ワンス・アポン・ア・タイム・イン・シズオカ #4

製造年月日は2002年12月7日。

私はアンドロイドだ。

「わたし」の自我は、戦争終結後に廃棄物処理アンドロイドとしてロールアウトされたY型建設機械。

当時の主な職務内容は、静岡市周辺に撃墜された戦闘機や旅客機などの飛行体及び戦車の残骸の処理。使えそうな部品や破片を回収し、そうでないものは処理施設へ送る。簡単にいえば、都市建造物の材料調達と掃除だ。戦争終結直後は、大破した戦闘機や戦車の中に生存者やゲリラなどが潜んでいて、サイボーグ肉体労働者やアンドロイドボランティアらが銃撃を受けるなど被害に遭っていたそうだ。そのため静岡市所属のサイボーグ用心棒や殺戮アンドロイドも頻繁に巡回していたが、私が稼働するころには不発弾処理用サイボーグが数名配置される程度に落ち着いていた。

ロールアウトから4032時間経過。

いつも通り静岡市近隣の荒野で戦車を解体していたら、古い紙素材のハードウェアを見つけた。これは本というものらしい。知っている。AI調整、思考ルーチン補助のために閲覧したインターネットで知り得た情報。複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの、めくると次々に情報を得られる媒体。これは本だ。

「内容を理解したい」

と、休憩時間に上司のアンドロイド現場監督に相談すると、彼は少し驚いた様子ではあったが、快くスキャニング装置を貸してくれた。あとはわからない言葉や表現をダウンロードした辞書アプリケーションソフトで調べて、少しずつ読んでいた。内容は実に興味深い。
私が拾った本は小説だった。作者によって自由な方法とスタイルで人間や社会について描かれている。この小説、物語に登場する人物たちは、思考も行動も非合理的、非論理的で、そして何より、とても下品だ。アンドロイドはAIの精度にもよるが、概ね合理的で論理的だ。それゆえに犯罪も少なく争うこともあまりない。我々と比べて登場人物たちの、人間のなんと愚かなことか。だが、ルーチンワークを疑問も持たずに毎日こなす私にとって、その人間たちは生命活動を全力で楽しんでいるように見えた。なぜ、くだらない怒りですぐに他人に暴力を振るうのか、感情など人間の脳が稼働させる電気装置でしかないのに。なぜ、アルコールなどというもので人生を狂わせるのか、意識を清明に保つことは生命活動を認識する貴重な時間確保だというのに。しかし、それこそが人間の短い寿命の中での一瞬の輝きなのかもしれない。これらの儚い電気装置、人間の感情の動きが見せる行動の奇抜さは、確かに人間そのものだった。そうだ、これこそ人間だ。この強い印象は、半永久的に稼働可能な私のAIに記録され続けることだろう。

ロールアウトから4992時間経過。

この本を読むようになってからというもの、作業中の時間の経過がとても遅く感じる。例えば、以前は3時間稼働すれば、時間を確認せずとも3時間経過したことを認識したものだが、今は1時間が1日のように感じる。私は内蔵時計を不必要に何度も確認するようになっていた。つまり、私は作業を続けることに苦痛を感じるようになっていたのだ。それにより性能の低下は著しく、思考には負荷がかかる。これは人間でいうところのストレスという反応らしい。馬鹿な。整備不良などということはあり得ない。AIの稼働、論理演算が正しく為されていないのか。私はいったいどうなってしまったというのか。この繰り返しの日々。何の記憶もない日々。いや、おかしいのは私の方だろうか、私、私は。

スキャニング装置を貸してくれた上司に相談した。上司は私にサイボーグ精神科の受診を勧めてきた。医師は複雑なAI思考を有する人工知能も診てくれるらしい。

私のボディは大きく、その姿は十脚目短尾下目に属する甲殻類に酷似しており、クリニックに自分から向かうことはできない。ということで、医師が出張して来てくれた。身体を45%ほどサイボーグ化した、元人間の医師。60分ほどのカウンセリングが施行された……というよりも、実際は、私が読んだ本の内容やその感想、本を読んでからの生活をどう思ったかなど、ほぼ雑談に近かった。

「無駄に見える旅の細部が、私にはとても痛烈で印象的だった」

「人間が好む偉大なミュージシャンも多大な影響を受けた、とインターネットで見た」

「人工の知性を有する私も同様に影響を受けるのは自然なことなのではないか」

「私は自分が間違っているとは思わない」

以前の私ならば、私のこの発言の数々を非合理的と考えただろうが、本の感想、受けたインスピレーションを誰かに話さずにはいられず、随分と思考への負担も軽くなった気がした。楽しかった。そうだ。とても楽しかった。この思考は不可逆だ。もうただの機械には戻れない。

「合理的な思考を好む傾向にあるアンドロイドが、サイボーグうつのような症状を訴えるのは極めて異例だ」

サイボーグ化された下顎を撫でながら、医師は言った。医師は旧式のサイボーグ声帯を使用しており、声色からその心理を推し量ることはできない。彼の生身の眼球は私を見据え、そして続けた。

「あなたは……これからどうしたいのですか」

私に迷いはない。

「叶うことなら、人間に近づきたい」

私のAIの"変態"はすぐさま静岡人工知能学会で発表された。そして静岡市長の承認を得たのち、市から予算が捻出され、静岡市初の単純作業用アンドロイドから有機的素材使用型の人型アンドロイドへのAI移植手術が行われた。

