演劇集団At@Bus noteリレー 第一回「言語による環境の線引きと、僕と」

リンクをクリックしてくれた画面の向こうのアナタ。ありがとう。今回の記事を担当する村田より、感謝の意を述べさせていただきます。あなたのことは一生忘れません。なのでアナタも僕のことを覚えておいていただけると嬉しいです。


さて、演劇集団At@Bus(以下アトバス)、最初のnoteの投稿ということで、まずは色々伝えなければならないことがあります。

まず最初に、今回!アトバスではメンバーの中から交代交代でnoteの記事を書いてみよう、ということになりました。めでたい。記念すべき1回目が僕というわけですな。今後も続く、ということを覚えておいていただけると。

なぜ今回noteを書くことになったかというとそれは正直僕もよく分かっていない。but!however!しかし!きっと、Twitterよりもよりプライベート性の高いnoteを用いることによって、より皆様に、劇団に対して親しみを持ってもらおう、という想いと、なんかnote書いたら面白いんじゃないかという見切り発車から来ていると僕は睨んでいる。そしてきっと後者の比重のほうが重い。

もし違うのなら、今後のnoteできっと誰かが「それは違うよ!」とスパイクチュンソフトが出している某ハイスピード推理アクションの主人公ばりに僕をロンパしてくれることでしょう。うぁー!俺はモ〇クマのお仕置きは受けたくないーーー!!!(この文章を書いた後、LINEで稽古場レポートに雑談加えたやつにしてくれって話が来ました。オーケー、そうしよう)


まあ、事務連絡はこんぐらいですよ。こっからは僕のターン、いや僕のnoteです。ドロー!

まずは報告です。先ほど、この記事を書きながら食べていた豚汁の中に、里芋が小指の先ほどしか入っていませんでした。豚汁って里芋あってのものだよねぇ?そう思いません?悲しい。

今風に言えばぴえん。

・・・。

えーっと、稽古場レポートと雑談でしょう?書きます、書きますからその物騒なものをしまってしまって!

( ..)φカキカキ…


今日のけいこ場ではダンスのれん習をしました。むずかしかったです。(小並感)


みなさん、小並感って小学生並みの感想、の略なんですけど、知ってました?「今時の子供に言っても通じないんだろうな~」とか思って自分が年を取っていることを実感します。
あ、小並感ですけど、実際にやったことと僕が感じたことは↑のレポートの通りですからね。そこに嘘はないのですよ。

Twitter風に書くと


本日の稽古では、劇中で披露するダンスの練習をしました!
At@Busでは経験者も未経験者もいるので、結構大変そう…
皆様にかっこいいものが披露できるよう頑張ってます!
本番をお楽しみに!

(予約フォーム)

(ダンスしている写真)


こんな感じです。
うわ、やめて!殴らないで!ばかにしてない!ばかになんてしてないから!それっぽさを出しただけだから!

…え?インスタ風?
いやー、ごめんねお嬢ちゃん、おじさん、インスタはやってないんだよ。だからインスタ風はあんまり分からないなあ…。


#アトバス
#演劇集団At @Bus
#ダンス練習
#演劇好きと繋がりたい
(映えているダンスの写真。なんかキラキラしたフィルター付き)


おじさんのインスタのイメージはこんな感じだよ。#を使っているイメージがあります。違ってたらごめんなさい。


言語というのは非常に柔軟で、↑のように使用する環境に応じて姿が千変万化します。(せんぺんばんか、ですってよ。かっこよく言ってみた)

あ、YouTube風に言うなら、


【今日の稽古場】ダンス踊ってみた 演劇集団At@Bus【激ムズ】
(なんかすげえ派手なサムネ、もしくは女の子の絵)


みたいになるのでしょうか。これも結構偏見がありありですが。

不思議なことですよね…別に誰かが、こういう言い方をしようよ!とみんなに呼び掛けてるわけではないと思うんですよ。自然と、その環境に合わせた言語形態になっていく、というか。最適化されるというか。

僕は別に心理学を学んだ人間ではないのですが、この「ある環境において言語の方向性、表現法が似てくる」というのは、ある種の仲間意識なのではないか、なんて思ったりします。

日本語や中国語、韓国語、アメリカ英語、イギリス英語といったような大きな括りでもその仲間意識っていうのが存在していて、同じ言語を使う人に対しては、使わない人に対してよりも、仲間意識って感じやすいんじゃないかと思うんですよね。

つまり、Twitter村ではTwitter語を、インスタではインスタ語を、YouTubeではYouTube語みたいなものを使うことによって、よりそれぞれがそれぞれに親しみを持ちやすい、という側面があったりするんじゃないか、なんて思うわけです。
もちろん言語というものをどのぐらい細分化して捉えるか、によっても変わるかもしれません。日本語という括りで見てしまえば、僕が先ほど書いた、エセ〇〇風稽古場レポートは全て日本語なので、全部同じ言語ですし。
また、僕は特にバイリンガルとかではないので、日本語圏外でそれぞれのツールにおける表現方法がどうなってるのかよく知りません。別の言語では特にどれも特徴的な言語の使用法ではないかもしれません。

まあ、そんぐらいのものなんで、noteに書く話題としては丁度よいでしょう。うむ。こんなものだろう。

え?結局この駄文はどこに着地するのかって?そうね…。


結論としては、「そのうち日本語の中でも、『強すぎる方言が標準語圏の人に伝わらない』ように、『同じSNSを使っている人同士でないと会話が成立しない』時代が来るかもね」なんて感じですよ。

結びの表現は結構興味深い感じになりましたね!ちょっと星新一さんのショートショートみがありません?

え?その時代はもう来てる?そんなー。


ここまで読んでいただきありがとうございます。
ここまで読んだあなたに、令和コソコソ噂話!
次回のnote担当は高井さんの予定だそうですよ。

次回、第二回も鬼滅の刃をよろしくね!
(実際の予告では↑のようなセリフは言っていません)



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