かゆみとの闘いから学ぶ人生

らぎだ。

前置き長いので飛ばしてもいいともいます

前置き

今年も暑くなってきたね。

去年暑さも少し落ち着いた秋の入口。駐車場に生えてた雑草の処理をしていたところ、植物に負けて腕がぶつぶつに。
かいかいしてたら、体中のいろんなところに転移してそりゃもう大変だった。ゴーヤの気分だった。チャンプルーにして食われるのではないか?そう思っていた。
病院にいって薬をもらい約1ヵ月たたかい、ぶつぶつ生活は終わった。そうそれが去年の10月のこと。

もうあんなことにはなるのは嫌だ。
そう思い今年は絶対に長袖を着て作業することに決めていた。暑くなってきた5月中旬。あまりの暑さに長袖着て山に入るのアホだろ、服は体温を調整するためにいろんな種類があるんだ。
そういう気持ちをぐっと抑え込み、二の舞にならぬよう長袖を着て作業していた。5月下旬の春春春夏夏夏春夏夏冬←この日にとある用事で山に出た。少し続いた夏のような暑さを一旦置いといてと言わんばかりの寒い日。長袖しか選択肢にない日になぜか半袖で作業をした。
『どうせ1時間くらいしか作業しないし』『植物は夏に生えてるもの』『ケンタッキーはうまい』そういう思い込みが甘えさせたのだと思う。バブバブ。
ものの見事にその1時間で腕がゴーヤに変身。沖縄出身の人に見つかれば輪切りにされる腕が出来上がった。

ゴーヤになった腕を掻いてしまうと、拡がっていき、また体中がゴーヤになってしまう。like a バイオハザード。そうならぬよう、掻くのを我慢して1週間。

前置きはここら辺にして、気づいたことをチラシの裏的な感覚で書いておく。

本当にかゆいのか

かゆい状態がどういう状態なのかはさておき、実際本当にかゆいのかという疑問がわいた。むずむずする

という状態ではあるが、掻きたいと思っているのかどうかが不思議であった。実際今回ほぼ掻くことなく症状は治まってきている。かゆいから掻くというのは実は幻想で、

『掻いたら気持ちがいいという快楽に溺れているだけなのではないか』

という真実に気づいてしまった。

かゆみというのは、覚せい剤みたいなもので、実際使ったことはないからどういう感情なのかわからないが、もう一回もう一回となるらしい。覚せい剤を使わないと死ぬわけではないのに、使ったときのことを思い出して、もう一度。

かゆいところを掻く≒覚せい剤をつかう

の式が導かれる

覚せい剤をしたことがない普通の人間からすれば、あんなに危険だ、やってはいけないといわれているものに手を出す理由はわからない。好奇心はあれど、人が壊れることがわかっているからだ。一方、かゆみを掻くことは犯罪でもなんでもなく、掻けば白目をむいてしまうくらいの快楽を味わえる。

本来言いたいことから大きくずれてしまったので、そっちを目的地にする。

旅で遠回りも時にはいいものだ。違う電車に乗ってみたり、間違えた道をそのまま進んでみたり。いつだって目的地を変える余裕がある人間のほうがおもしろい。

かゆいっていうのは、実質覚せい剤。

蚊に刺されたら実は幸せ。

夏をたのしもう。

では。

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