ワンス・アポン・ア・タイム・イン・シズオカ #6

「矢崎先生、次の方で最後です」

「はい、わかりました」

ナースの声に応え、私は電子カルテに記録するためにキーボードを叩いた。

この左手の指も随分となめらかに動くようになったものだ。軽快に、まるでピアノを弾くかのように文章を打つ。

私はサイボーグ脳機能外科医だ。

専門はもちろんサイボーグ脳機能外科。私自身、頭部及び頸部、胸部、右上腕以外の身体すべてをサイボーグ化したサイボーグでもある。

現在は依頼を受け、静岡市が所有する航空母艦"あさぎり"内に設けられた診察室にて出張健康診断を行っている。そう、ここは静岡市内ではない。伊豆半島先端にある石廊崎と御前崎を結ぶ線より北方の海域、駿河湾。静岡市は駿河湾に超弩級の空母を浮かべ、軍事演習を行なっている。私が担当する健康診断の対象者は、この海上演習中の空母で勤務するサイボーグ軍人たちというわけだ。それも次のサイボーグ男性で終わりだ。午後からはアンドロイドを専門とする医師によるアンドロイド健康診断と交代となる。……お昼か。それにしても、このサイボーグの身体が感じさせてくるかりそめの空腹感は、いつまで経っても慣れないものだ。

私はかつて人間だった。

とある地方都市の総合病院で医師として働いていた、ふつうの、人間を相手にする、人間の医師。主業務は脳に電極を埋め込む手術。脳の変性による運動症状に悩まされる患者に装置を埋め込むというものである。この病気は、長年投薬治療を行っていると、薬の効き方が悪くなったり、あるいは、スイッチのようにオンとオフの状態が現れる。つまり、薬が効いたり効かなくなったり、そういった症状が出現してくるのだ。有名な俳優が罹患したことで広く知られるようになった。その患者の脳深部に装置を埋め込み、電気刺激を与えることによって症状を改善することが私の仕事だった。この手術は小さな部位にいかに正確に電極を留置するかが鍵となる。私は私の仕事に誇りを持っていた。万能細胞の実用化により「この手術が無用になる」と院長から通達されても、だ。

そして2001年、夏。

突如として静岡県の山間の村に出現した超巨大要塞、静岡市。

ある日、それは突然現れた。宇宙空間や地中からもその存在は感知されずに、銀色の小惑星とも呼べる超巨大な球体が出現したのだ。明らかに高度な文明を有するメカニカルな外装。実際、映画などでしか見たことがない、人間と寸分違わぬアンドロイドたちがそこから現れた。なんと現代の日本語を話している……!当然、この未曾有の異常事態に世界中は混乱した。宇宙人だとか地底からの侵略者だとか、マスコミは大騒ぎし、恐怖した近隣の県民たちは少しでも遠くに離れようと引っ越したり、あるいは、見物に向かおうと無許可で近づく者も大勢いた。そんななか、まず、日本政府から公的に静岡市にコンタクトがとられた。その後、G7の国々の代表と共に、世界中が見守る中、静岡市の内部の会議室にて会談が行われたのである。

「全世界にその様子をTV放送する」

という"静岡市長"を名乗る人間にしか見えない若い女性が出した条件付きで。

「そこにあったはずの村と住民たちはどこに行ったのですか?」

と、当時の日本内閣外務大臣が口火を切った。

「その質問には答えられない 」

会場はどよめいた。"静岡市長"は長く美しい脚を組み直し、その細い指を膝の上に柔らかく置く。場を支配しているのは間違いなく彼女だ。市長は敢然たる態度で続けた。その見た目は二十歳程度の長身痩躯の若い女性ではあるが、底知れない威圧感を周囲に与えていた。

「我々は侵略者ではない。目的がある。あなたがたの文明には極力干渉しない。しかし、専守防衛……静岡市に攻撃的な個人、団体、及び国家は無慈悲に殲滅すると理解したまえ。我々から奪おうとしてはいけない」

会場は気味が悪いほどの静寂に包まれた。アメリカ、ロシア、中国などが保ってきた世界のパワーバランスを一瞬にして覆す支配者が現れたのだ。会場の政治家、そしてTV放送を見守る全世界の人間がそれを理解した。人類の時代は終わったのだということを。

支配者の代表は、市長は、椅子から尊大に立ち上がり、拳を高く掲げ、神秘的な美しさを放ちながら宣言する。その言葉に割って入る者はいない。

「それから、人間の観光客及び移民は歓迎する。企業が静岡市に店舗を出すことも快く許可しよう。助成金も出す。……これでよろしいか。我々が到達したこの座標こそが、独立国家、静岡市である!」

