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水難事故

(2015年の記事です)

まあ怖い話の季節である。
テレビなんかでもボチボチやってるし、コンビニでも書籍コーナーで稲川淳二さんが怖ろしげな表情で写っている DVD が売られていたりする。
売られているという事は、ちゃんと需要があるという事だろう。
今日はそんな話である。
といっても、僕が直接幽霊を見たとかではない。
知り合いの友達とかいう赤の他人の話でもない。
今週に入って、僕は三重県の県庁所在地である津市に仕事で出向いた。
泊まる距離ではないので車で通う事になった。

仕事は先方が理解力のある人だったので、これが驚くほどスムーズに進んだ。
余裕が出来たせいか、先方の担当者と色々話す事が出来た。
実はこれが結構珍しい事だったりする。
向こうもこっちもいっぱいいっぱいだったりすると、もうこれは一触即発なヒリヒリした雰囲気の中で仕事をする事になるが、そんなパターンの方が多いのだ。
昨日の事。
僕は与太話の序でに「津市といえば …」と、古くから聞く怪談話を担当者にふってみた。
本当に何の気もなしに、である。
彼は「あー...」と言うと、暫く何かを考えてから「ここから近いですよ」と場所を教えてくれた。
「まぁ、いわゆる心霊スポットですよ。若い連中やらが行くんですね。ただね、本当に大勢の方が亡くなっている場所だし、ご遺族も存命の方がいらっしゃるので、あんまりそういう目的で行かれるのはどうかと思いますけどね」と、やんわり、否、かなり辛辣に抗議されてしまった。
自尊心から言うのだけど、僕とて心霊スポット巡りをしているわけではない。 話の途切れた瞬間にふと昔に読んだ、とある水難事故を思い出したのである。
橋北中学校水難事故」である。
この事故は事故原因が特定されないまま刑事、民事ともに結審している。
ただ生存者である方が1963年に女性誌に寄せた証言が何とも不可思議な物で、それがここを心霊スポット足らしめる原因になっている。

「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。

私たちがいる場所から、20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。

黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。

女性自身1963年7月22日号「恐怖の手記シリーズ(3) 私は死霊の手からのがれたが... ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」

写真からもお分かりいただけるかと思うが、実に平和で穏やかな海岸である。とてもそんな事故が起こるような場所とは思えない。
しかし36人もの方が亡くなったのは紛れもない事実で、2枚目の写真にあるように慰霊碑もある。
この慰霊碑は花が供えられていて、今も供養のために訪れる人がいるのだ。

そういう場所なので、手を合わせてきたものの、慰霊碑を近くで撮ることは止めた。

原因は不明と書いたが、基本的に離岸流であろうとされている。
この目撃談も、のちの何かの取材で、この話を残した本人が(こんな話はしていない)と否定されていたような気もする。
またこの幽霊の噂の素になったのが、空襲で亡くなった方をこの砂浜に埋めたという話があるが、これもそういった事実はないのだそうだ。
言ってみれば「作られた噂話」の域を出ない。
幽霊の正体見たり...である。

と、ここまで書いて。

僕は事故が起きたのが60年前の昨日(2015年時点)であったのを知る。
なんだか...ねェ?

こんなに素晴らしい海岸であるのに遊泳は禁止されている
遠くに慰霊碑

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