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Já passouにみるモザンビーク人の強さ

はじめに

 モザンビークで環境教育隊員として活動している田路篤輝と申します。首都にあるマプト市役所の廃棄物管理衛生局、環境教育課のボランティアとして活動しています。

 本来は2019年度3次隊として中米ドミニカ共和国に赴任する予定でしたが、派遣前の訓練の最中にCovid-19の感染拡大の影響を受け、赴任時期と任国が変更となりました。

 JICA海外協力隊を知ったのは、2018年の西日本豪雨のボランティア活動に参加していた時でした。チームでの活動や貢献感を気持ちよく感じていたところ、ひとりの協力隊員と出会いました。彼らはみな自分の人生に一旦の句読点をうち、逆境のなか生き生きと活動しており、そこに憧れ応募を決めました。
 こう書くと聞こえはいいですが、社会に出て間もない自分の未熟さ、プロとしての仕事の出来なさ、自分の人生を歩んでいない感覚、雑にまとめると若さゆえの不安のようなものから抜け出したかったのだと思います。

西日本豪雨災害のボランティア活動


 結果としてそれらを払拭し成長できているか、今の私にはわかりません。それでも、訓練を共にした仲間の多くがCovid-19の感染拡大の影響で派遣を諦めざるを得ない中、無事に活動ができていることに感謝し、半端な活動はできないなと背筋を伸ばしながら日々を過ごしています。

 配属先では環境の授業やゴミの啓発活動を主として、個人的には廃プラスチックを利用したアップサイクルアクセサリーの作成に力を入れています。

近所の子供たちと

1.モザンビークについて
 モザンビークは1975年にポルトガルより独立した新しい国ですが、独立後には内戦が激化しました。長い間内戦の舞台となった北部地域は特に貧困率が高く、開発の遅れが際立ちます。2021年の人間開発指数は184位/190です。国民の多くは経済成長の恩恵を受けることができておらず、保健・医療、教育、給水・衛生など社会インフラの開発が重要課題です。私が住む首都マプトでも、家庭の事情で小学校在学中から働く必要があり卒業することができず、20代になって復学したという友人もいます。また、先日モザンビークの眼科医療に触れる機会があったのですが、人口3000万人を超えるモザンビーク国内に眼科医は20名もいないという事実を知り、驚きました。
 その一方、近年は資源の開発(石炭・天然ガス)が進んでおり、北部ナカラ回廊地域は、マラウイ、ザンビアへと続く国際回廊としても期待されています。開発のポテンシャルを秘めた力強い国です。

子供達と


 
2.首都マプトのゴミ事情
 私は固形廃棄物に関する活動をしています。マプト市の状況をご説明しますと、全体的・組織的な分別収集処理システムは導入されておらず、市の財政能力ではそのようなシステムの導入は難しい現実があります。一方、リサイクルNGO・企業が資源ごみの回収活動に取り組んでいるものの、市民のごみ分別の必要性や実施手法に対する理解は未だ低く、既存のリサイクルルートが十分に活用されていません。「ウェイストピッカー(廃棄物処分場などから有価物をインフォーマルに回収・売却して現金収入を得ている人)の仕事を奪うから、分別収集は悪だ」と言う市民もいます。今現在にフォーカスするとその意見も間違いとは言い切れませんが、中長期的に見ると、マプト市⺠に清潔な街づくりを実現するための責任の一端が自分たちにあることの自覚と廃棄物管理の担い手としての行動を促さなければ、事態は悪化していくのみです。

 先述したウェイストピッカーについて補足しますと、彼らは処分場やゴミ用コンテナなど市内の広い場所で働いています。聞き取りによると有価物の買値はプラスチックが20〜30円/kg、金属が70〜80円/kg、ガラスが5〜10円/kg程度です。安い金額ですが、1日働けばパンでお腹を満たすことはできます。

 市内のウレネ最終処分場(処理施設などはなく、すべてのゴミをそのまま投棄するオープンダンプ方式)でも多くのウェイストピッカーたちが働いていますが、2018年にはこの処分場の崩落事故で多くの人が亡くなるという凄惨な事故も起きました。また近年では処分場での仕事を生業として暮らす家族に生まれた子供が住民登録されず、学校への通学や公共サービスが受けられないなどの問題も起きています。
 

ウレネ処分場の様子


3.私の活動①環境クラブでの授業
 文字通り課題は山積みですが、地道に解決をすべく配属先で活動をしています。配属先では市内の小学校で1回30分、合計5回程度の授業をしています。
 同僚はゴミの分別、コンポスト(有機ゴミの堆肥化)、3Rなどの指導を好みます。しかしマプトには全体的な分別収集のシステムがないため、分別したとて排出時に一緒になるのが現状です。またコンポストにおいても、首都マプトの市街地は農業従事者人口が少なく肥料としてのインセンティブにならないため、定着しづらいと考えています。そのため「ゴミを減らす」「ポイ捨てをやめる」「ルールに則ってゴミを捨てる」という基本的な環境配慮行動への変化を促すことをゴールにしました。

 では、環境配慮行動への変化には何が必要でしょうか。先述した「責任感」や「危機感」を煽るのも有効でしょうし、これならできるという「実行可能性」や「費用便益性」も必要です。効果なんてないと思いながらの行動は意味をなさないため、「有効感」も大事です。

 しかし、ポルトガル語を満足に操れない、環境教育への深い造詣もない、ヒトモノカネのリソースも十分にない、ないものだらけの私には上記の要素を扱うのは難しいです。ではどのようなアプローチで行動変容を促すべきか?そう考えた時、「楽しさ」にフォーカスするしかないと考えました。   正直にお話をすると、私もゴミを触るのは決して好きではありません。そのような方は多いはずです。ゴミに関する活動は「ゴミはゴミ箱へ」「みんなのために地球を守ろう」と指導的、楽しくないものになりがちです。そこなら、何も持っていない私にも改善する余地はあると考えました。

