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鷹の目

もう十年以上昔の話だが、どうしてもう一歩前に出なかったのだろう、と今でも思う。
これは偶然居合わせた警察官による逮捕劇である。
逮捕された人はかなり酔っているのか大暴れしていて、見ての通り数人で抑え込んでいる。
とっさにカメラを取り出してはいた。
いつもの平和な商店街が別の表情を見せた瞬間でもある。
遠巻きに見つめる人達の表情も入れよう。
ただし公務の邪魔になってはいけない。
そんな事を考えながらファインダを覗く。
絞りもシャッタースピードも考えない。
こういう時にコンパクトカメラのフルオートは楽である。
何かしようにも、しようがないのだ。

一枚目のシャッターを押した時「ガシャッ、ジー」と云う音に、ぼくの周辺にいた数人が振り返った。
ぼく自身も驚いた。
音が大きいのだ。
それで怖じ気づいたのかも知れない。
他には何に対してだろう。
警官に叱られる事だろうか?
それとも被疑者がこっちへ向かって来る気がしたのだろうか?
最初の一枚を押さえてから、もう一歩前に出るのが精一杯になってしまった。
手ぶれもして居る。

散々「スナップは反射神経」的な事を言っておきながら、この体たらくだ。
我ながら情けない。

これがライカであったなら、と思う。
恐らく最初のシャッターで周辺の人達を驚かす事もなかった。
ライカのシャッター音は「チャッ」という程度だ。
マニュアルフォーカスなので合焦が迷うといった事もなく、ファインダを覗いたまま何度もシャッターボタンの半押しを繰り返す事もなかった。
言い訳になるが、そういったいわば「余計な事」で気持ちがぶれる事が、ライカであれば少なくて済むのだ。
先達がスナップにライカを愛用した理由を得心する。

KYOCERA TD は 1986 年に発売されたコンパクトカメラである。
ヤシカが京セラに吸収合併され、その後発売されたTシリーズの最初のモデルになる。
特徴は何と云ってもレンズにある。
カール・ツァイス テッサー 35mm F3.5 T* を搭載している。
ツァイスのレンズに就いては、いまさら語るまでもないだろう。
三枚四群のシンプルなレンズ構成は、歯切れの良い描写をする。

その日は雨模様であったので、朝持って行くカメラを選ぶ時にコンタックス T2 とこれのどちらにするか迷ったが、濡れるかも知れないという事でTDを持ち出す事にした。
TD は本当に久しく使ってなかった為でもある。
たしかこれは数百円で手に入れたのではなかったか、と思う。この手のプラスチック製ボディのコンパクトカメラは、当時本当に気の毒な状況にあった。
金属ボディの一眼レフで有れば、何らかの値がついたのでもあろうが、もうこの辺りのカメラはひと山いくらの世界だった。
それがいかに定価が五万円以上した物であっても、だ。

コンパクトと書いたが、現在の目からすればコンパクトではない。
その上、ストロボの発光禁止ボタンがある。
つまり通常の状態ではストロボが発光するのである。
このボタンが厄介で、発行させたくない場合(ぼくの場合はほとんどがこの場合になる)シャッターを押す際には同時に押し続けなくてはならない。
コンパクトカメラは片手でも撮れる、という感覚がどこかにあって、この手間を思い出した途端に持ち出したのを後悔した。
傘を差した状態で、両手を使わなければならないカメラは困るのだ。

AFは、もう現在の水準からすれば「トロい」の一言になるが、これは時代なのであってあれこれ言うべきではないだろう。
見た目ほど重くないのが救いだろうか。

詰めるフイルムを選ぶ時に、またさらにヤヤコシイ選択をしている。
何故か二四枚撮りのILFORD XP2 Super 400(このフィルムは町のDPEでカラー現像ができるモノクロフィルム)が一本だけあって、それじゃこれを使ってDPEに出すか、と思ったのだが、ふと何かでこれをモノクロ現像液でも現像出来ると書いてあったのを思い出しページを探してみた。
探し当てたデータがR09 ONE SHOTを1:100希釈、二〇度で二時間の静止現像だった。
対応する実効感度が200〜800とされていて、仄暗い雨模様であるのでISO 800で撮影しようと決めた。

決めたのは良いがTDはDXコードを読み取って感度設定するので、そのまま使うと設定はISO 400になる。
勿論そのまま現像しても対応の範囲内だが、ここはパトローネのDX コードを削って偽装する事にした。シャッタースピードを稼ぐ為である。
WEBで探せば幾らでも出て来る方法であって、カッター等で削れば簡単に細工出来る。

静止現像のメリットとして挙げられるのは先鋭度が増す事だが、これは見かけ上の事であって、明暗の境界で起こる現像液疲労の不均衡が生む境界効果という物らしい。
そのあたりを詳しく書いていると、もう一つ位は記事が書けてしまうので程々で止めておくのがいいだろう。
見かけ上であっても確かにシャープさは増している様に見えるし、テッサーの性能も相俟って、今までXP2をC-41現像して得られた画よりも切れがいい。
濡れたビールケースの描写などはちょっとした物である。

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