あとは混乱である。この会談の1ヶ月後、静岡アンドロイド市民にアンドロイド侮辱を行ったアメリカ人男性がその場で惨殺され、それを契機と見たアメリカ政府の主導により、世界静岡戦争が始まった。開戦のきっかけとなったアメリカ人男性惨殺事件は、静岡市の圧倒的科学力、軍事力を目の当たりにしたアメリカ政府の陰謀による、と噂されているが、真実は不明だ。

まあ、このわずか7日間で終結する世界戦争の結末は、皆の知る通りではあるが。

私は一連の静岡市の動向を注視していた。移民を歓迎する、と。今や日本の医療は万能細胞を修めた者がスタンダード。その実用化により、心臓ペースメーカーや、豚から培養した臓器移植など、そういった医学は完全に過去のものとなりつつある。私も多くの仕事を奪われ、閑職へと追いやられた。他の医師たちもそうだ。私は亡命を決意した。妻とは40歳のころに別れ、子どももいない。私はアタッシュケースに貴重品を詰め込み、静岡市の入り口、LEVEL1と大きく書かれた隔壁へと車を走らせた。政府はそういった亡命客を許さず、あろうことか暗殺しているという噂もあるが、知ったことか。私は第二の人生を始めるのだ。あそこが希望だ。

そうして私は一度死んだ。

亡命しようとする私の不審な動きを通報した者により……おそらく院長の仕業だろうが……見張りが付いていたようだ。日本と静岡市の国境付近でカーチェイスを繰り広げたが、車は大破。私は炎に包まれた。

自分の皮膚が焦げ付くのを感じる。爆発で腹部や下肢もいくらか吹き飛んだようだ。薄れ行く意識の中、後悔ばかりの今までの人生を思い出していた。まるで走馬灯のように現れては消えて行く日々の記憶。車から無様に這い出す私に銃を向けた兵士は、私を罵る言葉を吐いた後、引き金を引こうとした。

直後、兵士の両腕は切り落とされた。

悲鳴と、骨を断つ音を数回聴いた気がする。すべてが一瞬にして終わった。血だまりと臓物を炎が橙色に照らす、その惨たらしい光景を作り上げたサイボーグがこちらに歩いてきた。下顎が髑髏のようなデザイン、生身と機械のハイブリッド、歪に黒光りする身体。髪は逆立ち、両目は爛々と燃えている。憎悪と愉悦を浮かべた、人ならざる瞳。その両手には日本刀によく似た黒曜石めいた鈍い光を放つ剣を握っている。死神のようだ!私は心の底から恐怖し、この死神によって魂を地獄に堕とされることを予感した。私の意識はそこで完全に途切れた。

その後、魂など奪われずそのまま彼に救われ、静岡市内でサイボーグ手術を受けて、現在の身体を手に入れた、というわけである。

私の指は止まっていた。再びタイピングを始める。私の意識は駿河湾の空母の診察室に戻り、引き続き電子カルテに文字を打ち込み始める。心なしか指が踊り、高揚を感じる。なぜ、このように昔のことを回想しているのかというと、次の健康診断の対象となるサイボーグ男性の名に見覚えがあるからだ。

「では、次の方どうぞ」

先ほどのサイボーグ男性の診断結果を電子カルテに記録し終えたのを見計らって、身体の88%をサイボーグ化したサイボーグナースは、電子ボイスで次のサイボーグを呼んだ。ドス黒い巨体が診察室に入って来る。

「やあ、先生。久しぶりだ。よろしくお願いします」

「君か!久しぶりだね!」

髑髏と忍者を足したようなデザイン。
全身に漆黒の塗装が施された、死神を彷彿とさせる姿のサイボーグ。私の命の恩人であり、最高傑作でもある。脳以外の身体すべてをサイボーグ化した静岡市副市長、小永谷。

