娘が生まれたときの話


娘が生まれたときのことは今でも鮮明に覚えている


長男のときとは違い、生まれたときは泣かなかった

全身、青紫で体が小さく、小さな声すらあげなかった


生まれて数秒後には看護師さんや医師が慌ててバタバタとし始め、わけもわからぬまま娘は呼吸関連の処置を受けた。

その後、大きい病院から医師が来て診察。特徴的な外見で気になるところがあるので、色々と検査をしたいとのこと。

奥さんはその日のうちに娘と引き離され、私が病院に向かって検査結果などを待つことになった。

深夜だったので、まだ1歳半だった長男を4時間抱っこし続けて腕がもげそうになったのは今でも覚えている。

ひととおりの検査が終わり、ブドウ糖を点滴し続けないといけないこと、心臓の壁に小さな穴があいていることなどを告げられた。

そのときに考えていたのは、命に別状はないのかということだけ。

当時、すでに医療ライターとして働いていたため、この時点で染色体異常があるのだろうと感じていた。

それからNICUに入り、数ヶ月が経過。
ようやく診断がおりた。

ルビンシュタイン・テイビ症候群とターナー症候群、心室中隔欠損、動脈管開存症、水腎症など。

染色体異常が2つあるのはほとんど例がなく、かなり珍しいとのことだった。幸い、どちらも命に大きな影響がある病気ではないとのことで安心した

動脈管開存症は手術で根治、心室中隔欠損はとても小さな穴で自然に閉じてくれた。水腎症も今のところ大きな影響は起きていない。後から心肥大と診断されるも経過は良好。

ここ最近までは感染症にかかる度に即入院、肺炎を繰り返していたけれど、だんだんとマシになってきて良かった。


そんな娘も今日で7歳になりました。


NICUでは、うつ伏せに寝かされて縮こまってほとんど動くことができなかった。今も自分で座ることはできないけれど、朝起きると足をうまく使って体を動かして近づいてきて、さすさすと触ってくる

起きて挨拶をすると満足して、にこやかな顔になる

今日は学校でスペシャルメニューのお昼ご飯(基本は経管栄養だが、リハビリとして流動食を少しずつ食べさせてもらっている)、デイでみなさんに祝ってもらい、終始ご機嫌だったとのこと。


この7年間、とても良い人たちに巡り会えて充実した日々を過ごすことができた。夫婦ともに孤独感もなく、療育園、支援学校、デイ、訪問看護師さんなど、さまざまな人に支えられた。

これからも、良い人に巡り会えて、娘にとって良い人生になればいいなと思います。



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