ワンス・アポン・ア・タイム・イン・シズオカ #1

結論から言う。

山口県は滅んだ。

その言葉以上でも以下でもない。山口県はこの日、日本国の地図上から跡形もなく消滅した。スペースシャトルに乗って宇宙から地球を見たなら、日本列島のその位置には、きっと真っ黒な焦土が広がっていることだろう。

話を数時間前に戻そう。

8月。
蝉が鳴いている。
中部地方の都市圏の大学に通う僕は、夏休みを利用して生まれ育った静岡県の山間の村を目指していた。午前でさえもうだるような暑さのなか、村へと巡回するバスを1人で待っている。そうだ。僕1人。田舎ではよくある。バスが2時間に1度しか来ないのは10年前とまったく同じ。まあ、過疎化が進んでいると容易に予測できるような村だったから、バスがまだ通っていただけでもありがたい。今のこの退屈を凌ぐためのタブレット端末はあるし。それに夏休みだ。時間ならいくらでもある。

僕はコンテンツ配信サービスから購入したロックバンドの名盤を1曲目から聴くことにした。このど田舎の光景を眺めながらロックンロールかつエレクトロニック寄りの音楽を聴く。こういうのが旅には良いんだ。10年前には存在しない機器を使って、10年前の音楽を聴く。それがすごく感慨深い。音質も過去とは比較にならないほど向上していることだろう。当時では聴こえなかった音も鳴っているに違いない。時間は流れ、僕は成長したのだ、ということをなんとなく実感できる気がする。大学の友達はこういう侘び寂びをまったくわかってくれないような連中で、そもそも、彼らは、音楽なんてものは、カラオケでつまらないポップスを歌って女の子の気をひくためのものだと思ってるんだから。

バスが来た。

錆びたバス停の時刻表に目をやる。この時間に来る予定のバスはない。僕が待っている村への巡回バスが来るのにはまだ1時間以上あるはずだ。このアルバムの全ての曲を聴き終わるころに来るだろうと逆算していたのに、まだ3曲目。だが、バスの到着先は確かに僕の故郷の村の名を表示していた。
もちろん、乗るよ。侘び寂びを味わえないのは少し残念でもあるが、この暑くて日よけも意味を成さない停留所から脱出できるなら何だってやる。
僕はバスに乗った。エアコンの風が心地良い。日本の四季なんてくそくらえだ。僕は現代っ子だからな。
バスの乗客はやはり僕1人のようだ。帽子を深く被った運転手の顔は見えない。わかるのは、あの運転手はマイ座布団を使わないタフガイってことぐらいか。尻が痛くならないのだろうか。それにしても、涼しい車内で聴くエレクトロニックな音楽のなんて素晴らしいこと。科学の繁栄と、そしてインターネットの発明に感謝したい。
段々と思考が馬鹿みたいになっているのは眠いからだ。いつもはこんなのじゃない(教授はわかってくれないけど)それに、窓から見える緑は都会育ちの人には新鮮かもしれないけど、田舎から出てきた僕には退屈だし、道中では殆ど寝てない。2時間ほどしか寝ていない。今聴いているこのCDアルバムも、4曲目が終わればちょっと中だるみするから、ねむくなるのはしかたがあるまい。

……

……

……

どのぐらい眠っていたのだろう。僕は目を覚ました。

いや、目が覚めた。
起きたのはバスを降りる前だけど、そういう話じゃない。

なんだあれは。

なんなんだあれは。

なんなんだよ、あれは!

この3つの疑問しか頭に浮かんでこない。混乱した頭で浮かんだ語彙で目の前の光景をどう表現して良いか……バスを降りた僕の目に飛び込んで来たのは、あれは……灰色の、いや、銀色の、超巨大で、とてもメカニカルな、球状の、構造体、建造物……?

