クラファン用_

#同じテーマで小説を書こう~【声】というテーマで小説を書いた四人~

「そうね。とりあえずみんなで【声】をテーマにした小説を作ってきてもらって、それを見せあって、その後にみんなで書くか、代表者の作品一本だけにするかを決めない?」
「そうですね。まだ時間にも余裕があるし、それでいいと思います」
「マコト君とユウジロウ君は? どう?」
「賛成です」
「俺もオレも! なーんか面白そうじゃないっすか」
「それじゃあ決定ね。期日は、十日後で。なんだかはじめての部誌ってなると、ちょっと緊張しちゃうね。大丈夫かなぁ」
「大丈夫っすよ~。四人もいれば四人分の知恵が―――」
「うわっ。まじか」
 手が滑ってしまい、スマホを落としてしまったみたいだ。
「おいおい大丈夫かレン。この前買ったばっかだろそれ」
「うん、たぶん平気かな」
とは言ってみたものの、ほんとに大丈夫かこれ。僕はシリコンカバーについたホコリを吹き払いながらそう思う。
「んでも楽しみだね」
 スマホの傷を探しているフリをして、花林先輩を真っ直ぐ見つめてみた。先輩はどこか困ったような、どこか不安そうな、どこか焦っていそうな……。でも、瞳はきらきらと輝いている。その小さな輝きがまぶたに隠れると、口元は緩やかにほころぶ。そこから生まれたさらに小さな笑い声に、僕は耳を澄ませた。

「しっかしよぅ、二人はどんな小説を書くんだ」
 ボックスシートの座席で半ば横になっているユウジロウがそんな問いを投げかけてくる。
「ユウジロウ。正しく座れ。マナーがないと思われるぞ」
 マコトは銀縁メガネの真ん中を、中指一本で上げながらそう言う。
「しゃんと座って読むと、気分が悪くなるだろ」
 この電車に乗っている人なんて何人もいない。マコトの言うマナーうんぬんかんぬんに思考を巡らせるのを瞬時にやめた僕は、十日後までに書き上げなければならない小説について考えることにした。
 文芸部に入部して約五か月。はじめての創作活動は部誌制作。それも部が設立されて初の試みらしい。
 お題である【声】だけ交えていれば、他には特に制限がない。小説の数も一つに絞ってもいいし、部員数の四つでもいいらしい。
 そもそも僕たちは放課後集まって本を読んで、感想を語り合うくらいの活動しかやったことがない。もちろん僕は小説なんて書いたこともない。マコトだってユウジロウだって、花林先輩だって書いたことがないと言っている。ほんとかどうかはわからないけど。
 そんな中で本当に部誌なんて完成するのだろうか。
「レンは? どんなん書くの?」
 視線をジャンプから離さないまま、ユウジロウは僕に質問をしてきた。
「特に決めてないよ。帰ってからゆっくり考えてみるよ」
「そっか。楽しみだな」
 授業中も放課後も、いつもマンガ雑誌しか読んでいないユウジロウは、表紙でピースサインを送っているルフィと同じ表情になっていた。
「マコトは? サスペンスを書いてよ」
 マコトは目が鋭くて銀縁のメガネをかけちゃっているから、チンピラみたいで第一印象はあまり良くなかった。あと笑わない。
「そうだな。俺が書くとすればサスペンスしかないだろうな」
 愛想もないし性格も淡々としているけど、はじめて笑った顔を見たときマコトのことを好きになった。あと普通に話しかけてきたりする。
「花林先輩はどんな小説を書くんやろうか」
 本が大好きな花林先輩。文芸部で唯一の二年生。唯一の女子。
 人当たりが良くて、誰にでも隔てなく接していて、声がきれいだな先輩。けっこうモテているらしい。
「おそらく恋愛系か青春系だろうな。予想してやろうか?」
 不敵な笑み、と画像検索すれば一番上に出てきそうな表情でマコトは言う。
「いや。いいや」
「そうか。わかった」
 こういう物分かりのいいところも好きなんだよな。多分、ユウジロウも同じことを思っていると思う。
「それよりレン。最近、花林先輩のこと見すぎじゃね」
 ユウジロウがそんなことを思っていたことに驚いたが、
「たしかに。あまり露骨すぎると距離を置かれるぞ」
 マコトも同意してくるのだからもっと驚いた。
「別に、そんなんじゃないよ」
「別にそんなんでもいいんだぜ。応援するからよ。俺たちは」
「たちとはなんだたちとは」「たちだろ? たち」
 僕たちにとっても、文芸部にとってもはじめての創作活動に、みんな浮かれているみただった。新鮮な日常に期待しているみたいだった。きっと花林先輩もそうだと思う。そしてそれ以上に、僕も楽しみだった。


