衝撃! 三田文学新人賞の廃止・改変で、永井荷風新人賞へ? それと放送大学・面接授業「上方落語の世界」のこと
昨日、さて、今月残り6日ほどを、三田文学新人賞へ向けて、無理やり改稿して応募か、と思ってましたら、一大事が起きました。
なんと、三田文学新人賞が廃止・改変されるようなんですね。
次年度からならわかりますが、年度を跨ぎ、締め切りを10/31から、来年5/31に延長とのことです。
これはちょっとびっくりでした。
千葉県市川市との共同開催で、永井荷風新人賞と名前を変えるようですね。
きっと、もう締切間際だったので、すでに応募済みの人が大部分でしょう。
一応、書き直しで再応募を認めるので連絡くださいと告知されてますが、そもそもそれに気づかない人もいるのではないでしょうか。
僕は早速、驚き桃のき山椒の木、とXにツィートしたんですが、閲覧者数名ですから。(笑)
何よりも検索しても、誰もこの三田文学新人賞で、最新のものが出てこないんですよ。
で、自動的に、僕の次に書く作品の応募先は太宰治賞に格上げになりました。
今度は100枚ではなく、250枚ぐらいを想定しています。
もともと、旧:三田文学新人賞の落選原稿を、太宰治賞へ書き換えかけていたのがあるので、それを踏襲して、再改稿化しようと思います。
明日は、岐阜県まで、例の、国民文化祭・清流の国ぎふショートショート文芸賞の授賞式へ行って、米澤穂信さんの講演会を聴きに行きますので、
時間が一日潰れちゃいます。
余裕ができたので、10月の残りを読書にあてて、作品構想を練ることにします。
でも、最近、シンクロニシティの渦を感じることが多かったので、もしかして、この改変も太宰治賞へしっかりと書けよとの配置換えかしらん、と思ってしまいます。(ないない、それはない。笑)
まさか、ね。
ともあれ、太宰治賞の12/10の締め切りまで、ちょうど間に、中也賞への応募する第2詩集の最終仕上げをしないといけません。
ですから、それを考えるとドンピシャリで、ちょうど良いタイミングでした。
ところで、この10/22(火)・23(水)と放送大学の面接授業「上方落語の世界」を受講しました。
一日目と二日目の午前までが講義絵、午後に天満繁昌亭での寄席体験という内容でした。
僕個人で言うと、大当たりでした。
すごくためになりました。
でも、それは落語の歴史を知ったと言うよりも、むしろ、小説創作と結びついて、すごく勉強になったという点では、ですが。
落語はご存知のように、今現在も日々、進化している話芸です。
歴史はそれこそ17世紀から始まり、18世紀の終わりの隆盛で勃興した古典落語以来、300年余りの歴史の中で磨き上げられた「噺家」の話術を、
そのストーリー・テーリングの凄さを実感したのだ、と書くと少しは伝わるでしょうか。
そもそも、実は近代小説と落語には血縁関係があります。
ブログにも書きましたが、漱石は大の落語好きで、そのデビュー作「吾輩は猫である」の会話にそれは直截に反映されていますし、『三四郎』や『門』にも落語関係の記述があります。
彼の中で、イギリス留学で学んだ海外小説と、落語のテーリングスキルが融合したのは間違いないのだ、と、今回、この講義で僕自身が実感でき、理解できたわけです。
そもそも、漱石より少し前の、近代の明治期の言文一致運動にも、明治時代の落語家の名人たち、三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)と三遊亭圓遊(さんゆうてい えんゆう)という二人が関わっていたことも、歴史上の事実なんですね。
それら、文学上の知識として知っていた、漱石や言文一致運動と、昨日も書いた、松田青子のメタ・フィクション小説の設定・語り口と、
講演を聴いた石田祥のジャンル小説の書き分けについての認識が、一度に頭の中に駆け巡って、
まるで天才物理学者ガリレオに、自分がなったように(笑)、チャララーンとBGMとともに、知識が実感として、リンク認識してしまった、と言うわけです。
この認識が今も、興奮覚めやらぬ体験だった、というのが、少し冷静になった概要です。
あと、もう書く気力がありませんが、笑福亭鶴笑師匠のパペット落語の素晴らしさも、その感動の中心にあります。
たぶん、天才物理学者ガリレオに変身していたのは僕だけなので、一緒にいた既知の若い青年にも軽く説明しましたが、その凄さは伝わらなかったでしょうね。
まあ、これが本当にシンクロニシティから来る一大発見だったのか、どうかは、これから自分が書く小説で血肉化した成果を、実際に証拠として示してみせれば実証されるわけです。
また、先ほども触れた、日曜日10/27には、清流の国ぎふショートショート文芸賞の授賞式での、米澤穂信さんの講演会もあります。
それも、この落語のガリレオ化と繋がっているようで、すごく楽しみです。
こうしたシンクロニシティの流れは、次々と連動して繋がってゆくのが、今までの経験上、多くあった出来事なのです。
果たして、今回の渦の波がどこまで拡散するのか、僕にはまるでわかりません。
我々、現世に生きる者にできることは、渦の中で新しい成長へ向かい、ただひたすら努力するだけですから。
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