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過去の私へ。

春は寂しい、春がきらいだ。
寒いんだか暑いんだかはっきりしない気温のせいで、いつも服選びがうまくいかないし、よくわかんないけど忙しいし、花粉で毎日どこかしら不調でだるい。

それになぜだが無性に心が揺れ動く。
うまくいったことよりも、うまくいかなかったことばかりに気を取られ、数々の失敗を思い出してはため息を吐き、漠然とした不安が押し寄せてきては何かと焦らされる。

それもこれも、ぜんぶ春のせいだ。
そんな風に、毎年この時期になると荒くれていた私だが、意外と穏やかな日々を過ごしている28歳の春。

心が乱されてどうしようもなかったこの季節に、少しだけわくわくできるようになったのは、生きるのが上手くなった証拠かもしれない。

というよりもきっと、別れを受け入れられるようになったのだと思う。

出会いと別れの季節。
出会う喜びに比べて別れの寂しさはわかりやすくて重い。

不変のものなどないと頭ではわかっていても、変わらないものを信じて縋っていたくなるのが人間だからね。

慣れ親しんだ場所を離れたり、慕っていた人が去ったりする4月、別れの準備をせざるを得ない3月、必死に平気な顔を作って過ごしてきたけれど、案外自分の感情には蓋をしない方がいいのかもしれない。

寂しいとか、辛いとか、ネガティブな感情もしっかりと感じきること。

心が大きく揺れ動くのは、間違いなく、たくさん影響を受けた証だから。何度でも思い出して、その日々を心に刻んで、感謝を言葉にしてみる。

すると、自分の中の何かが失われるわけではないことに気づく。

この春もたくさんの別れがあった。

心の拠り所になっていたラジオ番組がいくつか終わること、理由をつけては会いに行っていた古巣の同期と先輩が局を辞めること、業務委託先で仲の良かった放送スタッフが卒業すること、ほかにも、いろいろ。

正直寂しくてたまらない。
だけど、彼らがくれた宝物みたいな日々は、思い出は、言葉は、決して消えるわけではない。

そう思うと、それを糧に前に進んでいこうと思えるじゃない。進むしかない恐怖も、少しだけ和らぐ気がするじゃない。

縁があればまた会えるしね。

これまでの当たり前がリセットされるのは、大なり小なり怖いこと。だけど、必死に走っていればまた夏がやってくるから。

怯えなくて大丈夫だよ。
そこがまた居場所になるから。
仲間ができるから。

変わらない想いはいつも胸に、
明日からも自分らしく過ごしていきましょう。
ファイティン!

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