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韓国で感じた、気だるく懐かしい旅情。(夜行ムグンファ号に乗った)

急行きたぐに

 今は昔、大阪-新潟間を急行きたぐにという夜行急行列車が走っていた。子供の頃は、宇宙戦艦ヤマトのメロディで夜行急行きたぐにとかいう替え歌をつくっていた。なんか仕事がないので大阪に探しにいくみたいな歌詞だったはずだ。
 それはさておき、実際、替え歌をつくってしまうほど身近な列車だった。大阪行にはほとんど乗ったことはないが、新潟行については、信越本線新潟口の朝一番の優等列車ということもあり、数え切れないほど乗った。
 もちろん、乗り込むのは自由席車。ガラガラの車内に、大阪他関西方面から夜を徹して運ばれてきた乗客が、思い思いの姿勢で寝ていた。
 そう、正直リクライニングシートでも、座席で夜を明かすことは、そこそこ体力的にキツイものだけど、この急行きたぐにの自由席は、あろうことかボックスシートだった。

 ――急行きたぐにのボックスシートで夜を明かす。それは、途中でギブアップしたらしい某サイコロの旅の例を持ち出すまでもなく、平成日本においては罰ゲームだったのではないか。少なくとも、値段やその他の理由もなく、寝台よりも好き好んでボックスシートを選択した人はほとんどいなかったはずだ。自由席に乗り通したことがないので、本当なのかどうかは知らないが、夜通し減灯もしなかったらしい。地獄か。まぁちょこちょこ停まるし仕方ないんだろうけど。

 そんな夜が明けた後の急行きたぐにの自由席。疲れと諦めと仕方なさを乗せた"夜汽車"の目覚めには、二重窓とはいえ、確かに漏れ出るモーター音と、なんとも言えない気だるい雰囲気が充満していた。

韓国に残る夜行急行列車

 さて、前置きが長くなったが、先月初めて、韓国でまともな乗り鉄をした。訪韓そのものは何度かあるが、今まで機会がなかったというのと、そもそもあまり韓国の鉄道自体にあまりピンときていなかった。
 もちろん、日本と比較すれば、韓国の鉄道そのものには当然魅力がある。高速列車のKTXだけにとどまらず、客車急行列車のムグンファ号も、その数を減らしつつあるとはいえ、まだ健在だ。
 ただ、夜行寝台列車好きの自分にとって、鉄路面では実質的に島国となってしまっていて、なおかつ寝台列車も走っていない韓国の鉄道に興味はあまりそそられなかった。旅情、ロマンといった面では、大陸に遠く及ばないと考えていた。

 寝台列車でなくても、客車列車自体は好きだ。だけど、それなら別に台湾でもいいよね、という気もする。ただ、韓国には、一本の臨時列車を残すのみの台湾と違って客車の夜行列車、夜行のムグンファ号が何本か残っている。どちらかというと、夜行列車というよりかは終電の延長のような性格のものが多いが…。だが、せっかくの機会なので、その中でも所要時間の多めのもの、ソウル・清凉里駅から中央線経由で、朝4時の釜山・釜田駅に到着する、ぎりぎり夜行列車と呼べそうな夜行ムグンファ号に乗ってみることにした。

21時03分、清凉里駅発1623列車

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 発車30分ほど前の清凉里駅。21時03分発の1623列車が目的の列車だ。もう1、2時間遅く発車してくれれば、まさしく完全に夜行列車になるのだが、まぁやっぱりあくまで終電の延長という位置づけなのだろう。
 ホームにおりても、まだ列車は入線しておらず、人影はほとんどない。――と、ちょうどグッドタイミングで、ムグンファ号が入線してきた。あまり長くはない編成とはいえ、機関車がゴツくてうるさいのでww、威風堂々という感じがする。

 ドアが一箇所だけ開放されたので、サボで行き先等を確認してから、乗り込む。帽子かけや網棚、車内そのものの雰囲気は日本のそれと変わらない。

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 実は、昼間にも、このムグンファ号にのって、ここ清凉里駅から江陵駅まで行き、KTXでとんぼ返りということをやっていた。