 十日が経った。
 くじ引きの結果、マコトも小説が一番に配られることになる。
「俺は本格サスペンスを書いてみた」
 マコトはいつものように表情も変えずに、メガネの真ん中を指で上げている。
 緊張している様子もない。これは期待できそうだ。


 そこは日本海が一望できる、とある高級旅館。
 夜になると防波堤に打ちつけられる高波が厳かな音を立て、灯台から放たれる一筋の光線はまるで朝の灯りを求め、探しているようにも見えなくないその夜に、事件は起きた。
「男爵! 男爵、なにかあったんですか! ここを開けてください!」
「どうしたんだ室長」
「探偵さん、男爵が行方不明になっておりまして……。ちょうどここを通り過ぎる時、このドアの向こうから男爵の叫ぶ声が聞こえたのです」
「叫ぶ声? ことは一刻を争う。手伝ってくれ!」
 二人は声を合わせ、ドアに向かって蹴りを入れる。
「そ、そんな……」
 蹴破ったドアの向こうには、うつ伏せに横たわる男爵の姿があった。
 探偵は駆け寄ると、男爵の首筋に指先を当てる。
「し、死んでる」
「探偵さん、見てください」
 室長が指さす先にはロープが落ちていた。
「なるほど。自殺か」
「男爵に限ってそんなこと、信じられません」
「いやいや、よくある話よ。気さくな人ほど表に出さずに、内側でもだえ苦しんでるもんなのさ」
「しかし、ボクはたしかに聞いたのです! 『やめろー!』って叫ぶ男爵の声を!」
「だがね、よく見たまえ室長のきみ。この部屋は密室になっている。きみが声を聞いてから出入りした人物がいるのかね」
「そ、それは……」
「だから言ってんじゃん。ささ、警察呼ぼ。今日のところは名探偵のわたしが出るまでもなかったね」
「待ってください探偵さん。窓が、開いています」
 部屋の隅にある窓は、閉まった状態ではあるがカギはかかっていなかった。
「あ、ほんとだ。たしかに空いてるね」
「きっと犯人は男爵を殺めたあと、この窓から脱出し、このロープを駆使して自室に戻ったんですよ」
だがこのフロアは三階にある。一歩間違えれば断崖絶壁に打ちつけられ、日本海の藻屑となっていたかもしれない。もし室長のきみの推理が当たっているとすれば、こんな芸当ができる人物は限られてくる。
「よし、その線でもう少し捜査を進めてみるか。宿泊客の中に、大道芸人かサスケに出たことのある人物はいるか調べてくれ」
「でもこの部屋にロープが落ちているということは、この真上の部屋に犯人がいるんじゃないんですかね」
「その通りだ。この真上の部屋を拠点としている悪党こそ男爵の息の根を止めた人物で間違いない。さぁ、ついてこい!」
 二人は部屋を飛び出すと、階段を脱兎のごとく駆けあがる。犯人が次の行動に出ている可能性がある。証拠を消す作業か、はたまた次の殺人か。
 たどり着いたのは男爵の妻の部屋だった。
「まさか、奥様が?」
「ことは風雲急を告げている。早く中へ!」
 室長のきみは力強くうなずくと、機械を破壊せんとする勢いでインターホンのボタンを押した。

