見たように描くってどういうこと??
デッサンの講座で、「まずは見えたように描くことからやってみましょう」と始める。
意図するところは誰が見ても「リンゴはリンゴに見える」ということ。
そう見せるための約束事色々、道具の使い方、体の使い方も説明する。
厄介なのは「見えたように」ということだ。
種としての人間に備わっている機能としての視覚、その範囲での「見えたように」は多分要約できる。形態感、平衡感覚、明暗や色彩に関して大体共通であろうラインだ。
しかし、これは身体機能が全て健全に備わっているのが前提の話だと思う。
加えて、そう「見えている」と思っているのは自分の脳ミソでしかないという事実。
テーブルの上に赤いリンゴがある。
この時、僕が見ている赤いリンゴと、あなたが見ている赤いリンゴは、図像として一致するだろうか?
否、である。10人が描いたら10枚の違うリンゴの絵ができる。
なぜか。僕とあなたでは身体が違う。生立ちつまり経験が違う。場合によっては文化的背景も違うから、そもそも「リンゴって何?」が違っている。認識の方程式が違っている。
従って、あなたがそこに見えていると思っているリンゴの像は、あなたの脳ミソが作り出した「仮想」でしかないということ。
いきなりあやふやな話で恐縮。しかし、
事程左様に人間の決め事などあやふやで大雑把で自分勝手なのである。
そう考えると、絵を描くことで見つけたのは人間の決め事の不確かさだったりする。
皆、やっていることは「自分なりの見えたように」を目指すことなのである。
が、しかし、
皆同じ答えになる筈が違ってしまう、それこそが人間の魅力であり、
また弱さでもあり、
それを露呈してしまう事こそが芸術の価値であり、役割なのだと思う。