子供たちとゴミ拾いをする様子


 歌い踊り遊びながらゴミを拾ったり、参加型の手作り仕掛け紙芝居を読んだり、caril de amendoim(ココナッツミルクと豆の粉を使ったモザンビークの煮込み料理)を作ろう!というテーマでエコな買い物を学ぶゲームを作るなど、できる限り子供たちが楽しむことで行動を変えられるよう心がけています。時間はかかりますが、授業後、生徒たちが「ゴミ、ゴミ、ゴミ!」と歌いながら自らゴミ拾いをしている姿を見て、「少しずつ変わっていくはずだ」と目頭が熱くなりました。

買い物ゲームの様子


4.私の活動②アップサイクルアクセサリーの作成販売
 他方、個人的な活動として、アップサイクルアクセサリーの作成、販売にも友人と力を入れています。
 先述した「楽しい」に加えて「かわいい」というポジティブな気持ちをインセンティブにして環境配慮行動への変化を促すべく、「entre na moda, seja amiga/o do ambiente(おしゃれに、環境にやさしく)」というテーマで、ビーチクリーンをした時に拾ったペットボトルの蓋をピアスに加工して日曜市などで販売しています。

サイクルアップアクセサリー

 販売を通して得た利益は、清掃キャンペーンや環境教育の授業に必要なマテリアル(手袋やゴミ袋、筆記用具など)の購入費用として、すべて活動に使用しています。啓発しながら販売をしていますが、私が準備した資料で一生懸命に持続可能性や廃棄物について説明している友人を見て、この活動を進めて良かったなと感じています。「俺たちで世界を変えよう!」と意気込む彼と「大袈裟だなあ」と笑いながら活動しています。

日曜市にて、持続可能性について説明する友人

 活動終了までに販路を広げながら、ゆくゆくは仕事を求める女性グループなどにピアスの作成技術を広めるなど、持続的な協働ができるよう活動を進めていきます。
 

5.Já passouにみるモザンビーク人の強さ
 モザンビークで過ごす中で印象的な言葉があります。Já passouといい、意訳すると、「済んだことだ」という意味でしょうか。事故、病気、私に何かよくないことが起こると、彼らは決まって「Já passou」と言うのです。一見、楽観的逃避的で共感性の低い言葉のように聞こえます。この言葉を聞いた時は「悲しいんだから、大変だったねと共感してほしい」としきりに伝えていました。
 しかし、モザンビークでの生活に慣れるにつれ、「Já passou」は現実からの逃避ではなく、立ち向かうための強さを秘めた言葉だとわかりました。

同僚の女性と

 乗合バスに乗っていた時のことです。先に降りたおばあさんが荷物を取り出していると車が勝手に発進し、転んで怪我をしてしまいました。彼女は激昂していますが、どうしようもありません。ドライバーには治療費を払うお金はないし、警察も十分には機能していないので、支払ってもらう方法はありません。彼女はひとしきり文句を言って落ち着いたあと「Já passou」と言い、去っていきました。

 このように、日本の感覚で解釈すると、あまりにも理不尽なことがよく起こります。しかし、この理不尽を受け止めて流す「Já passou」の精神で培った強さこそが、彼らを楽観的(あるいは精神的に豊か)に見せているのだろう、と考えるようになりました。「途上国の人たちは幸せそうだ」「アフリカらしい」というステレオタイプ的な感想を持つこともありますが、その裏で彼らが経験してきた歴史や土地の背景を想像する必要があるな、と改めて考えるきっかけとなりました。
 
最後に
 今回お声がけいただき寄稿をさせていただきましたが、自分自身、満足に活動ができているとは思っていません。配属当初は、自分が必要とされず活動の話が全くできない、いわゆる「協力隊あるある」でもある状況に苦悩していました。また配属先への他の大規模な援助や、供与されたミニバスや一輪車など資機材の山を見上げて「私に何ができるのだろう」とここにいる意味を問うたこともあります。

配属先に供与された一輪車


 その悩みを克服するためにも、書類のコピーや運搬、重い荷物の上げ下ろしなど、同僚が私の手を必要としたことは何でもやり、授業の機会には同僚に自分のアイデアや教材の工夫が伝わるように努め、そこから生まれる信頼関係を大事にしました。結果、授業の調整から実施までの流れを任せてもらえるようになりました。
 このように自分一人の力はあまりにも小さく、モザンビークの発展に寄与できているか?と問われると、自信を持って「はい」と答えることはできません。さらには活動では環境問題解決のためにアプローチしていますが、それは先述したように短期的にはウェイストピッカーたちの仕事を奪うのも確かです。
 貧困、医療、教育、大きすぎる課題にゼロ距離で直面する協力隊員として、この国で自分がすべきことは何か?達成すべき課題として廃棄物減量を選択するのは正しいのか?自分は何をするべきか?と葛藤することもあります。

 その時浮かぶのは、最初に述べた仲間たちの存在です。Covid-19の影響などで多くの仲間が派遣を諦めざるを得ない中、無事にモザンビークで生きていることは奇跡です。文字通り大変に有難いことです。彼らが経験したくともできなかった生活にどっぷり浸からせてもらっています。

葛藤こそしますが、自分が置かれている状況で迷っている暇はありません。

 自分がモザンビークでできることに集中して活動に打ち込んでいく、それがモザンビーク、ひいては日本のためになることを願いながら、残り短い任期の活動に取り組みます。



アフリカ協会『月刊アフリカニュース11月号(No.133)』に掲載