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ひとりぼっちの女子高生#1

毎日がつまらない
毎日がしんどい

友達なんかできなかった




高校一年生、私は家が貧乏なので奨学金を借りて高校に入学した。

中学生時代、1番可愛がって貰っている兄でさえ
「大学は行かせてあげられない」
と言われていたのを覚えていた。

そこで私は手に職をつけようと工業高校に進学した。
商業高校も良かったけれど、簿記が全くわからなかったので工業高校の電子機械科にした。
兄も同じ工業高校の機械科で、兄も私と同じ
「手に職をつけよう」と思ったのではないかと思う。

私が機械科ではなく電子機械科にしたのは「機械も電気もできたら一石二鳥でおいしいと思ったからだ。
国立の高校専門学校に進学することも悩んだが、私は学習障害なのか算数ができないのだ。
だから偏差値の低い工業高校にした。


実家は汽車が1日に10本通ればいいくらいだったので、高校の近くに引っ越し、母親と兄と私3人で暮らした。

中学生の時は1学年10人程の小さな学校で、転校生はたまに居たものの、大体幼稚園からみんな一緒に学校生活を過ごしていた。
そんな10人の幼馴染とも離れ離れになり、私は1人工業高校へ行ったのだった。


入学初日、私は誰にも話しかけられず、自己紹介の際に
「○○中学校から来ました。よろしくお願いします。」
と言ったら「○○ってどこだよ笑」とちょっと教室がざわついた。
そのくらい実家は田舎なのである。

担任の先生が入学式の後に教室で
「君達はこれからの頑張りで何にでもなれる。中学の時に成績が悪かった人でも、高卒でも有名企業に入社できるチャンスがある。頑張ってください。」
と言っていたことを今でも覚えている。

希望はあった。


入学式の夜
「入学してなんだが、お父さん仕事辞めた。」
その言葉を聞いて私は高校卒業できるか不安になった。


「おはよー」
そんな言葉が飛び交う中私はいつも通り登校して自分の席に座った。
そのおはようは私には誰もかけてくれない。
でもそれでいいんだ。私は友達を作りに高校に来たんじゃない。学びに来たんだと言い聞かせていた。

部活動が盛んな高校だったので、1年生は強制的に部活に入れなければならなかった。
クラスでは女子は私ひとりだけだったので、なんとなく女子が居そうで楽そうな書道部に入った。
でも一年生は私しか書道部に入っていなくて、香水の香りが漂う年上の女の先輩達が怖くて段々行く気が無くなっていった。

5月、ショッピングモールで書道パフォーマンスをすることになり、私は客席で見学をしていた。
グループLINEとかでどんな曲を流せばいいかとか、どういう文字を書けばいいかとかそういうのも聞かれてしんどくなってしまった。
流行りの音楽とかも知らないし、書道パフォーマンスとかわからないし、ただ目立ちたくなかった。

7月、適当に書いた字が金賞になって先輩達からちょっと陰口を言われた。
目立ちたくなかったのに全校集会で名前を呼ばれ表彰状を受け取ったのだ。(先生にどうにか名前を呼ばれないか相談したが無理だった)
それから私は書道部に足を運ぶことは無くなり、担任の先生や書道の顧問に心配されながら夏休みが来た。


夏休みは友達も居ないし、部活は辞めたので実家に帰ることにした。
私は毎日寝て起きてたまに無職の父と祖母の畑の手伝いなどをしていた。
他には朝から晩までニコニコ生放送で生配信を観たり、ネトゲをしたり、アニメを観ていた。

そこで観たのは「涼宮ハルヒの憂鬱」と「輪るピングドラム」だ。


夏休みも終わり、2学期。
この先私はハルヒみたいに過ごしていこうと思ったのだ。
退屈を消し去るために。


「涼宮ハルヒみたいに過ごす」と言ってもハルヒがやっていた宇宙人とのコンタクトを試みていた。
知らない人の為に解説しておくが、涼宮ハルヒという人物は宇宙人にコンタクトを取る為、独自に「髪型の結び目を増えたり減ったりさせる」
という方法をやっていたのだ。
流石にハルヒのように

こんな髪型にするのは恥ずかしいので、編み込み・当時流行っていた猫耳ヘアー・ポニーテールなどをして毎日髪型を変えてみたりしていた。


「その髪型どうやってるの?」
そこで声をかけてくれたのが、工業化学科のEちゃんだった。
このEちゃんは顔が可愛くてなんでもやってくれるイエスマンに後々なるのだが、その話はまた別で
Eちゃんにお昼ご飯を一緒に食べないかと誘われた。
私は閉鎖的な田舎に住んでいたのもあり、緊張しながら工業化学科1年の教室に昼向かった。
Eちゃんのことや私の事を話して一通り質問が終わった後、地獄のような無言が続いた。
Eちゃんは部活はバレーボール部で、汽車通学をしているという情報だけをゲットした。
私も中学時代はバレーボールをしていたので、「ポジションはどこ?」と聞いたら
「うちの学校ってさ、女子は1割しか居ないから4人しか部員が居ないんだよね。だからバレーボール部に入ってくれない?」と言われたのだ。
私は当時体重70kgのデブで、しかも運動音痴だし足も遅いし、腰痛持ちだったので悩んだが「とりあえず見学に行ってみたいかな」と言った。

放課後
体育館に向かい更衣室で体操服に着替えてEちゃんに連れられてネットを張っていると、本当に4人しか部員が居なかった。
私はやっぱり鈍臭くて、他の部員の人がせせら笑っていた。
私はすぐに「用事があるから」と言ってさっさと制服に着替えたところに、担任の女の先生が居た。

「○○さん、最近書道部に行ってないって顧問の先生から聞いたけどどうしたの?」と聞かれた。
私は素直に「同級生が居なくて馴染めない」(馴染もうともしなかったが)と打ち明けた。
「さっきバレーボール部の所に居たけどバレーボール部に入るの?」
「いえ、バレーボールも腰が痛くてちょっと…」
「じゃあ弓道部に入ってみない?見学だけでも」
私は次の日、弓道部に見学に行ってみることにした。


次の日、先生と一緒に弓道部へ見学に行った。
そこは体育館の裏側にあって、隠れ家のようだった。
部員は20人くらいで、クラスメイトも2人居た。
女の先輩は3人で、F先輩の1人を除いて後の2人はほぼ幽霊部員だった。
同級生はデザイン科の女の子、Tちゃんが居た。

女子部員を紹介して貰った後、実際に矢を射る所を見せて貰った。
36cmの的に28mから矢を射る。
私はやってみたいという好奇心に駆られた。

でも弓道はお金のかかるスポーツだ。
弓を引く手袋(ゆがけ)は16,000円〜
8本の矢は安くて30,000円。
胴衣も買わなければいけない。
弓は学校で貸し出してくれたが、合計5万円ほどの出費は貧困家庭にとってはキツかった。
私は2週間ほど悩み、奨学金からそのお金を出すことにした。
父親にも相談したが二つ返事で「いいんじゃないか」と言われた。
私がいかにつまらなさそうに夏休みを過ごしていたか見ていたからだと思う。
私は弓道部に入ることにした。


続く

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