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昨日、20年一緒に暮らしてきた猫が死んだ。

実家の外猫だった彼はとても臆病で、結婚するときにもう一匹と一緒に嫁入り猫としてついてきた。
家猫になってからは、もう一匹の弟分を支配下におき、我が家の王様として長年君臨してきた。
弟分が10年位前に骨肉腫で亡くなったあと、三匹の猫が増えた。
王様は新入りの登場にもその座を譲ることなく、昨日、20年6ヶ月の生涯を閉じた。

4月ごろ腎臓病が悪化してから徐々に弱ってきた。
階段を上がれなくなったり、トイレに行こうとするけど間に合わなくなったり声が小さくなったり。
そして今週は顕著に日ごとに出来ることが減って行った。
声が出なくなった。
立てなくなった。
ずっと寝ているからうんちが出なくなった。
目にクレーターみたいな凹みが出来た。

すかんちの曲で、一週間の間にいろいろなことが出来なくなる歌があったな。
なんていう曲だったんだろう。
曲の感じは覚えているし歌詞もところどころ。
木曜日?君の声が聞こえない。もう二度とは響かない。永遠の静寂がいま、ぼくの心を包み込む・・・というかんじで、月曜日からだんだんと出来ないことが増えていく歌。

昨日は、彼は私のことがすごく好きなので、抱っこしてあげたかったけど、人間だって体調が悪いときには横になっていたいものだから、なでたり手をつないだりしてあげた。
朝から手や足が冷たくて、左手は感覚がないのか無反応だったけど、右手に触るとぎゅっと握り返してくれた。
それからまもなく、死んでしまった。

20年も生きたのだから、もういいんだろうとも思う。
わたしだって人生100年時代と言われると勘弁してほしいなと思う。
猫の20年は100歳くらい。
大往生だ。
猫が人間以上に長生きしては大変だ。
それはわかっているけれど。

この半年くらい、彼の介護をしていた。
ご飯も時間がかかるから、ゆっくり、少しずつ何回も。
毎朝点滴をしたり注射をしたり薬を飲ませたり。
トイレが間に合わなくなってからは、時間を見てトイレに入れた。
それも難しくなったらおむつをつけた。
抱っこしながら仕事が出来るように抱っこひもを買ったり。
庭で散歩させたり。
そういう手がかかるところがまた可愛かった。
今、それらのことをしなくなって、変に時間が余る感じがしている。

今日火葬してきた。
家に帰ってきてももういないから、帰るたびに不在を確認し悲しくなる。

きっとまた会えるだろう。
わたしもまだ解脱しないみたいだし、来世でまた会えると思っている。
わたしはクリスチャン家庭で育っているから、輪廻転生は縁遠い考え方でもあった。
でも、ヨガを通してヒンズー教についても学んだ。
いろんな宗教や哲学、考え方がごちゃごちゃとわたしの中にあるけれど、そのときにちょうど良い考えを採用出来るところがいかにも日本人だなと思う。


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