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ほっつきある記27

母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷うすいから霧積きりづみへいくみちで、
渓谷たにぞこへ落としたあの麦藁帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
ぼくはあのときずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき向こふから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどたうたうだめだった。
なにしろ深い谷で、それに草が背丈ぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき旁で咲いていた車百合の花は、もう枯れちゃったでせうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。

母さん、そしてきっといまごろは
今晩あたりは、あの谷間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光ったあの伊太利麦の帽子と
その裏にぼくが書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに寂しく。

帽子 西条八十

ここにいる間、ずっと脳内にこれが流れていた。
ヤマヒルにおびえつつ。

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