僕は宇宙戦争的な映画は世代じゃないし、はっきり言ってあまり好きじゃない。こういうことを言うと怒られそうだけど、僕はちゃんと全部のエピソードを観たんだ。観た上でそういう映画は好きじゃないと判断したが、遠景に見えるのは間違いなくその世界観を彷彿とさせる物体。山、に直接、銀色の、超巨大で、とてもメカニカルな、球状の、構造物、建造物……?が生えてるっていうか、例えるなら、砂場の砂山の上に鉄球を落としたかのような、そんな唐突な存在感。富士山より大きく、高さがあるのでは。本当になんだあれは?困った。これは、困った。こ、困った……

僕が困っていると道路から黒塗りの高級車がこちらに近づいてくるのが見えた。長い。黒い。黒塗りの高級車から、まるで喪服のような、黒いスーツ姿の、く、黒いスーツ姿の、バイク乗り?みたいな銀色に光るヘルメットを被った……男?が降りてきてこちらに近づいてきた。

スーツ姿のヘルメット男は言った。

「どうもはじめまして。私は静岡市役所生活福祉課、係長の山下と申します」

いかにもな電子的ボイス。なんて礼儀の良い不審者なんだ。僕は彼から差し出されるがまま名刺をもらい、一応肩書きを見てバイク屋さんの人とかではないと確認すると、まるで営業と取引先のような事務的な挨拶を交わした。彼の黒いバイザー部分に困惑した僕の表情が反射している。あとは、はっきり言ってこのくだりはあまりよく憶えていない。脳が処理しきれないからだ。ただ、意味不明だが恐ろしいことを言っていた気がする。「あなた方にとって珍しいのはわかりますが、あまりジロジロとサイボーグやアンドロイドを見ることはやめておいた方が良いですよ。静岡市内でのサイボーグ及びアンドロイド差別は厳重に罰せられます」とかなんとか。

そして僕は「迎えに参りました。どうぞお乗りください」と言われるがまま、黒塗りの高級車のドアに吸い込まれた。乗ってしまった。乗って良いのか。すごい。初めてこんな豪華な車に乗ったけど、内装がホテルみたいだ。車酔いに大きく貢献するあの嫌な布のにおいがまったくなくて、パソコンの箱を開封したような、人工的な無垢さを感じる。それでいてエンジンの駆動音はとても静かだ。そんなことを考えながら、車は、やはりといえばそうだけど、あのメカニカルな球体を目指しているようだ。山間の緑をかき分け突如として圧倒的な存在感で佇む宇宙戦争的超構造体。まるで銀色の惑星だ。そう、この表現が最もしっくりくる。銀色の惑星。
徐々に近づくにつれてその威容に圧倒される。百貨店やドーム型球場など比べ物にならない異常な大きさ。その外壁には、蟹や海老などの海洋生物を模したような機械たちが取り付き、火花を散らして何かを建設しているようだった。そうして僕たちが乗った車は、くり抜かれた西瓜のくぼみのように開いた巨大な入り口を通過する。運転手は誇らしげに電子ボイスで言った。

「ようこそ、サイボーグとアンドロイド、そして技術の街、静岡市へ」

いくつもの隔壁をくぐっていると、内部の街らしき光景が見えてくる。帰ることができるのだろうか……と不安になって振り返った僕は驚いた。中に入ったのに外の景色が透けている!透明だ。壁が透過しているのか。内部から外の方向を見ると青空が広がっていて、僕が乗ったバス……そして、このくそったれの高級車で移動してきた道路もはるか遠くに見えた。その光景が、入り口付近の鉄条網と建設機械、また、観光客らしき長蛇の列、武装した人間のようなもののシルエットと共に遠ざかって行く。SF映画ではよくある表現だ。もちろん現象としては初めて体験している。どういう原理なのかは当然まったくわからない。