「待って、私は犯人じゃないわ! その時間は食事処で過ごしていたからね」
「アリバイがあるのか。ということは、やはり自殺……」
「そういえば、厨房のほうから夫の罵声が聞こえたわね」
「罵声を聞いた?」
「そこに新たなてがかりがあるのか。こうしてはおれん! ついてこい!」
二人はまた走る。
「ことは脇目に振れているような状況ではない。海の幸は後だ!」
「そういえば、その時間は大浴場のほうから何やら楽しそうな笑い声が聞こえましたね」
「笑い声を聞いた?」
「犯人を追い詰める新たな情報だ。ついてこい!」
 こうして、彼らの旅がはじまろうとしていた。
「長旅になりそうだ。ついてこれるか?」
「何をおっしゃいますか。どこまでだってお供しますよ」
 これは彼らの―――、“声”を手繰り寄せ真実の悪を始末する物語―――。


「ここでタイトルって感じかな」
「そうか。もういいや」
「まあお察しかと思うが、シャーロックホームズをイメージしている」
「察してねえよ。どこにこんな言っていることがころころ変わるホームズがいるんだ」
「マコト君。結局のところ犯人は誰なの?」
「犯人は男爵の奥さんです。奥さんの発言はすべて嘘だったことが後々発覚します」
「不毛な旅がこいつらを待っているということか。なんて悲しい物語なんだ」
次にユウジロウの小説が配られる。
「さあみんな! 時間を無駄にしたところで次は俺の書いた小説だ! しっかり楽しんでくれよな!」


「フハハッ! 待ちわびたぞ!」
「お前は俺たちの仲間を奪った。絶対に許さない」
 怒りを瞳に宿らせ、リュウは戦いの構えをとる。眼前のデス・ダ・ダーマを倒すために彼は血のにじむ努力をしてきた。
「お前の新たな“声力”見せてもらおうか」
 ―――声力。それは自身の声をエネルギー循環路であるナーディーに介して発することで生まれる異能の力のことである。セラベラム(小脳)と自身のコンシャスネス(意識)を同調させる技術が必要なのだが、これを会得するだけでも相当な訓練を乗り越えなければならない―――。
 彼がこれほどまでして強くなろうとするのには理由がある。愛する姉と、親友のショウの仇を打つためだ。
「うおぉぉぉおおおおぉぉぉッッ!!」
 リュウが雄叫びを上げると、彼の周囲に乱気流が巻き起こる。
「―――なッ!?」
「うりゃぁぁっ!!」
 リュウの飛び蹴りが、ダ・ダーマに命中する。間一髪で反応し、振り上げた腕で防御の態勢を取るが、それでもからだは攻撃を受け止めることができず、大きくはじき飛ばされてしまう。
「まだだ! でええぇぃッ!!」
 リュウの拳が、ダ・ダーマの顔にめり込む。直後、ダ・ダーマは激しく吹っ飛び廃ビルにからだを打ちつけられた。
「な、なるほど。乱気流とひとつになるという“声力”か」
 今のリュウは風に乗る。
「だがその程度で私に勝てると思うなよ」
「なに?」
「はあぁぁぁああぁぁッッ!!」
 ダ・ダーマが、咆哮を上げる。あまりに大きな地鳴りにリュウは立っていられなくなる。
「くらえッ! 超根源波動玉ァッ!!」
 両手を掲げながら、ダ・ダーマは天に向かって叫んだ。
 リュウは警戒心を高めて次に起こる変化を待った。
 ドゴォン! と固い地面が割れる音がすると、
「―――くっ!」
 直径一メートルはあろう岩が、雨のように空から降ってきた。
リュウは視覚に全神経を集中させ、落ちてくる岩を紙一重で回避していく。
「―――しまった!」
 しかし、足を躓いてしまう。視線を上げると巨大な岩がリュウめがけて一直線に降ってきている。
 ……ああ。もうダメだ。ほんとにすまない。お前たちの想いを、俺に託した意志を、守り抜くことができなかったみたいだ。
 だが、リュウのからだに痛みが走ることはなかった。諦めると同時に閉じってしまった目を開けると、そこには大きな影があった。
「こんなとこでくたばってんじゃねーよ」
 この声は……。
「お前は、俺が倒すって言ったろ。さっさと立ちやがれ」
 そこにいたのはリュウの最大の好敵手でもあり、第二次ヘカトン紛争でリュウが唯一背中を預けた存在―――、タツミだった。
「なんで、お前がここに? 国に戻ったんじゃないのか。家族はどうしたんだ?」
「今はそんなことどうでもいいだろ。さぁ、あの全身黒タイツみたいなヤツを倒すぞ」
 タツミの差し出された手に引かれるよう、リュウはからだを起こす。
「ありがとう。タツミ。少しだけ力を貸してくれないか?」
「リュウ、借りるっつうことは―――」
 二人は向き合い、同時に口角を上げると―――、
「返さなきゃいけないってことだぜっ!」
 眼前の強敵に向かって、彼らは駆け出す!