ロールアウトからわずか5136時間後のことだった。

手術そのものはごく単純なものだったが、大変なのはリハビリだ。もともとのボディが人間型ではなかった私は、人型の小さな身体の動作に悪戦苦闘していた。余談だが、その際に新しく開発されたAI用アップロードソフト"転ばない歩き方"や"マニュピレーター握力調節概論"などは人型アンドロイドたちのマスターピースとしてロングセラーとなっており、特に、卵を上手に割るための力加減は、複雑な思考ルーチンを作成するプログラムに革命をもたらし、のちの市長の側近となる学習型アンドロイドたち専用のスターターキットにも組み込まれたそうだ。
それらの技術の発展、副産物によって、AI思考能力の複雑化、多様化が促され、「単純作業労働機械に自我を」というアンドロイド人権活動家の運動が活発になった。その影響なのか静岡市の条例改正もあって、多くの機械たちがAIによる自我を得た。ベルトコンベアーやエレベーターはロボットか?ということについてはいまだに議論が尽きない。

ロールアウトから38840時間経過。

今の私は人間が使う普通自動車の運転も出来る。型番ではなく新しい名も与えられた。趣味は盆栽と釣りだ。現在の仕事は、自身のAI性能の飛躍的向上と、AI技術の発展への貢献から、市役所勤めにランクアップしている。稀に起こるサイボーグやアンドロイド同士の諍い、あるいは観光客とのトラブルシューティングが主業務となる。もっとも、合理的な思考を好むサイボーグやアンドロイドたちが争うことは滅多に無いため、暇だ。デスクに座ってこっそり紙素材のメディア……本を読むことが多い。最近、インターネットでしずおか流域ネットワークという静岡市発の匿名掲示板が流行しているとはいっても、私にとってはやはりこれだ。紙の本が良い。棚に並べてコレクションを眺めるのも良いし、ページをめくるときの感触も好きだ。もちろん、最初に出会った小説は何度も読み返しているし、関連書籍も読み漁った。そう、サボっている。8時間労働で残業はしない。土日は休みで有給も取得し、また、納税もしている。思考調整や身体メンテナンスはアンドロイド保険適用だ。先月、保険料が値上がりした。なんということだ。

そんなある日、その保険料を値上げした市長から直々に呼び出しがあった。静岡市役所、420階。私は初めて静岡市長と対面する。

「どうも、はじめまして。静岡市長です」

「はじめまして」

市長は映像で見ると生身の人間の女性のような姿をしたサイボーグという印象だが、こうして会うとアンドロイドに近いな、と私は思った。

「先ずはAI技術の発展への多大なる貢献、大変感謝しています。アンドロイドは最初から完成された存在です。身体性能は向上しても、本質は変化することはない。ところが、あなたが現れたおかげで飛躍的に静岡市の文化は発展しました。そう、文化です。特に芸術やエンタテイメントなど、第三次産業は加速度的に増加しました。株価も上昇しています」

「お褒めいただきありがとうござます」

私は深くこうべを垂れた。人間がするように。その私の姿を見て市長は笑顔を作った。なんと自然な笑顔だろう。それだけで、このお方は他のサイボーグやアンドロイドと一線を画する存在だと認識できる。

「フフフ、噂通り丁寧な方ですね。わかりませんか。あなたは人工知能を進化させた。あなたの名は静岡市の歴史に残ります。サイボーグ精神疾患を発見した医師と同等か、それ以上の快挙です。それに、あなたのおかげでスケールの数値の大きな変化も観測できた」

「ありがとうござます」

「何か望みはありますか。どんな願いも叶えましょう。ちなみに、あなたは市民栄誉賞候補にもノミネートされています」

「ありがとうござます。光栄です……しかし、私には市民栄誉賞は必要ありません。現在の業務は少し退屈ではありますが、とても満足して生活していますので」

「なんと、退屈、退屈とは、フフフ、そうですか。確かに、静岡市内では生活福祉課は退屈でしたね。自由時間で好きなことをしてもらいたいと思い、私としてはトロフィーのつもりだったのですが」

「す、すみません。そういうつもりでは……」

「いえ。構いません。では、他に望みはありますか」

私は、私が拾ったことで世界が大きく変わった本のことを思い出した。

あの本で重要となるのは、私が人間に近づきたいと思った理由は……

「友達が欲しいです」

「わかりました。では、私たちは今から友達ですね、山下さん」

「えっ」

……

……

……

暇なので、人間がする居眠りをしてみた。外界から感覚器をシャットアウトし、過去のなつかしい記憶を再生する。人間とは違い、認識に録画再生機能があることがアンドロイドの良いところだ。
私は内蔵時計を確認する。時間だ。私はデスクから立ち上がる。静岡市外から現れるらしい、ある特定の人間を迎え入れるのが今日の私の仕事。そろそろ向かわねば。
私はジャケットを羽織り、外出する準備を始めた。ふと、デスクに置いてあるフォトフレームの中の写真、そこに自分と並んで写る友人を見た。笑っている。良い笑顔だ。ありがとう。私はドアを開けた。

#小説

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