長いトンネルのような通路を抜けた先、この銀色の惑星の内部の街は、視界に入るすべてのものが何らかの機械化がされており、それでいて、整然とした日本の地方都市のアンサンブルのようだった。車の窓の外の世界に僕の目は釘付けになる。日本語で書かれたさまざまな企業の広告、看板が至る所に掲げられ、そこには見覚えのあるブランドの宣伝も並んでいる。それらの広告を目で追うと、壁だと思っていたものが、天を衝くかのようにそびえ立つ極大の摩天楼群だということに気がつく。高層ビルの外壁には幾何学模様めいた人工の虹色の光が灯され、脈打つ鼓動のように明滅していた。また、ところどころに街路樹が植えられているけれど、それもまた内部機械の露出が発見できる。道路も鈍色のアスファルトに見えて白銀のようだったり、合金のような光沢がわずかに輝いている。まるで、超科学であえてレトロ世界の再現をしているといわんばかり……といっても、僕ら現代日本人にはどこか既視感も覚える。しかし、なんだ、ここは。アミューズメントパークか?それとも、映画か何かの撮影所か?いや……ここはまさしく、本物の未来都市だ。
歩道にはたくさんのヘルメット人間がいた。外国人含む観光客らしき人々も大勢いる。人口密度は想像上のメガロポリスそのもの。たくさん、たくさんだ。そして、いろいろだ。いろいろ。服を着ているやつもいれば、これぞ古式ゆかしいロボット!みたいなのもいるし、犬っぽいやつだとか、動物型を散歩させている人間は……顔を露出している人は、肌の質感からして人間にしか見えないが、両脚が逆関節で、おそらく下半身が機械なのだろうとわかる。

窓の外の世界に夢中になっている僕に向けて、「あまりジロジロ見るな」という訝しげな視線をミラーごしに感じたので、僕は目を閉じて現実から目を逸らす。
しばらく沈黙は続き、車が止まることでその静寂は打ち破られた。この遥かなるバベルの塔めいた摩天楼が……静岡市役所。

「こちらのカードキーをお持ち下さい。レベル10までの隔壁を通過でき、リーダーを通すことでエレベーターであらゆる階層に向かうことができます。エレベーターはこの隔壁を通過した先にあるので、そこのタッチパネルで4、2、0と押してください。420階はフロアすべてが市長室。そこで市長がお待ちです」

「あっ、はい。そうなんですねわかりました」

ちなみにこのカードキーは副市長と僕しか持ってないらしい。やったね。レアカードじゃん……僕みたいなのに渡してしまって良いんだろうか。狙われそう。
ヘルメットマンこと山下さんはこの隔壁を通過できないので、見送ってもらい、いま僕は1人で大学の講堂並みに広いエレベーターに乗っている。彼の素顔はいつか見てみたいものだ。あれが顔なのかも知れないけれど。

……

……

……

壁越しに青空を透過させながら、とてつもないスピードでエレベーターは上昇して行く。ふたたび1人になって、荷物を車に忘れたことと、なぜ10年ぶりに故郷に戻ることになったかを思い出す。

いたって普通の理由だ。
幼馴染に呼ばれたからだ。
10年前、幼稚園と、小学校の同級生だった女の子。僕は10歳の頃に父の仕事の関係で都心の学校に転校した。幼なじみは……だから恋人とかそういうのではない。残念だけど。バイトもないし、暇だから帰省ついでに来てみた。それだけだ。ノスタルジーってやつもあるかな。

……

……

……

エレベーターは上昇を続ける。

……

……

……

SNSで友達の欄に僕の名前を見つけて、「うわあ久しぶり!」とコメントされて、夏休みに遊びにおいで、とかそれだけ。本当にこれだけの話だったはずだ。その幼馴染のSNSの投稿には、ごく普通に「市役所に就職した」とか当たり障りのないことばかり。当然、村が宇宙戦争に出てきそうな強大な構造物に飲み込まれましたなんてことは書いてない。と、いうか、ここのことはニュースにすらなっていない。僕は異界にでも紛れ込んでしまったのだろうか。ここは僕が知ってる地球じゃないとか?馬鹿げてる。

……

……

……

大きく揺れた。420階。いったいどれぐらいの高さなのだろう。ひとつのフロアの天井もものすごく高いし、富士山頂ぐらいだろうか。壁を透過している空に青のグラデーションがかっている。揺れが止まった。

考えても無駄だ。そうしてエレベーターは停止し、自動で扉は開いた。420階、静岡市長室。体育館のような広さのハイテク執務室だ。

僕は歩き出す。僕の予測が正しければ、市長は、僕を呼んだ奴は……

「うわあ、久しぶりだなあ!」

20メートルほど先に置かれた長大なデスク、その上座に掛けた美しい女性が勢い良く立ち上がり、ヒールの高い靴を鳴らしながら歩いてきた。ダークネイビーのスーツを着た、背が高い、10年前の面影を残した、僕の、初恋の人だ。

