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妊娠出産レポ 〜絨毛膜下血腫で妊娠中4ヶ月入院〜

はじめに

今回の下の子の出産は、妊娠中約4ヶ月もの間の長期入院、出産自体もとっても壮絶でした。母子共に、何度も医療の力で命を助けていただきました。
個人的備忘の意味も大きいですが、入院していた理由である「絨毛膜下血腫」について、特に妊娠中期〜後期、出産まで血腫があった例についての情報がほとんどネット上になかったので、レポを残そうと思いました。
以下の日本産婦人科医会ホームページのように、「約15%が流産となり,妊娠22 週以降まで妊娠が継続できても,80%近くが早産となり,満期産となるのは10%以下である.」とある中で、10%以下の正期産の37週に出産しました。

https://www.jaog.or.jp/note/3%EF%BC%8E絨毛膜下血腫-感染性流産による流産/

数値としてはレアですが、ちゃんとそういう例もあるよと、同じ診断を受けた誰かの希望になれば幸いです。
※出産自体は結果的に難産となりましたが、それと絨毛膜下血腫は直接の因果関係はなさそうですのでご安心ください。


安定期間際の大量出血

安定期目前の15週に大量出血。夜間救急に行き即時入院。大きな血腫ができておりそこからの出血とみられるとのこと。
診断は絨毛膜下血腫。血腫は基本的には第一子の時(6〜13週くらいの頃にあり、6週間寝たきりの絶対安静だった)のように、妊娠初期に発見され中期には消失することが多いそうで、中期以降に残っている場合は早産になる確率が高いとのこと。前年に10週相当で稽留流産を経験しており、また亡くなってしまうのではないかと不安で涙が止まらなかった。まずは入院後、すぐ上司に事情を話し休職することに。
しかしここでなんと入院2日後にコロナ陽性判明、即時退院を言い渡される。自宅療養、コロナが治った後からは頻度高めに通院。
妊娠高血圧の診断もおり、血圧計を買って朝晩計測する日々。早めに降圧剤を飲み始めた。

再出血・長期入院開始

21週5日の深夜に、自宅で再度真っ赤な出血。絨毛膜下血腫のため再度入院開始。
なんとここから4ヶ月後の産後まで家に帰れないことになる。

いつ血腫からの出血が止まらなくなり緊急帝王切開になるか分からないとのことで、入院後すぐにMRI、帝王切開手術前の検査を一通り受ける。
そもそも血腫は胎盤の端が剥がれて血溜まりとなっているものであり、慢性胎盤早期剥離・羊水過少となるリスクもあるとのこと。胎盤早期剥離になったら、母子共に命を落とすリスクがある。

22週を超え、流産から早産の週数になった頃、新生児科の先生から説明あり。
内容は産まれる週数毎の生存率と後遺症のリスク等、とてもシビアな話。大部屋のカーテンの内側でしくしく泣いた。夜な夜な早産児のリスクや予後、写真、情報を漁っては眠れなくなる。

25週、いつ産まれてもいいように早産の肺成熟のためのステロイド注射を2日にわたって受けた。

1・2週に一度ほど出血しては、その度にナースコールと診察を繰り返す日々。入院してよかったことは頻繁な出血時にすぐ診てもらえたことと、可能な限り絶対安静にできたことと、健康的な病院食と安静のおかげか高血圧が一時的に治ったこと。でも、3歳になったばかりのかわいい上の子と会えないのが寂しい日々だった。夫が働きながらワンオペ家事育児を頑張ってくれました。

32週での破水とその後

32週2日 入院74日目
ここ3週間ほど週1くらいのペースで出血していたが、明らかにいつもより量が多い出血。
破水しているとのことで、点滴と抗菌剤の内服スタート。
いよいよ産まれるか、というのと、ちょうど脳出血のリスクも減ってきたが肺の形成がまだ(34週ごろ完成と言われる)だから、もうちょっと待ってほしいという思いでせめぎ合う。そしてその思いが通じたのか、破水は少量で継続せず、後日は陰性になる。
ただ、しばらくの間抗菌剤投与と頻繁な採血での炎症反応の推移を見られる。