 

「ご愛読ありがとうございました! のヤツじゃんこれ」
「レン。これから戦いの火蓋が切って落とされるってのに、お前はほんとに空気の読めないヤツだな」
「リュウの叫び声ダッサ」
「でも設定すごそうだね。ナーディーとかセラベラムとか奥が深そう」
「花林先輩。無理してほめなくてもいいですよ。こんなバカ小説を発信すると、サイバー攻撃か何かと間違われてしまいます」
「マコトには言われたくないね。お前のホームズと俺のリュウだったら絶対リュウのほうが強いしな」
 次に僕の小説が配られた。
「僕もミステリー要素や、アクション要素を少し入れてみたよ」



 黒のジャケットとパンツに灰色のシャツは、暗闇に紛れるための色と考える人がいるだろう。しかし本人からすると、その答えは否。
 コバルトブルーの色を愛し、その色のネクタイを際立たせたいからにすぎない。
「まだこの周辺にいるはずだ。手分けして探すぞ」
 一人の男が指揮すると、スーツを着た男たちは三々五々に散っていく。
「お前ら、もし見つけた時は必ず耳栓を着用しろ」
 彼らは刑事である。刑事が捜索を進める上で耳栓をする、というのはもちろんリスクを伴う行動だ。連携に影響を与えるだろう。危機察知が遅れ、怪我や事故を起こしてしまうことあり得るだろう。
 しかし、耳栓を使わないと彼らは行動を停止させられてしまう。
 厳密にいうと、聴覚を遮らなければ気を失ってしまうのだ。
「見つけたぞ」
「はい」
「お前は反対側にまわれ。くれぐれも耳栓を忘れんな」
 刑事はペアで動くことが多い。実際に経験を積みながら学んでいく新人教育の観点からしても、ベテランと新人が組まされるのはドラマや映画だけの話ではない。
 ベテラン刑事はすでに60歳を超えている。からだの動きと意志がかみ合わなくなっているのはよく理解していた。これは本人にとって悔しいことなのだが、彼は誰よりも現場での判断力に長けた刑事へと完成されていた。
「動くな!」
 彼は銃口を向けるとともに、大きな声を放った。
 ターゲットは走る。夜闇に溶けきらないネクタイは踊っているようにも見えた。
 ベテラン刑事は追いかける。もちろん、これは誘導だ。
 世界で一番愛情を注いでいる、将来の有望な相棒と、アイツの一対一を作るための……。