「元気にしてたか。変わってないな。フフフ、あまり背は伸びなかったのか。いや、私がヒールを履いてるからだ。気にしたらすまない。いやいや、そういうことを言いたかったわけじゃないんだ!」

笑顔でまくし立てる。長身痩躯、美しい黒髪。タイトスカートからのぞく脚はファッションモデルなんて目じゃない。これがSF映画に出てくる要塞の最上階じゃなかったらどんなに良いことか。

「とにかく、おもしろいものを見せよう。ついて来い」

彼女は後ろを向き、フロア内に置かれたよくわからないハイテク機器群へと向かって行く。髪を結んで露わになったその細い首には、何かケーブルを刺すのに適したような、人工的な穴が開いていた。その首のジャックに、エレキギターとアンプを繋ぐシールドケーブルのような長い展性の金属の管を突き刺し、もう一方をなんらかの管理機器に接続する。幼なじみは、僕の初恋の人は、おそらく人ではない。これは直感だ。雰囲気、威圧感でわかる。首の穴はその象徴に過ぎない。もっと本質的なものが変化した……人間だった何か。そのような言葉で表現できるような存在になっている。かつてヒトだったもの。そんな予感に僕の精神と記憶が鑢がけされていることを知ってか知らずか、虚空に浮かんだ半透明のタッチパネルを操作しながら彼女は続けた。

「このモニターを見ろ。うん、日本の青空は美しいな。そしてこれが我が静岡市が誇る新型ステルス戦闘機"ひらい"だ」

空を飛翔しているかのような現在進行形の視点と、黒い三角形の飛行体のシルエットがモニター上に3Dで映し出される。

「何をするつもりだ。」

「"ひらい"は山口県に向かっている。それにしても美しい青空だ」

「何をしてるんだ、お前は」

「レーダーどころか目視でも不可視のステルス戦闘機だ。素晴らしい技術だと思わないか。お前が好きなB級映画のエイリアンが使う空想の技術と似ている。タイトルは何だっけ。とにかく!科学技術は我ら静岡市民の誇りだ」

「おい!」

「ちなみに局地的破壊兵器"すいか"を積んでいる。"すいか"は国連が禁止する兵器には含まれていない。言葉遊びのようだが、新型だからな」

「待てよ!」

「おいおい、肩を掴むな。ちょっと痛いぞ。それに私に腕力で勝てるわけないだろう。10年前と同じだな。相撲が弱いのは相変わらずだ」

僕は容易く組み伏せられる。

「……」

「……ちなみに、"ひらい"がステルス高速移動しながら展開するのは、専用の弾体射出用電磁投射砲だ。電磁的に射出された"すいか"は日本の自衛隊が保有する現行の弾道ミサイル警戒システムでは探知できない」

「何の話をしてる」

「……つまり、弾体も不可視だ。見えない弾を撃つ。いつでも、どこでも、局地的破壊兵器"すいか"を放つことができる。今回の標的は山口県だ。次は右のモニターを見ろ。赤いピンが"ひらい"で青いピンが山口市役所だ。今出た緑色のやつが"すいか"だな」

「やめろ!」

「無理」

別のモニターの映像に、一瞬だけだが、はるか上空から地方都市らしい、都会でもない、田舎でもない、どこにでもあるような街並みが俯瞰でモニター越しに映し出された。しかし、そのミニチュアめいた世界はまばゆい光に包まれる。どこまでも明るくなるその映像の中の太陽の中心から、やがてキノコ雲が見え、それがドス黒い雨を降らしていた。

こうして山口県は日本の地図から永遠に消え去った。

そうだ。山口県は、滅んだ。

バスを待っていた数時間前とは完全に別世界だ。この地に足を踏み入れたときには、僕自身のあるべき日常だとか、常識なんてものは、きっと、必ず、打ち砕かれるだろうという予感を受け入れ始めていた。エレベーターに乗るころにはそれは確信に変わり、たったいま事実になった。目を閉じて、また開けば、いつも通りの世界。そんな甘い現実逃避の目論見だってもはや完全に無駄。わかっている。わかっているが、すべて元に戻ってほしい。元の世界に帰りたい。
そんな想いを乗せた大いなる嘆願のように、僕は目を閉じる。そして人生で最も絶望的で、長い瞬きが始まった。

#小説

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