でもその後も週一程度で出血。
そろそろ出血量によっては帝王切開と言われていたが、毎回鮮血が出ても様子を見ると血が止まる。
34週出血時、もう誘発してもいいか?と言われたが逆子になっていたので、しばらくは様子見。この数日後また頭位に戻る。この子はずっと回っていてエコーを見るたびに回転していたのだが、この病院では34週でも逆子なら帝王切開の予定を組むとのことでそろそろハラキリの覚悟ができていたのだが、ある日くるりと戻っており、主治医の先生と喜ぶ。逆子の時は胃のあたりにしっかり頭の存在を感じたので、頭をなでなでしては「回転してくれ~」と言い聞かせていた。笑

36週4日 入院104日目
おしるしのような少量出血あり。内診してもらい、子宮口2センチ弱とのこと

36週6日 入院106日目
来週、というか明日からの正期産を控えて、麻酔分娩を希望しているので、平日の決まった曜日に誘発と麻酔分娩をすべく、それが来週の何曜日になるかは子宮口の開き具合によって決めましょうとのこと。
わたしは頻回な出血とお腹の子どもに何かあったらという恐怖と長すぎる入院期間で疲弊しまくり、一日でも早く産みたいのですと懇願。お気持ちは分かりますが開き具合次第ねー、お腹張らせるように歩いたりしましょうとのことですが病棟内しか動けない安静度だったので、気持ち廊下とデイルームをうろうろする回数を増やすくらい。

夢の正期産・誘発開始なるか

37週0日 入院107日目
あれだけ早産になると言われていた中、夢のような正期産の日を迎えた。お祝いでマーロウのプリンを買ってきてもらい家族みんなで食べる。
あぐらをかいて陣痛促進に効くらしい三陰交のツボを押そうとするも、ツボの位置が「くるぶしから指4本分上」とのことだが、足がむくみすぎててくるぶしが見つからず雰囲気でツボ押し。あぐらかいてるだけでもお腹が重くて尾てい骨が痛い。しんどい。

37週1日 入院108日目
今朝の内診所見で誘発日が決まる!ドキドキ。

9:30 内診、先週の2センチ弱から変わっていないとのこと。そのため明日からでなく明明後日からの誘発と言われ落胆。

11:00 出血あり。数日ぶりの出血なので一応ナースコースし、診察。内診の刺激によるものでしょうとのこと、再度落胆。
明日ならちらっと見に来られるかもだが明明後日は無理、という担当の看護師さんとも落胆。お産を進めるためのアドバイスをもらい、乳首の刺激実施。あと、基本横になって過ごしていたが、なるだけ座って過ごしてみることに。
明日からの誘発が無理っぽいという報告兼愚痴を電話したところ、ちょうどベビーベッドを組み立てたばかりの子と夫が。ついこの前までベビーベッドにぽてっと寝ていた子が、六角レンチを駆使してしっかりと組み立ててくれて、感慨深いにも程がある。
そんな我が子が開口一番、「赤ちゃん産まれた?まだ?遅くない?」という面白発言。お腹の子を煽る

13:00 昼食後、1センチちょいの血の塊が出ていたので報告。再度診察。今度は上級医も立ち合い、出血がある程度多いので、先延ばしせず明日誘発でよくないか?そのために今日の夕方からラミナリアいれようという話に変わった。
ということで先生達が決めて診察室から出て行った直後、担当の助産師さんと黙ってハイタッチ。夕方に予定していたシャワーを早めにしてもらう。

15:30 お風呂上がり後、なんだかお腹が痛い。
ラミナリアいれますのでと呼ばれる。そこで処置開始するときに「あれ、破水してる?」と先生が気づいてラミナリア中止。シャワーが効いたのだろうか。
急いで部屋の荷物をまとめてお産着に着替え、陣痛室へ。すぐ点滴開始。モニター見ると定期的に張っているようだ。確かに不定期で痛みとお腹の張りがくる。これでは明日の朝の麻酔までに産まれそうだ。。(と当時は思っていた)

17:00 夫と子と作戦会議。今日明日の面会と立ち合い出産の予定を大慌てで立てる
産前最後の差し入れはミスドに決定

18:30 夕食。次にちゃんと病院のご飯を食べられるのは翌日の夕食とのこと

19:20 面会に到着。いよいよ家族3人で過ごす最後の時間。楽しくミスドを食べたり自撮りしたり子と話して爆笑。いつもはこちらが寂しくなるほど颯爽と帰宅したがるのに、何かを察したのか珍しく帰りたがらず、ちょっと泣けた。たくさんよしよししてバイバイ。深夜の立ち合いに備えて、義父に家に泊まりにきてもらうこととなった。

