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BABA GEMSより便りありーその1

Srilankaに滞在していたBABA familyより現地の写真がたくさん届きました。

1枚目は世界文化遺産「シーギリヤ」です。
私がSrilankaを訪れたときは主にビジネス中心だったので
あまり観光で足を伸ばすことができませんでした。
この場所もそのひとつです。
シーギリヤの遺跡
5世紀にカッサバ1世によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなっています。
シーギリヤロックは火道内のマグマが硬化して出来た岩頸で、形状は楕円柱、標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、全方位が切り立った崖になっています。この孤高の遺跡には身が竦むような歴史がありました。
◯歴史
シンハラ王朝の5世紀、ダートゥセーナ英語版)王の息子カッサパ1世は、クーデターを起こし、477年には父親から王権を奪取します。しかし平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナ1世に王位を奪還されることを恐れ、より安全なシーギリヤへと遷都しました。カッサパが在位にあった477年から495年の間、シーギリヤは複雑な市街と防衛機能を併せ持つ都として発展し、即位から7年後にはシーギリヤロックの頂上に王宮が完成するのです。
一方、兄カッサパからの難を逃れていたモッガラーナは、亡命先の南インドから軍隊を引き連れ兄に戦いを仕掛けます。当初はカッサパ王が優勢であったものの後に劣勢に転じ、495年、ついにシーギリヤは陥落します。観念した王は喉を掻き切り自害。王位に就いたモッガラーナはシーギリヤを仏教僧に寄進し、再び都をアヌラーダプラへと移しました。シーギリヤは13世紀から14世紀頃まで修道院として存続しますが、徐々に衰退。その後は16世紀から17世紀キャンディ王国がこの地を分営として利用するまでの間、記録は残されておらず、また同王国の衰退の後にも再び放棄されました。
*以上、Wikipediaから抜粋させていただきました。

これから、ひとつづつ写真を紹介しながら、Srilankaと宝石についてご紹介していく予定です。
このシーギリヤにはまだまだ謎があるので次回に続きます!

https://babagemsonline.com/ja

つづく


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