彼をベッドに寝かせ、器具を取り付け、結果が出るまで雑談する。

「記者会見を見たが……大変だね」

「ああ、ははは。まったくだぜ、先生。昨日は2時間しか眠っていない。それで記者会見は俺も感情的になってしまってな」

「私が紹介したサイボーグ精神科に通っているかね。彼は良い医師だ」

「ああ。もちろん、良い先生だよ。愚痴を聞いてくれるし守秘義務も守る。サイボーグうつの診断はもらえなかったが。俺は元気だってよ。まいるよな」

「……終わったよ。後日書類を静岡市役所に送付しよう。今見る限りでは……異常はない」

「なんだって?これでか?けっこうしんどいんだが?まあいいか。ありがとうございます」

「お疲れさま。お大事に。そうだ。君が来ているということは、午後の私の往診の付き添いは君か」

「そうだよ。休暇を市長に要請したらここに出張になってな。青い空と海でリフレッシュして来い。ボディは錆びないやつだしな、って」

「そ、そうか。サイボーグ健康診断はこれで終わりだ。一緒に食事でもとろうか」

私たちは診察室を後にした。

……

……

……

静岡市において、サイボーグ脳機能外科医師の仕事は大きく分けて二つある。サイボーグ化手術の脳部分の術式を担当することと、生体デバイス化した脳を兵器に搭載する際の調整だ。

今回の仕事のメインとなるのは、この、超弩級航空母艦"あさぎり"の生体脳デバイスの調整である。現在地は駿河湾、洋上からは富士山が見える。良い天気だ。小永谷くんのストレスもこの景色で癒えると良いのだが。

「先生、どうだ。この間入荷した坊やたちに何か異常はあるか?」

「いや、無い。安定している」

操舵室で稼働する"新入り"の脳を診断、調整しながら私は答えた。これが私の往診だ。培養液内に揺蕩う生体脳とモニターを交互に見る。数値は正常の範囲内、問題は何も無い。……本当は守秘義務があるのだが、この生体脳は敵兵士から摘出しているという噂を聞いた。先日もいくつか脳が届けられたばかり。その脳を、操舵手、砲撃手、通信手などの代用として使用している。この空母内では合計103基の生体脳が稼働。

管理機械を生体脳で代用することは危険ではないのか?

元が敵兵なら尚更、自我は?

そもそも、倫理的に許されることなのか?

生命への冒涜では?

などの疑問を提示されることがあるが、まず、自我など無い。映画などの創作のようにそれが新たに芽生えることもない。ただの機械の部品、これはブレインマシンインターフェース。パーツだ。当然、人道の箍を外れた研究なのは議論するまでもない。ただの人間からすれば悪魔の所業といえるだろう。だが、私も、この小永谷も、もちろん静岡市長も人間ではない。生体脳の記憶や経験をマシンにフィードバック、コントロールに使用することに微塵の躊躇いもない。このシステムの有用性を挙げるならば、純粋なAIよりも戦争向きというか、兵士のカンと呼べるような冴えた戦術的判断を下すことがよくある。だから採用されている。サイズも小さくて人件費もかからないしな。コストカット、合理的だ。また、当然のことながら、私にも野心と復讐心がある。この研究により、私もサイボーグ精神疾患を発見した医師のように名を挙げるのだ!悪魔?マッドサイエンティスト?馬鹿も休み休み言いたまえ。

モニターを眺め、生体脳たちが制御されていることを自分の目でも確認した小永谷くんは満足げに頷いた。

「それは良かった!じゃあ、今から俺は自由時間ってわけだな!うーん。日本の青空は美しいな。ここが空母じゃなくて南の島なら最高なんだがな」

髑髏のような、いや骸骨そのものの顎で大欠伸をした彼は、巨体を伸ばしストレッチをする。私は笑顔を返す。

「行けば良いじゃないか、南の島。君が頑張っているのはよく知ってる。君を慕う者も多いぞ」

「ハァ?むさ苦しいサイボーグ軍人の男どもだろ?勘弁してくれよ」

「いやあ、今日の健康診断に連れてきたサイボーグナースは君のファンだぞ。もう見たと思うが、人工バストも豊満だ」

「本当かよ先生!そのねーちゃんを紹介してく……」

刹那、

操舵室の窓越しに見える新型ステルス戦闘機"ひらい"が凄まじい閃光と共に爆発するのが見えた。強化ガラスを容易く破るほどの破壊、爆風による衝撃波が我々を襲う。

瞬きを二度終える頃には、副市長小永谷の姿は消えていた。カタパルトへの最短距離となる強化ガラスを破って向かって行った痕跡が見える。衝撃で頭を打ち、朦朧としながら、私は、私が死んだときのことを思い出していた。私は恐怖した。

何故ならほんの一瞬見えたからだ。

憎悪と愉悦を浮かべた、人ならざる瞳が再び歓喜の炎で燃え盛るのを。

その死神の眼差しを。

#小説

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