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デボラ・カーと最愛の夫ヴィアテル


9月30日は、大好きなデボラ・カーのお誕生日。2021年は生誕100周年にあたり、「王様と私」くらい放映してほしかったけれど、静かに過ぎました。好きな人は好きという女優さんなのでしょうね。 私にとって憧れの夫婦である二人のことを、(想像と思い入れだけではありますが)書かせて下さい。

何でも手に入るとしたら何が欲しいか?と聞かれて、デボラ・カーは、”まさに今持っているもの、私たちのlifeをone more" と答えたそうです。 なんて素敵な答!! お互いに再婚でしたが、デボラ・カーが86歳で亡くなるまで47年間連れ添い、夫のペーター・ヴィアテルはデボラ・カーが亡くなった3週間後、後を追うように癌でこの世を去りました。


写真

 

素敵な写真がたくさんあるなかで、無防備で信頼しきった表情に引きこまれてしまう大好きな1枚。二人の写真はいつも、自然に寄り添い、どこかが触れ合っていて、本当に愛し合っていたんだなと思います。

写真:インターネットより借用 引用元不明のため分かり次第追記します



出会い


ふたりの出会いは「」(1958年 アナトール・リトヴァク監督)のロケ地ウィーン。主演はユル・ブリンナーとデボラ・カーで、「王様と私」に続く2度目の共演が話題になった作品です。 リトヴァク監督は、アドバイスをもらうために、友人で脚本家のヴィアテルをウィーンに招きました。
関係者の夕食会で、ヴィアテルは偶然デボラ・カーの横に座り、類稀たぐいまれなひと時を過ごしダンスまで踊った頃には、もうすっかり恋に落ちていました。

She was modest and almost self-effacing, intelligent and needless to say, beautiful in a very special way, with her pale skin and reddish blond hair. 
Peter Viertel

撮影がオフのときに美術史博物館にブリューゲルを見に行ったり、ランチをしたり・・ 既婚者の二人にとってそれは、「どこにいても、良いお友達でいましょう」で終わるはずでした。 遅れてやってきた夫のアントニーが、ヴィアテルからの贈り物の銀製のアンティークボックスとメモを見るまでは・・・

スターの階段を駆け上がるなかで、結婚生活の実質を失っていたデボラ・カーと妻と別居していたヴィアテル。 二人は運命に導かれるように出会い、「旅」の撮影中にデボラ・カーの離婚が正式に発表されました。
どうやらリトヴァク監督もヴィアテルの背中を押したらしい・・・
やってくれますねえ。



結婚式


1960年7月23日、二人はスイスのKlostersで、近親者を招いて結婚式を挙げました。ジヴァンシーのウェディングドレスは、オードリー・ヘップバーンからのプレゼント。私はオードリーも大好きなので、親しかったなんて嬉しい♡ オードリー・ヘップバーンの他にも、イングリッド・バーグマン、キャサリン・ヘプバーンなどと談笑する写真が残っていて、こんな人たちが「ハリウッドの同僚」だった訳ですから、すごい時代だったと思います。

肝心のウェディングドレスは、当日になっても届かず、あちこちに問い合わせて、ヴィアテル宛ての荷物として郵便局に保管されていたことがわかり、式の直前にやっと届いたそうです。そんなハラハラドキドキのアクシデントがあったなんて想像できない、幸せそうな姿。

写真:Deborah Kerr Eric Braun著より



町中の人が、二人が乗るポニーの馬車を沿道で祝福しました。ふたりはクロスタースに山荘Wyhergutを建て、スペインのマルベーリャと行き来しながら、後半生を過ごしました。(マルベーリャにはデボラ・カーの名前が付けられた通り、Calle Deborah Kerrがあります)

写真:csm_hollywoodontherocks_4_3164f58122.jpg



異なる生い立ち

  

ヴィアテルはドイツ生まれ。父は映画監督・作家、母は女優・脚本家で、ヒトラーから逃れてアメリカに移住しました。グレタ・ガルボやトーマス・マンが家に出入りしているような環境で育ち、ヨーロッパにサーフィンを紹介したのはヴィアテルだと言われています。

デボラ・カーはスコットランド生まれ。第一次世界大戦の負傷で義足だった父と母・弟の4人家族で、幼少期は父方の祖母の家で育ちました。父は建設会社の技師でしたが、デボラが16歳の頃結核で亡くなります。 寄宿学校時代はいじめにもあっていたそうです。 弟を相手にするお芝居ごっこや空想が、心を自由に羽ばたかせてくれる遊びでした。

内向的で、自制的に育ったデボラにとってヴィアテルは太陽のような存在だったでしょう。 ヴィアテルが与えてくれる愛情、絶対的な肯定感、安心感は、生涯を通じてデボラの支えになっていたと思います。 
華やかなキャリアの影で、プライベートでは愛を求め続けた大スターも少なくないなか、デボラ・カーは人間的にも満たされていました。


not so long 

 
一緒に過ごした47年の年月が、短か過ぎるとはいえないでしょう。でも、映画の「マイ・インターン」で、ロバート・デニーロが、40数年連れ添った亡き妻との生活を「not so long」と語った場面を観て、何十年でもあっという間なのだとしみじみ思いました。人生の達人には、まだまだなれないなあ。 

TCMは生誕100周年に、終日彼女の作品を放映したようです。私はふたりの肉声が入ったTribute動画を観ました。 
いつかイギリスにお墓参りに行きます!

<Youtubeのtribute動画>