見出し画像

私写真

ぼくが生まれたばかりころは、まだほとんどが白黒写真で、カラーの写真がアルバムに登場し始めるのは小学校にあがったくらいのころ。
父親がなんというか、大変に撮影が「下手」な人で、撮る写真撮る写真ことごとく「手ブレ」を量産している。
せっかく七五三でおめかしして母と写っているはずの写真も、もはや誰が写っているのかすら分からない有り様だった。
当たり前だがフィルムなので撮ったものをその場で確認することもできない。
ああ、せっかくの写真だったのに勿体ない、なんて母が言うものだから、父は拗ねてしまって、その後カメラを使わなくなってしまったと、のちに母から聞いた。

2歳くらいだろうか
爺さんと。
タバコが好きな人だった
幼稚園ころかな。
カメラのストラップみたいなのが写り込んでいる
自宅近くの名城公園。
ちゃんと写っているから、たぶん父の撮影ではない

でも、と思う。
盛大にブレている写真を見て、不思議と残念な気持ちにはならない。
これはぼくら家族の写真なのだから、家族に判ればそれでいい。
失敗した写真であっても、とりあえずそこに写っているのは母とぼくであるのは知っているし、失敗したのは父であるから、これは3人の「記憶」の「記録」である。
その手ブレしまくりの写真から、そのときの周りの雰囲気や父と母の様子を連想する。
父はどんなふうにカメラを構えたか。
撮るときにはなんと声をかけたか。
母はどんな服だったか。
ぼくに何か言ったか。
1枚の写真から、どんどん広がっていく。
それはとりもなおさず、この写真が「不鮮明」だから。
それでいいと思っている。

今はフィルムではなくデジタルの時代となってカメラの性能も向上したから、失敗すること自体が少なくなっている。
今どきは誰のアルバムも大変にキレイに撮られた写真がいっぱいだろう。

工業製品が高みを目指すのは当たり前で、フィルムの時代に苦手とされたスローシャッターでの手ブレや暗所撮影は、強力な手ブレ補正とISO感度の拡大とともにノイズ対策性能も上げることで、1/15でも手持ちでシャッターが切れてしまうようになった。
レンズも収差は駆逐され、相当な広角レンズにもタルやイトマキといったものは、もうほとんど見られなくなった。
本来カメラが目指した見たままを再現する技術は、ほぼ完成の域に達しているように見える。

そういう写真が量産される時代になった。
もうあとは単に付加価値の話になるのではないだろうか。

ハッセルブラッドなんか億単位の画素数のがあるらしいし、ISOの値も102400とかあるらしい。
でも普通の人が子どもの運動会や入学式なんかで写真を撮るのには億単位の画素数やISO感度は必要ないと思う。
せいぜい引き伸ばしたところで四つ切りくらいだろうから、まあせいぜい1000万画素くらいあればこと足りる。

子どもの頃に家にあったのはオリンパスだった。
暗いところでシャッターを切ろうとすると赤ベロがファインダーの中に出てくるヤツだ。

たまたま上手く撮れている写真には、居心地悪そうに顔をしかめているぼくと、満面の笑顔の母がいるだけだ。
でもあの写真は、あのときあの瞬間にあの場所にいた父でなければ撮れない。
オリンパスの安価なカメラで世界にたった1枚の、ぼくら家族にとって何ものにも代えがたい名作を生み出したのだ。 
写真の良さはカメラでは決まらない。
フィルムかデジタルか、なんてどうでもいい。
また誰かから評価してもらうことでもない。
なにより大事なのは、その時そこにカメラを持っているということだ。

少なくともぼくは写真とはそういうものであって欲しいと願う。
写真はもっとindividuallyに帰するべきだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?