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あたらしいある日のハナシのシ

あたらしいある日のハナシのシ

先日、アトリエナルセのホームページに設置されていたブログページ「読書室」のブログシステムがウィルスに侵され(どこもかしこもウィルス流行ってるね〜)長年かいていた日記みたいなブログ「ある日のハナシのシ」が更新できなくなりました。(※閲覧はできます)
いや、長年かいていたといったってインスタグラムを使うようになってからは、半年に1回から年に1回くらいの頻度となり、最後の更新からは2年近くたっている。というほったからかしの状態でした。土地でいうと雑草に覆われて、ここなんの場所だっけ?という感じですかね。

ただ、わたしの中ではどこか拠り所にしているところがあった「ある日のハナシのシ」という場所。更新できなくなった。となれば、ちょっとだけぽっかりと穴があくような感じがしたんですよね。勝手なものですが。
そんなわけで、あらたに「ある日のハナシのシ」を書ける場所をさがそうではないか。と、探しているうちに「note」にたどりついたわけです。
といっても、noteとはなにかしら。とまだnoteのおもしろみの部分に触れたわけではなく、なんとなくあたらしい賃貸物件の1室をかりたような気持ちでかいています。

インスタグラムもツィッターもやっているので、アウトプットの場所がないわけではないのですが、ふと思い出すのです。
まだツィッターもインスタグラムもなかった頃、それはそれは熱心にホームページの日記ページを更新していた頃のことを。
仕事もいそがしくはなく、家庭をもつ前の自分だけの時間だけはくさるほどあった頃の自分にとって、ホームページの日記を書くという行為は、自分自身を励ます場所でもあり、無意味ななにも起こらない1日を無意味ではないなにかを変える唯一の場所でした。

インスタグラムも始めたころはなんだか楽しくて、あまり深くかんがえずに更新していたのですが、いつの頃からか、プライベートなことを書く場としてはちょっと窮屈にもなってきました。(結構書いてるほうだと思いますが)ありがたいことにフォロワーが増えていくたびに、なんとなくここはアトリエナルセのことを中心に書いたほうがいい場所なのかもしれないなあーと漠然と思うようになり、それならば。と、アカウントだけ持っていたツィッターでもぽつぽつとつぶやきはじめていますが、それはそれでたのしいのだけど、なんだかもっとだらだらと書ける場所がやっぱりほしいなあー。と思って、ここにたどりつきました。ね〜だらだらと書いてる。

さて。だらだらといったい何が書きたいのか。
わたし、今年の4月で43歳になるのですけれど、いろいろあります。いろいろあるわりに、たいしたことではないんですけども、仕事のこともそうですけど、自分自身のこころと身体の変化やそして興味の変化だったり、家族の中でのあれやこれやなど、やっぱり書きたいなあと思うんですよね。
そんなキラキラした日常ではなく、まったくもってふつうの、機嫌がいい日もあれば、機嫌がわるい日もあるまいにちの変化を、書いていきたいのです。それは、なぜか。なんなのか。
それは自分の人生を客観的にも、たのしみたいなあ。と思うからです。そして、それを読んでくださった方が、ちょっとだけホッとするかもよ?とも思うからです。いいこともあるし、わるいこともある毎日を、読んでくれる人も自分の日常をおなじようにちょっと客観的にみて、日常のいいところを通り過ぎずにすこし立ち止まって味わえるのではないかしら。と思うのですよね。おこがましいですけどね。なんかね、書きながらおもいますね。

と、noteもSNSといわれるものですよね。いいね。の数なんかもついちゃうやつですよね。これ、ふりまわされたくないなあー。
わたしは気がちいさいほうなので、数字が少なくても多くても、なんだか窮屈な気持ちになるほうなので、どんどん数字にどんかんになる訓練をしつつ、ちょっと書いていってみようかなあ。と思います。
さてまず1回目はこのあたりでおわりにしようかしら。


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