差し入れを食べたり点滴やモニターをして夫とやりとりなどしていると、日付を越える。

誘発分娩1日目

37週2日 入院109日目
破水直後は、2-3時に産まれるかも?と担当の看護師さんと話していたが、どうもまだ産まれなさそう。そこそこ痛みはあるがまだ我慢できる強さなのと、内診がないので進捗がよくわからないというのもある。胎動はすごく元気。
点滴とモニターが頻回にあるので、なかなか寝られない。それでも気を失うようにちょこちょこ寝落ち。

6:00 絶食を前に、野菜ジュース、アポロチョコ一箱、ウイダーひとつ、ポカリ一本。分娩室に持って行かない荷物をまとめる。トイレに何度も行く
7:00 内診したが2センチ。昨日からほぼ進んでないとのこと。落胆。じゃあ、この痛みは一体、、?しかし柔らかいから進み始めるとガッと開くのではないかとのこと。モニターつけっぱなしで促進剤投与待ち。
陣痛室にてカーテン隔ててすぐ横に人が来たので、イヤホンを手元に残しておいたらなあと後悔。気を紛らわしたかった

7:45 促進剤投与開始。一番弱い少量からスタート、30分ずつ強めていくとのこと
8:15 まだ余裕だが暑い。
8:55 内診。変化なしらしい。ガッカリ。まだまだ陣痛が来てないからだろう。子を保育園に送ったとの連絡あり一安心
9:15 量を上げる。い、痛いがまだいけるか?1-10で痛みを聞かれるやつ、あれ毎回苦手。自信がない。トイレに行った
10:05 そこそこ痛くなってきたので内診してもらうがまだ2.5センチらしい。もっと進んでから麻酔入れましょうとのこと。促進剤は半分まできたらしいが、全部って何?
11:55 足湯と足ツボしてもらう。気持ちいい
12:30 横の人が麻酔入れに行った。だいぶ心折れそう
13:00内診、3センチ!進んでなさすぎる。3分に一回すごい痛いのに、これは何、、?
13:25 ヤケクソでスクワット始めたが、シンプルに太ももが痛いという別の話が出てきたので膝をついてなんとなく出てきやすそうな体勢をとってみることに
汗かいた上に無駄に筋肉痛になることだろう。アホだ。
13:45 トイレに行くと血のデカくてブヨブヨした塊が出た。血腫なのかなあ。ゆらゆらする椅子に座ってみることに
4センチになったからやっと麻酔!分娩室に移動。
麻酔してから急に楽になったのに、眠気が止まらない、意識がどんどん朦朧としていくなあと思ったら吐き気がきて即吐いた。3回。もう出るものもない。この麻酔(フェンタニル)は日本人女性にはそんなに副作用出る人少ないんだけどねえ、と言われた。しかし止まらない、凄まじい傾眠と嘔吐。なんだこれは。
17:50 もう今日は促進剤投与できないのに加えてこれから産まれそうな人がくるとのことで一旦分娩室から出て陣痛室に戻ることになるが、そのベッド移動の際一旦フラットになった瞬間突如吐き気がきて、また吐く。でも出るものなくて水。
18:40 晩ご飯持ってこられたがとてもじゃないが食べれない。すまし汁の汁だけ飲む。
19:25 子が夫からスマホを強奪しブチギレ電話をかけてきた。赤ちゃんまだ?!早く産まれて!!!とのこと。驚き。そんなことできるんや。
20:30 主治医の先生が退勤前に顔を見に来てくれた。まだ産まれそうにないですね!と明るく帰っていかれる
20:40 顔見知りの夜勤の先生が「ねえ何でまだ産まれてないのー?!」と言い様子を見にきてくれた。よく夜勤に入っていて、何度もわたしの深夜の出血で呼び出してしまった先生。この先生にこの直後命を助けてもらうことになる。

