星信仰と太陽信仰の対立 その1

日本にいると、“おてんと様”信仰があまりにも浸透してしまうのだろうか。普段から世界の神話や女神を取り扱っているにも関わらず、私は今まで、神道内での太陽神中心体系を疑うことをしていなかった。

疑うきっかけは、日本ではなくエジプトだった。

松村潔氏の著書で「エジプト時代に、星信仰と太陽信仰の対立があった。」という記述をちらっと見た時、私は、「エジプト時代」を「日本」に置き換え読んだ。(『宇宙魂に目覚め、自分の魂の星(ふるさと)を旅する』31頁 「ギリシャ時代以降、占星術は、太陽系内の惑星のみを使っている」といった内容)

その日は、寝る前、アンタレスからベテルギウスを探索※1しようと、松村潔氏の本を開いた。すでに、ベテルギウスからアトリエにプッシュがあることは薄々感じてはいたので、まさに、ベテルギウスからのメッセージだと思った。こっちから“詣る”前に、あしばやに印象を送ってくるあたりが、ベテルギウス感満載だ。
こうなっては今日は眠れない。あのベテルギウスなら、眠らせてはくれないだろう。

※1 恒星探索については、松村潔氏の著書をお読みください。
『宇宙魂に目覚め、自分の魂の星(ふるさと)を旅する』

画像1

オリオン座の左上の赤い星がベテルギウス
日付 2012年8月23日
原典 http://deepskycolors.com/astro/JPEG/RBA_Orion_HeadToToes.jpg
作者 Rogelio Bernal Andreo
(恒星ベテルギウスの印象については、松村潔氏の投稿や記述に加え、あくまで私が感じ取ったものである。正しいかどうかは、それを問うこと自体、話の方向性が狂うのでご容赦頂きたい。)

日本には、星信仰と太陽信仰の対立がある。
そこに、何かしらの恒星型共鳴、もしくはミッシングリンク※2を解く鍵がある。

それがメッセージだと、すぐにわかった。

※2 ここでは、下記のデジタル大辞泉の解説2の意味で使用している。「地球と宇宙をつなぐ道」において、「分断」されたところを指す。

「ミッシングリンク」デジタル大辞泉の解説
1 生物の進化・系統において、化石生物の存在が予測されるのに発見されていない間隙。系図を鎖に見立てていう。始祖鳥の発見は鳥類と爬虫(はちゅう)類との間隙をつなぐ例。失われた環(わ)。失われた鎖。
2 《1から転じて》分断された鉄道や(高速)道路のこと。「ミッシングリンクを解消して経済の活性化を図る」

早速調べてみると、
神道における星(恒星)の神は、アマツミカホシ(天津甕星、別名[星神香香背男(ホシノカガセオ)])くらいである。それも、鬼神とされる神である。

注釈:アメノミナカヌシ(天之御中主神)も北極星と捉えることもできるが、妙見菩薩との習合によるものと考えられ、ここでは外した。

神道以外では、仏教・道教(タオ)・修験道から、エジプトにギリシア、あらゆる地域・文化で星の神格化が見られる。アイヌ・琉球においてもしかり。弘法大師は、金星を飲み込み、北斗七星を降ろした。人々が星(恒星)を神格化するのは、慣例的であり、また、神と恒星の関係においても自然な流れである。ましてや、八百万の神信仰の、アニミズムの極みであればなおさらである。

にも関わらず、神道には星の神がいなさ過ぎるのではあるまいか。

理由は簡単だ。
星信仰と太陽信仰が、如実に対立しているからである。

太陽よりも遥かに多く大きい(体積しかり影響範囲しかり)太陽以外の恒星は、太陽最高神システムにおいて、統治する、統べるためには、都合が悪いのだ。

「あなたがたが暮らしている世界は、太陽系内ですよ。太陽系外に想いをはせるなどということは、間違ってもしてはいけません。」
日本人の多くは、素直にそれに従っているのだ。

(ここでいう太陽系は、土星までとした方がしっくりくる。)

で、次回は、アマツミカホシについての考察に続く。


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