 彼は、危害を加えることはしなかった。悪党になりたいワケでもない、ヒーローになりたいワケでもない。ただ紳士として生きたいからだ。
 しかし生きるのは難しくなってしまった。現に厄介者として追われている以上、逃げるしかないのだ。捕まるワケにはいかないのだ。
 愛する人の元へと、たどり着くまでは。
「そこまでだ」
 彼は、フットワークの軽さに定評のある新人刑事だ。そして、目の前にいる男にとても興味があった。からだの弱い姉がこの男に関心を抱いていたからだ。テレビのニュースやSNSで取り上げられるコバルトブルーを目にするたびに「私、この人に会ってみたいなぁ」と口にする。なぜかわからなかった。こんな人かどうかもわからない生き物に、なぜ会ってみたいと思う。
「お前の、真意が知りたい」
 その黒い背中に彼は語りかける。長い時間をかけ、ようやくここまで追い詰めることができた。銃口を向け、固唾をのみ、にじり寄る。心臓が強く生きていた。胸元が熱い。しかしそれと相反するように、背中には冷たい汗が流れている。彼は緊張しているのだ。
 緊張しているがゆえに、忘れていた。聴覚を守ることを。
「……」
 首を半分こちらに向け、何か小さな声を発している。
「なんだ? いま何か言ったか?」
 呼吸の乱れを抑えられない。落ち着け。なぜ手が震えている。
 暗闇にコバルトブルーが生えた。その瞬間―――、
「私の」
 何としても捉えたいという意思は潰えてしまう。
 そして、重力に身をゆだねるかのように倒れていく。
「私の声を聴いても良いのですか?」
 語尾が、狭い路地を微かに反響する。
 彼の声を聴いてしまったものは、失神してしまう。
 彼の声が美しすぎるがゆえに―――。



「ヒッヒッヒッヒ……。腹いてぇ。面白すぎるだろ」
「彼の声を聴いたものは失神してしまう? ……ダメだ、笑いが止まらん」
「少なくともマコトとユウジロウのよりはいいだろ!」
「まぁレンの小説の良かったとこをひとつ上げるとするならば、姉が出てくるところだな。リュウのバックボーンとかぶっている。もしかして真似した?」
「するワケがない。どうしてそうなる」
「これはスピンオフで、ホームズと対戦させるという夢の企画もできるんじゃないか?」
「あのホームズあほだからな。多分瞬殺だぞ」
そしてついに、
「次は私のだね。あぁー。緊張してきたー」
花林先輩の番がやってきた。


「えっと……、ひぃむぅかぁいさん? って読むのかな? こんばんは。こんな遅い時間にありがとうございます。ゆっくりしていってくださいね」
「そういえばこの前ね、久しぶりに映画を観に行ったんですよ。んでお腹空いちゃってて、ポップコーンのほかにちょびっとチキンみたいなのも注文して、よぉーし映画観るぞぉー! ってなったんですけど―――」
「かわいいって。ありがとー。うれしいよー」
「違いますよー。恥ずかしいこと言わせないでください。そんな相手いませんいません」
「ひゅうがって読むんですか? めっちゃかっこいいじゃないですか!」

 夜になると、私はもう一人の私に変身する。

【coppe(コッペ)】とは……。
みんな自分の声に素直になれますように……。
そんな想いから生まれたライブストリーミングアプリケーションです。従来のライブストリーミングと大きく違うのは配信者の顔が見えないこと。声を聴き、リスナーの方は好きな“声”を持つ配信者(コペナー)とチャットトークで手軽に触れ合うことができます。


「もえちゃん、来週もこんなに入ってくれるの?」
「はい。大学も春休みでやることないんで」
 あっ。トマト抜いてくれてる。
「なんか悪いね~。いや~ほんとありがと~」
 店長は弱々しくそう言うと、再びパソコン画面と向き合った。エクセルページの『仙田』の行が黄緑色で埋め尽くされる。
 仙田萌愛。中学生まで『変な声』とバカにされた私の大っ嫌いな名前。
 私はこの名前もこの声も嫌いだった。口を開くこともイヤだったし、名前を言うのなんてもっとイヤだった。小学生のときは「へんなこえです。よろしくお願いします」と、韻を踏んでからかってくる男子が何十人いたことか。
「仕事もたくさん覚えさせちゃってね。もえちゃんがいてくれてほんと助かってるよ~」
「そんなことないですよ。やめてください」
 このバイト先はほんとに好きだ。やさしい人ばっかりだし、シフトもたくさん入れてくれる。助けてもらっているのはこっちのほうだ。
 ドアを二回たたく音が部屋に響く。店長は私を一瞥すると、大丈夫? と目で訊いてきた。私は小さくうなずく。「失礼します」と入ってきたのは佐々木先輩だった。
「お疲れ様です。あっ。仙田さんもお疲れ様」
 私がここでたくさん働く理由は働きやすいことと、プライベートが暇なことと、もうひとつある。
「佐々木くん今日はあがりか。明日もよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。今日はお先に失礼しますね。仙田さんもまた明日よろしくね」
「あ、あの」
 私の横を通り過ぎようとする佐々木先輩を、小さな声で呼び止めた。先輩の耳に届いたのか、動きを止めてくれたのはうれしかった。ついでにこの心臓も止まってほしい。
「トマト……、ありがとうございます」
「? ああー、トマト? そんなお礼言うほどのことでもないでしょ」
そう言いながら、笑顔を見せるのはかっこよすぎます。
「ほかに食べてみたいのがあったら何でも言ってみてよ」
佐々木先輩ともっと話したいし、作ってくれる料理も食べたいし、笑顔が見たい。
ひとつどころではすまないなぁ。

