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旧本多忠次邸
本多忠勝は現在の愛知県岡崎市に生まれ、徳川家康に主従し、関ヶ原の後には三重県の桑名城主となり1610年に63歳で没している。
徳川四天王のひとりに数えられ、槍の名手で天下三名槍のひとつ「蜻蛉切」を携え数々の武勲をたてたが、50回以上の戦で一度も負傷したことがないと伝えられる。
岡崎市の東公園内にある「旧本多忠次邸」
本多忠次氏とは、子爵・貴族院議員本多忠敬氏の次男である。
本多忠勝の末孫であり、江戸中期からは岡崎城主であった家柄の十八代分家である。
旗本次男坊といえば破落戸の代名詞の様に扱われる。明治に入ると版籍奉還などがあって、一応は実業家とされているらしいが、生業という意味からすれば「?」である。
学習院を経て当時最先端の学問領域であった東京帝国大学文科大学哲学科で学ぶなど、新しい時代を生きた新世代でした。
その忠次が周到な調査や準備期間を経て、敷地選定から建築基本設計を自分自身で行い、36歳の時におよそ1年かけて完成させたのがこの建物です。
この邸宅も忠次氏が逝去された後(享年103歳)、子孫の方が税金の物納で土地を明け渡す時に撤去するのを、あまりにも勿体ないと移築先を募った結果である。
因みに解体、運搬に至るまで本多家が負担したと聞く。
この建物は世田谷区野沢、いまの環七通りの脇で、約7,100㎡という広大な敷地に昭和7年に竣工した物である。
設計は本多忠次氏自身が携わったスパニッシュ様式の洋館だが、内部は折衷であるし、部分的にはチューダー式であったりもする。
世田谷時代には仮面ライダーなどのロケ地にも利用されていたらしい。
豪華さはないが、質実剛健を旨とする三河武士の心意気を見るような造作は、見ていて安心する。
当然ながら昭和初期にこれほどの建具が既成品であるはずもなく、一つ一つが手作りという事になる。
どれも大変に手が込んでいて、それでいて決して華美過ぎないというのがセンスではないだろうか。
展示品に、忠次氏が設計に当って研究した内容が書き記されたノートがあったが、実に丁寧に詳細に調べているのが分る。
元々建築の専門家ではない氏が、これほどの建物の基本設計を行なえたのには、こうした地道な研究の成果ではないだろうか。
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岡崎市に住んでいたころ、好んで訪れた場所である。
公園内ということもあり、広々としていて静かであったから、のんびりと過ごすにも好適である。
名古屋のことは多く書いている気がするが、数年だけとはいえ岡崎は大変に住みやすく、名古屋よりもいいと思えるところがたくさんあった場所であるから、時々紹介していこうと思う。
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