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ワインのような

描きたくなって、久々に手を動かした。最近習ったクレヨン画に、どっぷりはまった曼荼羅を描き入れた。絵は、思ったような感じにはならなかったが、私の世界はこんな感じなんだということを教えてくれた。
 
自分らしさというものを魅せたい。だけど、役割というものもある。その狭間で揺れ動く想いは永遠さえしてくるが、両方要らないな、という結論になった。
 
生きる為に、役割をこなすこともあるし、自由な自分を出すこともあるが、詰まるところ、自分で“それら”は判断できない。周りから指摘されて、言葉にされて、初めて気づくものだ。
 
周りは、自分のことを知らないからこそ、勝手に判断してくれる。
しかも、判断するその人の基準で、だ。
迷惑でしかないけれど、迷惑さの中に光るものがあったりする。
その一言が、明日の自分の指針になったりもする。
 
不思議なものだ。
 
淡々と、ただ、生きてさえいれば、“らしさ”も“役割”も自然に醸し出されると思った。何年も熟成されるワインのように、だ。様々な味があっていいように、様々な自分が居ていい。様々に周りが言葉にしてくれるだろうが、本当のところ、自分も周りも、真実はわかっていなかったりする。
 
慌てて自分を決めつけることはない。熟成していく自分を楽しむことが、自分の世界を創ることに繋がっていくのではないかと思う。
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ありがとうございました。
 
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