「最後に食べたのいつ? んーと、覚えてないなー。もうね、気がづいたときには嫌いだったのかなー。食わず嫌いって言われちゃうと、そうなのかなーって思いますね」
 チャットの声を目で追いかけながら、私はみんなと会話する。
『e^mo』はcoppeでの人気配信者らしい。ジャムやバターといった投げ銭もちょくちょく送られてきて、数万円程度のお小遣い稼ぎも叶っている。
 coppeでの私の声はなぜか人気があった。《かわいい》《ずっと聞いていたい》とそんなことを言われていたりする。そんなことを言われ続けていると、少しずつ自信に変わっていっているような気になった。
「お! いちごジャム! んふふ、ぽっぽさんありがとうございますっ。なになに、『e^moさんにご相談があります』? いーよいーよ。なんでもおっしゃってください!」
 私は千円分の投げ銭をしてくれたぽっぽさんのお悩みを読み上げた。
「私には好きな人がいます。バイト先の先輩です。先輩は大学四年生でもう少しするとバイトを辞めてしまいます。でも、先輩には彼女さんがいます。私は先輩と少しでもたくさん、いっしょにいたいです。できることなら付き合いたいです。私はまだ三年生で、できることなら卒業まで今のバイトを続けていきたいと思っています。でも好きだという気持ちを伝えたいです。でもでも、伝えたことによってバイトを続けることができなくなってしまうのも怖いです。こうした場合、e^moさんなら告白しますか? もし良かったらアドバイスください」

 私は口元を手で押さえていた。震える吐息がマイクに乗らないように、息を殺すことに徹した。画面では《いい子!》《僕でよければ……》《告っちゃいな》《大好きです。今度は嘘じゃないっす》《少しでもたくさんてww》とコメントが次々に上がっていく。
 わたしとほとんどが重なっている。
 大学四年生というところ、バイトを続けたいというところ、彼女がいるというところ……。
「いやぁー、難しいですねー。私も今のバイト先すっごくやさしい人ばっかりで、そこを辞めることになるくらいなら告白しないのかなぁ」
《むずかしぃ、、、》
《好きって言われて悪い気になる男はいない》
《エモちゃんに告られたい(切》
《えもちゃんに告白されたら彼女がいてもおkしそう》
「んー。……でも」
 でも、それは私の嫌いな『へんなこえ』の考え方だ。
 私はe^moだ。このセカイでくらい、夢を見たっていいじゃないか。
 憧れていた自分はe^moであるべきだ。お願いします。私に夢を見させて。私に生きる活力を―――、一歩踏み出す原動力を―――。
「私なら告白すると思います。好きって言葉は、今しか言えないかもしれません。時間が経ってからでは、魔法は溶けちゃうかも知れません。それに、たとえ側にいることが叶わなかったとしても、好きって言葉は先輩の側をまとわりつくかもしれませんよ」
 e^moは、へんなこえをやっつけてくれる。
「だから……、自信をもって」




