見出し画像

「何をするか?」ではなく「どこに入るか?」になりがちという話

小学生に「将来何になりたい?」と聞くと,「サッカー選手!」「お菓子屋さん!」「野球選手!」「先生!」「研究者!!!」と,いろいろな職業が挙がります。

そして,小学校を卒業し,高校を卒業し,大学を卒業する頃になると,なぜか職業の名前で職業を語る人の割合が減っていくように思います。

質問は「どこの会社に入る?」になり,回答は
「ANA!」「三菱UFJ銀行!」「伊藤忠商事!」などなど,あるいは「公務員!」になっていくのです。

どこで?

この調査でも「何をする?」ではなく「どこで働く?」が主眼になっています。

全ての職業についてではありませんが,日本では所属するときにはサラリーマンという何でも対応できる人として入り,そして何になるかは入ってから決まっていきます。このシステムは,世界的に見ても少々独特のようです。

することから場所の話へ

小さな頃は職業名を答えていたのに,成長すると自然と「どこに所属するか」という問題になっていきがちなのは,なかなか興味深い現象です。巷ではそれを「夢ばかり見るのではなく現実を見るようになる」なんていうふうに言うのかもしれません。

想像してみれば,子どもたちはずっと「どこに所属するか」を考えながら成長していきます。中学受験をする生徒であればどの中学校に入るか。高校受験でどこの高校に入るか。そして,大学受験でもどこの大学に入るかが関心事の中心です。

「大学に入る前にどの学問を学ぶかを考えなさい」とは言いますが,実際入学前に決めるのは情報も少なくちょっとした印象や流行で左右されてしまいがちです。そこを突き詰めて考えるのも難しいので,どこに入るかというやり方になってしまうのかもしれません。

そしてこの延長線上で,大学を出た後に「どこの会社に入るか」を考えてしまうのも致し方ないことなのかもしれません。

学歴ロンダリング

少し話は変わりますが,大学院に進学するとき,学部の入試段階を基準に考えたときによりよいと思われる大学院に入っていこうとすることを,「学歴ロンダリング」と言ったりします。

この揶揄するような言い方も「何をするか」ではなく「どこに所属するか」を中心に考えてしまうからではないでしょうか。

大学院なのですから,大学選びよりもさらに自分が研究したいことつまり「すること」を中心に考えれば良いと思うのです。大学院は主体的に研究することが求められますので。

評価する側も,「どこにいるか」ではなく「なにを研究したか」で評価しやすいのが大学院ではないでしょうか。ですから,もしも「学歴ロンダリングについてどう思いますか?」と聞かれれば,「やりたいことができるところを目指してはどうですか」が答えになります。それが可能になるのであれば,どの大学でも本来は構わないはずです。

どこに入るかの問題なのに何になるかを問われる

一般的に,学生たちが就活で「どこに入るか」を決めるときに問われるのは,「どこに所属するか」ではなく圧倒的に「何になるか」ではないかと思うのです。それは,そのような考え方をするように学生たちに求めてもいます。

自己分析をし,自分が何に向いているのかを一生懸命に考え,「よし,これが自分に向いている!」と決めていきます。いや,なかなかそう簡単に決まるものではありませんが。

それに「自分が何者か」を考えることは,とてもきつい作業です。ここで精神的に追いやられる学生も多いのではないでしょうか。

さらに皮肉なことに,それを表面的には求めているように見えながら,現実に求められるのは「自分のところに入ってきてくれる良さそうな人」のようです。就活中はこのギャップに苦しめられているように見えてしまうときがあります(あくまでも印象です)。

所属の罠

「どこに所属するか」を重視すると,今所属しているところを絶対視しがちになりそうです。所属しているところに問題があってもなかなか告発できないとか,不当な待遇のもとにいてもなかなか言い出せなくなってしまうとか,自分は経営者ではないのに経営者目線で考えてしまうとか……。

一歩引いて「何をするか」を中心にしておけば,所属は「すること」をもたらしてくれる存在になります。すると,もっとうまく「すること」をもたらしてくれる場所があれば,そこに移っていくことへのハードルも下がりそうです。「すること」をもたらしてくれるのが会社じゃなければ,それでも構わなくなる場合もあるというわけです。

これは,社会と自分が一体になることにも通じるように思います。自分と社会が切り離された上で社会に参加していると,何か問題を告発することは社会を良くすることにつながる行為です。でも,社会と一体化していて分けられない存在だと認識すると,社会を告発する人は「自分を攻撃する人」とか「迷惑をかける人」としか思えなくなってしまいそうです。

好きなことをしているのだから

「やりたいこと」を追求している人を見たときに,「好きなことばかりしやがって」と思ってしまうのも,「好きなことをしているのだから多少のことは我慢できるでしょう」というようなことを言いがちなのも,「所属」が中心で「すること」が中心ではないことが多いことから来るのではないか,と想像してしまいます。

ここから先は

0字
【最初の月は無料です】心理学を中心とする有料noteを全て読むことができます。過去の有料記事も順次読めるようにしていく予定です。

日々是好日・心理学ノート

¥450 / 月 初月無料

【最初の月は無料です】毎日更新予定の有料記事を全て読むことができます。このマガジン購入者を対象に順次,過去の有料記事を読むことができるよう…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?