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世に放たれた直後の音~バルカロールの揺らぎ 内藤晃ピアノコンサート~

1月21日に開催された『バルカロールの揺らぎ』内藤晃ピアノコンサート、無事終了いたしました。

チラシ

休憩無し、曲間の拍手なしで約60分間の、まさに「内藤ワールド」全開でした。今回の企画はアトリエミストラルの1905年製プレイエルを使って、様々な作曲家のバルカロール(舟歌)を特集。途中、内藤さんご自身による朗読が入ることにより、よりその世界へ誘われ、とても心地よい60分でした。

<プログラム>
オッフェンバック
 オペラ《ホフマン物語》〜〈舟歌〉(ブゾーニ編曲)
ドビュッシー
 《小組曲》より〈小舟にて〉(ピアノ独奏版)
フォーレ
 舟歌第1番 イ短調 Op.26
モーツァルト
 オペラ《コジ・ファン・トゥッテ(Cosi fan tutte)》K.588 〜〈風は穏やかに(Soave Sia Il Vento)〉(内藤晃編曲)
メンデルスゾーン
 ゴンドラの歌(遺作)
 《言葉のない歌曲集(無言歌集)》〜2つの〈ヴェネツィアのゴンドラの歌〉Op.30-6、Op.62-5
シューベルト
 歌曲《水の上で歌う》D.774(内藤晃編曲)
チャイコフスキー
 《四季》より〈6月 舟歌〉
リスト
 悲しみのゴンドラ(第1稿)S.200-1
モンポウ
 《内なる印象》より〈小舟〉、ムンジュイックの橋
ショパン
 舟歌 Op.60

内藤さんは、いわゆるプレイエルらしさを存分にそのまま表現できる方です。この時代のプレイエルは、製造された国の雰囲気を纏ったままなので、やはりフランスものと抜群の相性を見せてくれます。
内藤さんは、低めの椅子がお好みで、いわゆるピアノ専用の椅子ではなくパイプ椅子での演奏もおなじみとなりました。

プログラムの中でドビュッシーやフォーレの曲では、作曲家がその曲を初めて放った直後のような、無垢で無邪気で新鮮な「音」を聴いたような気がしました。

クラシック音楽は「再生」音楽でもあり、同じ楽譜から何度も何度も世界中のピアニストによって弾かれます。弾かれることで深みを増したり、様々な解釈が生まれたりするため、そういう楽しみを聴く側は享受します。

この日のドビュッシーやフォーレは、そういうものを感じない、純真無垢な音だったんです。そして一つ一つの音がまるで生きていて、次の音と出会ったときに驚いたり、楽しんだり、緊張感が生まれたり、という「音の連なり」によって起こる感情を、聴く人間だけではなく、ピアノの音自身が感じていたかのようでした。

何度もこのピアノの、様々なピアニストによる演奏を聴いてきた私がまさに初めて遭遇した感覚でした。これは嬉しい発見。

クラシック音楽は再生音楽ではありますが、演奏家が生きている時間の中で、様々な経験や思いを「音」にするので、毎回違った「音」を聴くことが出来ます。聴く側も同様で、同じピアノ、同じ空間、同じ演奏家の同じ曲であっても、まったく違う音を発見するのです。

演奏家も聴衆も、ピアノも、そして空間も生きている。

こういう経験ができる「場」を活かしていかなければ、と改めて思いました。

お越しいただいた皆様
内藤晃さん
ありがとうございました。


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