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赤羽橋へ行った帰りに笄橋を経由する

こうがいとはなんぞやと調べてみると、髷を結っていたころの髪結の道具だという。
それを髪飾りにしたのがかんざしということらしい。

麻布あざぶという土地は諸説あるが「麻」の産地で、この辺りには「麻の布」を織る農民が多くいたことからと言われている。
麻の布は遺体を包んだりするのに使われたとされていて、そういった仕事をするのは「穢多・非人」と呼ばれた士農工商から外れた被差別民であったことから、この辺りはあまり良く言われないこともあるらしい。

まあそうでなくても、東京は「谷」が多く、この麻布も周りを丘に囲まれた低地であるので、湿気などの問題もあって、特に木造家屋が多かった時代には建物の寿命に結びつくからなおさらだったのかもしれない。

元麻布に善福寺ができて、その参道として麻布十番に活気が生まれ、江戸のころには中級の武家屋敷が建ち並ぶエリアも誕生したという。
幕末に善福寺は初代アメリカ公使館となったり、現在も元麻布は大使館などがあり、街行く人にも外国人の姿が多く見られるところである。

今日は修理に出していた車が戻ってきた。
工場がちょうど麻布と赤羽橋の間なので、帰りに文中に出てくる暗渠になっている笄川にかかっていた笄橋跡に立ち寄ってみた。

広尾の方から行くとキラー通り(このあたりはそうじゃないか。外苑西通りだな)を進み西麻布の手前、アートサイロビル横を入っていく。
この写真だと左手が牛坂で正面の方向が西麻布になる。
つまりこの道路の下には笄川があるということになる

しかし今日も暑くなった。
信号待ちには木陰を求めて立つ

だからなんだ、という話ではある。
ぼくはこういう話が好きだ。
ここはかつてこういう物があった。
こういうことが起きた。
こんな雰囲気だった。
その土地に染み付いているはずの「土地の記憶」をたどってみるのだ。

表面は塗り替えられても、その土地に刻まれた記憶は「削除」されることはなく「上書き」されていく。
まるで男女の心理みたいな話だが、ぼくはそう思っている。

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