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なかなか筆が続かないのは、何故だ?

 どうも。今回は簡単ですが、近況を。

 2月初旬から腰の調子が芳しくなく、そうなると心身それぞれに影響し、2月に入ってからは怠惰な毎日を送っておりました。頭の中ではやろうやろうと思っていることも、なかなかできず悶々とした日々が続き、生産性ない自分に苛立ちを覚えつつも、「まぁちょっとした冬休みを過ごせたのかな?」と軽い気持ちで考えています。おかげで最近は今までは眼中にも入らなかったであろうジャンルにも目を通すことができているので、またそのお話もできたら良いなと計画中です。実はいくつか書きかけの記事もあるのですが、腰との調子を考えてのんびり更新にしています。のんべんだらりで申し訳ないですが、気長にお待ちいただければ幸いです。というか、待ってくださる方がいたら、ほんまに嬉しいです!



 それでも、こんな腰痛を抱えた中においても文章を綴るのが好きな方であれば、否が応でも更新するのがブログです。「ブログを更新したい!」という気持ちが強くても、なんで更新できないのだろうとボーッとする中で考えた結果、人生において今まで、自分の意思をあまり主張したことがなかったなということに気づきました。


 今まで絵や漫画を描いたり、過去にブログを書いたりしていましたし、twitterやSNSでもいろんな発信をしてきましたが、昔から見た目とかの主張が強い人間だったため、なるべく目立たないように過ごしてきたんですね。そのためか、発信内容がどうも他人に好かれるような、ウケるような目線でしか発していなかったことにいつしか気づいてきたのです。思い出せば子どもの頃から、「あれがしたい、これがしたい」とあまり主張することも少なかった(正確にいえば幼少期にはあったけど、小学生の頃から極端に減った)ような気がします。妄想や空想はすることはあっても、それを主張することはとても恥ずかしいこと、ダサいことだと勝手に自分でジャッジして、自分の中にギュギュッと押し込めてた記憶ばかりが思い出されます。

 そのためか、ノートに「自分が今年何をしたいか?」と書こうとした時、手がずっと止まって1時間ほど経ってたんです。その時にかなり自分を失っていることに気づいて落胆したので、今はそれをどう矯正しようか試行錯誤している時間に費やしています。 アファメーションだったりノートに書き出すことで自分のしたいことが少しずつですが、わかりかけてきたような気がします。ですが他責の歴史は根深く、何十年培ってきた性格を矯正することはすごく大変な作業です。この性格とはまだまだ戦わなければならないので、このnoteを更新しながら色々見出していきたいです。そしてもし光を見出したら、こちらでも紹介したい所存です。その時をどうぞ、お楽しみに!

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