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 しかし、昼にも乗ったとはいえ、今度は夜行列車だと思うと、また違うテンションが上がる。不思議だ。

 乗り込んだ時は、人影のないホームだったが、あれよあれよという間に車内の席も埋まり、そこそこ賑やかに清凉里駅を出発した。

 ソウル首都圏から、沿線へ帰る人々をたくさん乗せて走る夜行ムグンファ号。金沢行きの急行能登も、こんな感じだったのだろうな…。

合唱曲:夜汽車

♪夢の続きのように
♪ぼくは(ぼくは)夜汽車に乗った
♪途切れ途切れの想いを馳せて
♪ぼくは(ぼくは)夜汽車に乗った

 駅に着くたび、乗客がみるみる減っていく車内と、街明かりがちらつく車窓を見ていると、そんな懐かしいフレーズが浮かんできた。中学だったかの時に歌わされた合唱曲、「夜汽車」だ。

 別に青春がひび割れたわけでもないし、終着駅に着くのは朝4時台で、時期も真冬とあり、♪終着駅に降りる時、昇る朝日を…とはいかない。とはいえ、さっきまで騒がしかった車内も、みな一様に目を閉じていたり、スマホで動画を見ていたり、車窓を黙って眺めていたり、夜が更けていくにつれ、列車に染みていく雰囲気はまさしく”夜汽車”だなぁ、と思う。

 ウトウトしていると、車掌に肩を叩かれた。何かと思えば、網棚からキャリーケースを下ろして横の席に置いておけと言う。網棚自体にはしっかりと乗っているのだが、確かにムグンファ号はそこそこ揺れる。どうせがら空きの車内だし、素直に従うことにした。車掌さん真面目やなぁ。

旅情とは何か

 減灯もないのでアイマスクをして、リクライニングをフルに倒し、寝る。起きたらもうすでに釜山都市圏に差し掛かっていた。

 更に人の減った車内を見ながら、どこか懐かしい気持ちを、自分は感じていた。この心地よい気だるさは久々に感じたな…と。そして、思い出した。――ああ、あの「急行きたぐに」と一緒なんだな。

 そして、これもまた一つの大いなる「旅情」なのだ、ということに今更ながら気づいた。山々の絶景を行く成昆铁路や、キジルクム砂漠を突っ切るАму-дарё号の寝台車だけが、なにも旅情のカタチなわけではないんだ、と。
 このガラガラの車内と、各々の疲れから醸し出される弛緩しきった空気もやはり「旅情」に他ならない。夜を徹して走れば何でも良いのか、という声が聞こえてきそうだけれど、実際、そうなのかもしれない。そして、この類の旅情は、日本でも、そして台湾でも失われてしまったもの、なのだろう。

 自分一人しかいないのではないかとも思える車内。実際は、背もたれに隠れているだけで、一人二人は他にいたはずだが。

 まさしく、お疲れさまでした。終点の釜田駅は、普通の橋上駅舎で、釜山側のターミナルとしては、思ったよりもかなり小さな駅だった。

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 座席夜行列車の旅。寝台列車に座席車を併結している例であれば、日本からも行きやすい他のアジア諸国でも見かける。しかし、勝手な先入観だが、そこそこ混んでそうだなという気もする。現地の人々に囲まれながら過ごす一夜も、それはそれで「旅情」だろうが、それはまた別の「旅情」だ。

 この夜行ムグンファのように、気だるさだけをひたすら抽出したような「旅情」は、他国ではなかなか味わえないかもしれない。しかしこのムグンファ号、特に中央線経由のこれは、ダイヤ改正の度に廃止が心配されているらしい。
 この、夜行ムグンファ、ソウルから釜山まで2800円ほど、という超お手軽価格(ちなみにソウル-釜山はだいたい東京-名古屋間に匹敵するらしい)だが、たとえKTXをつかっても5000円くらいで行けてしまう。別に直通で走らせておく必要もない、と言われればその通りだ。

 時代が完全に移り変わっていってしまう前に、また乗りたい。そう思った。

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