presumption of innocence? Surely if we always believe the victim then we are assigning guilt to the accused, just look at Duke & UVA to see why that is wrong!'

SJW: 'Wow, you're such a misogynist'

Logical person: 'And I expect that you have just proved Sargon's law'

ibid.

 どうでもいいけど、リベラル思想を毛嫌いする人たちが「論理的」を自称するのって、英語圏でも一緒なんだな、とかしみじみした。

 さて、この会話の要点を抜粋すると、

 SJWの「貴方は性的暴行を主張する人の言うことを常に聞き、信じるべきだ」という言説に論理的人物(笑)が「デュープロセスと無罪推定の原則がある」として、反駁するわけだが、それに「ミソジニストだな」と返され、そこで論理的ryが先の「サルゴンの法則」を持ち出すわけだ。

 話がかみ合ってないし、何なら「サルゴンの法則」の先の説明とすら、イマイチしっくりこない例文で更に頭が悩んだのだが、要するに「『差別主義者』みたいな文言で、他者を否定する人々は、むしろ彼らの方が『差別主義者』である」、と言いたいらしい。

 しかし私はこれを読んでいてふと思ったことがある。

「じゃあAに『差別主義者だ』と言われたBが、『サルゴンの法則で言えば、Aが差別主義者だね』とAに返した場合、つまりBは『Aは差別主義者だ』と言っているに同義なので、再びサルゴンの法則を適用すれば『Bは差別主義者である』ことになる」

 ということになんないですかね?

「無思想」という名の「頑迷な思想」

 さて、まぁサルゴンの法則について話そうと思ったが、あまりにアホらしすぎて、これについては言うことがない。というか「『馬鹿と言った方が馬鹿なんですー!』みたいな小学生の論理をまともに受け取る大人がいたんだな」というのが、正直な感想である。

 こんな幼稚な言説でも「法則」といえば、それらしく聞こえる(と思える)わけだから、実に面白い。

 さて、最近この「サルゴンの法則」も含め、「地獄への道は善意で舗装されている」とか「悪魔は善人のフリして近づく」とか「無能な働き者が一番問題」みたいなのをよく見るわけだが、これらの言説、私はあまり「納得度」がない。
 というのも「地獄の道なんて、誰にもわからんだろ」とか「詐欺師は、相手に合わせて騙し方を変える」とか思うわけであり、これらの言説がどういう経緯で生まれたにせよ、正直個人の「そうあってほしい」という「経験則未満の願望」程度にしか思えないというのが正直な感想である。
 
 しかし最近になって、これらの言葉の共通点を見出すことができた。それは「無行動・無思想の救い」である。

 どういうことか、詳しく説明すると、これらの言葉は「ある種の善行」や「善意や正義感」、そして「無駄な労力」が、むしろ「世の中を悪化させている」として批判している。
 つまるところ「善意より悪意の方がまだマシ」、「悪人より善人の方がたちが悪い」「無能は余計なことするな」というのがこれらの言葉の本音なのであり、言い換えれば「世の中を良くしたいと、行動したり、思想する者」への警鐘なわけである。何となく何を批判対象にしているかはわからなくもない。

 例えばハブ駆除のために「良かれと思って」マングースを輸入したら、守るべき生態系を破壊した、とか、「国のため」とか言って、反対勢力を容赦なく粛正する暴君、とかが想定されているのだろう。確かにその点において「善意が事態を悪化させる」ことや「正義の名のもとに残虐非道が行われる」ことは、確かであろう。

 だが先ほども少し述べた通り「地獄への道が何で舗装されているか」や「悪魔が何のフリをして近づいてくる」かは、後世の人間が過去の事件を振り返ったうえで、都合のいい事例を持ち出せば何とでも言えるわけである。もし私が「悪意で舗装された地獄への道」や「悪人然として近づく悪魔」の事例を収集すれば、容易に反駁が可能なわけである(更にこうした言説を本気で引用するならば、「地獄」や「悪魔」といった、宗教的な「悪」を、このように我々の現代社会に容易に適応可能かどうかの議論さえも必要になるだろう)。

 例え「無能な怠け者」や「有能な者」であっても、そして「善意など一切信じない冷笑主義者」であっても、悪魔に騙されるときは騙されるし、地獄行の道を歩むときは歩むわけである。むしろ私にとって、重要だと思うのは、「自分の進んでいる道が地獄行であること」に気づいたときや、「自分が信じている存在が悪魔である」ことに気づいた時に、自分の歩む道と信じる相手を変えることができるか否かであるように思う。

「いやいや誰でも騙されるのはわかってるけど、重要なのは善人の方が簡単に騙されるし、善意の方が破滅を歩みやすいってことだろ?」

 と言いたい人もいるかもしれない。
 
 だがそれも結局は同じ答えを返すしかないのだ。

「何故貴方に誰が騙されやすくて、破滅するのかがわかるのか?」

 そして、一時的に破滅しているように見えても、騙されているように見えても、更にマクロな視点で見れば、彼らの行く末には天国があるかもしれないし、もしかしたら「善人のフリをした悪魔のフリをした天使」かもしれないわけである。それこそ、「最後の審判」が下るまで、自分が悪人なのか、地獄行きかなんてわからない。

 もし論理的でありたいのであれば、一旦「地獄へ行きやすい」とか「悪魔に騙されやすい」みたいな、根拠のない宗教的な経験則から脱却すべきであろう。
 
 「善意」や「正義」に基づいて動く人たちを「地獄行」だと言えば、それに当てはまらない自分が「天国行」だと思えるのかもしれない。環境問題や社会問題に取り組む人たちを「地獄行」と言うことは、自分が「問題に取り組まない」エクスキューズとして、都合のいい文句なのかもしれない。だが現実には、誰が悪魔で、誰が地獄行かを決定づけるような、都合のいい「予定説」は存在しないのだ。

あとがき

 さて、「ネットで流行ってる言説を批評しよう」、の第二弾だったわけだが、以前のnoteから結局三年以上経ってしまった。実際色々やりたい話は多かったのだが(今回扱った「地獄への道は善意で舗装されている」とか「悪魔は善人のフリして近づく」とか「無能な働き者」も何か書こうと思っていた)、結局、先述のように「批評内容が一緒」ということも多く、また原典に立ち返りサーチしても意外と「はっきりとした出典と背景」がそれほど明解でないことが殆どであった。なので今回はそうした書きかけnoteの供養も兼ねている。
 

 しかし実は第三弾の内容は決めていて、かなりリサーチも進んでいるものがある。今回は薄っぺらい内容の謝罪も兼ね、この次回予告をしておこうと思う。次回の内容は「男性の性犯罪率は、ポルノや性風俗が無くなれば増加する」という言説に関して追求するものである。まだまだリサーチや内容の推敲をしている段階なので、もう少しかかると思うが、興味のある人は気長に待っていただきたい。

おわり

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