「……え? 終わりっすか?」
「うん。おしまいだよ」
「もえちゃんはバイト先の先輩に告白したんですか?」
「んー? それはひみつやね」
「先輩の中で、この続きって存在しているんすか?」
「もちろん。最初は書こうかなぁとも思ってたけど、ここで切っちゃったほうが面白いかなぁって思って」
「実際にこのアプリって存在してたりするんですか?」
「存在してないよ。モデルとしているアプリはあるけど」
 二人ともこの作品にすっかり魅了されたみたいで、花林先輩に次から次へと質問を浴びせている。そのひとつひとつに答えていく花林先輩は、頬を少し赤くしながら心の底から楽しそうにしていた。
「なんだ。俺たちのは茶番だったってワケか」
「たちとはなんだたちとは」「たちだろ。たち」
「でもみんなの作品も面白かったよ! だから、みんなでいっしょにひとつ作品を手掛けるってのはどうかな」
「そんなことをすれば花林先輩の作品が腐ってしまいますよ」
「おいレン。なんてひどいことを言うんだ。リュウが腐ることなんてあるワケないだろ」
「ここは先輩の作品をもう少し掘り下げて、告白後も描いて一本の小説として発行するのはどうですか? 俺たちは印刷とか表紙とか、サポーターとしてお手伝いするという共同作業のほうが、完成度の高い部誌を制作できると思います」
「うん。マコトが珍しく大正解を出しました。僕もこの意見に賛同します」
「でも……。それじゃあ一生懸命生み出したみんなの作品が台無しになっちゃう。そんなのイヤだよ」
 花林先輩は本当に悲しそうな顔をしていた。あまりに悲しい顔をするもんだから、ユウジロウとマコトも「あれ? 俺の小説ってほんとは面白いんじゃね?」という顔に近づいているような気がした。本当に許せない。
「わかりました。じゃあ折衷案として今回の部誌は二本の小説を出す。一本はさっきマコトが言っていた先輩の作品。もう一本は男子三人で共同執筆する」
 ―――というところで先輩も折れてくれた。こうすることで先輩の作品がより面白く見えるだろう。
 案の定、先輩の小説の評判は良かった。その後、告白してフラれてしまうところは僕も読んでいて胸がいたくなってしまうほどだった。
 そして、予想外なことに僕たちの作品もウケが良かった。コバルトブルーが愛している人はリュウの姉で、リュウは過去に若手刑事だったという背景をもたせ、リュウの姉を死へと追いやったダ・ダーマを倒すためリュウとコバルトブルーが共闘する。さらにリュウの父を男爵にすることで、本当は死んでいなかったリュウの姉を探すための動機を作ることに成功した。そして男爵を殺した男とコバルトブルーを同時に追う、ホームズの存在が絡んでくる……。というぐちゃぐちゃな作品が出来上がったが、僕たちは楽しかった。その筆は読者に伝わったのか、書き手が楽しそうにしているのが受け取れる作品に仕上がっていたらしい。

こうして文芸部によるはじめての部誌制作は、割と良いかたちで幕を閉じることに成功した。本当にめでたしめでたしだ。




『「それじゃあ決定ね。期日は、十日後で。なんだかはじめての部誌ってなると、ちょっと緊張しちゃうね。大丈夫かなぁ」「大丈夫っすよ~。四人もいれば四人分の知恵が―――」「うわっ。まじか」「おいおい大丈夫かレン。この前買ったばっかだろそれ」「うん、たぶん平気かな」「んでも楽しみだね」』
 先輩の声は本当にきれいだ。
「特にこの『んでも楽しみだね』がいいね」
 スマホの傷を眺めながら僕は思う。あの時はマジで焦ってしまった。先輩の声を盗聴するという日課がバレてしまうところだった。バレてしまうとあまり良い展開にはならないよなぁ。
「さて。今日録ったのを聴いてみるか」
 やっぱりユウジロウもマコトも、僕が花林先輩に対して恋愛感情を抱いていると考えているのだろう。だけどそれは違う。
「ああ。イイねぇ、今日も」
 僕は花林先輩の声が好きなんだ。こうやって自分だけの空間で花林先輩の声に鼓膜を揺らしている時間が最高に幸せだ。
「花林先輩の声」
もっともっともっと……。
「もっとほしいなぁ」



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ありがとうございました!


お金にならないことばかりやっております……。もしよければ少しでもお金ください。大喜びします。