急変

このあとうつらうつらしていた夜の出来事。ここからは正確な時間がわからないので、適当な記載になる。

消灯後22時ごろ、顔見知りの先生が血相を変えて何人もスタッフを引き連れて現れた。わたしは麻酔の眠気でずっとうつらうつらしていたのだが、「21:45頃に何か変わったことはなかった?!!」と聞かれる。全く身に覚えがなく、うとうとしていましたとほやほや答えるが、どんどん慌ただしく色んなスタッフが来て、陣痛室まで心電図、レントゲンを取りに来た。レントゲンの時、意識が朦朧としながらも何かただならぬことが起きていると思いレントゲンを撮ってくれた先生に聞くと、「今からお家の方を呼んでください。エコノミークラス症候群の恐れがあり、血栓が飛ぶと命に関わります。今からすぐCTを撮りにいきます」と言われ、朦朧としていた脳が完全にフリーズする。でもとりあえず夫に連絡、その間に「緊急帝王切開の準備をしますね」と言われ最低限の準備をされる。ベッドのまま搬送されてCT室へいき造影剤用のルートを取られる。搬送される途中、「わたしって死ぬんでしょうか?もしものことがあったら子どもだけは助けてください」となんとか看護師さんと先生に言った。先生は「もちろん赤ちゃんを助けるよ。」と言ってくれた

CT室から出て産科病棟に戻り、陣痛室でなく分娩室に通された。ほどなくして夫が分娩室に入ってきて、2人で説明を受けた
内容は「22時前に、エコノミークラス症候群の初見が見られたのでCTを急ぎ撮ったが、血栓は見つからなかった。もし血栓が見つかっていたら、血栓の部分をカバーし緊急帝王切開して母体はICUへ搬送するところだった。血栓がなくてよかった、心電図などで今夜はスタッフたちがモニタリングしているので分娩室で一晩明かして明日また促進剤を打ちましょう。旦那さんも落ち着いたら一旦帰宅してください」とのこと。

意識が朦朧としていたうちに起きたことだが、生きた心地がしない怒涛の数時間だった。夫が来てくれて血栓もなくホッとしてうとうとすると、酸素飽和度が落ちるようで心電図の警報がなるので、いちいち怖かったしハッと起きた。夫は母子センターに着いた時まだCTの結果が出てなかったようで、「今から緊急帝王切開になりましたので準備をしています」と言われていたので、分娩室に入ってこの話を聞いてやっと安心したそうだ。
夫が帰っても、スタッフの皆様が見ていてくれるし、入院中何度も出血して担ぎ込まれた馴染みある分娩室で夜を過ごせるのは心強かった。気づけば、前日よりもよく眠れた。

誘発分娩2日目

37週3日 入院110日目

5:30  ふと目を覚ました。促進剤を9時ごろから打つだろうから、6時から絶食。ということは、と夫が追加で昨晩持ってきてくれたウイダーを二本飲む。
8:50 ながらくドタバタしていて何も声をかけられなかったが、主治医の先生が顔を見にきてくれた。怖い思いをしましたね、お産って何があるかわかりませんねとのこと。内診して、まさかの昨晩の5センチ→3センチに後退しているとのこと、、!確かにモニターを見ても陣痛が遠のいてるけど、子宮口って閉じることあんねやと心の中の後藤がつぶやく。などとチョケても、これには絶望。
9:30 促進剤投入開始。これも最低値から。なんだか昨日の頑張りが白紙に戻りゼロからの気持ちだったが、妊娠中から担当の助産師さんが、今日日中分娩介助を担当してくれるとのことで心強い。書き損ねていたが、昨日も忙しい合間を縫って何度も顔を見にきてくれた。
どんどん投与量を増やしながらも見てもらいながらあぐらをかいたりスクワットしたり乳首マッサージをしたり足湯してツボ押しをしてもらったりと、色んなことを試した

14:30 また5センチくらいになり痛みもついたので、分娩室に移動して麻酔を打つことに。
14:45  2日前に、誘発開始を勧めてくれた偉い先生が来て人工破膜をすることに。なかなか破れなかった(主治医の先生に「おお強靭な卵膜」と言われた)が、10人以上のスタッフの皆様の前でどばっしゃーんと羊水がスプラッシュマウンテン。これでお産が進むと思うよ、とのこと。
でもまた17時頃には促進剤を打ち切られるので、あと2時間ちょいで産める気もせず。麻酔で痛みが遠のいて嬉しいと思ったが、また傾眠と嘔吐に襲われる。出るものもないアゲイン。また眠くなり意識が遠のく度に酸素飽和度が下がって警報が鳴る。怖い。
17:00 促進剤を打ち切って分娩室から陣痛室へ逆戻り。まだ子宮口は5-6センチのまま。
17:30 保育園お迎えの前に、夫にポカリと麦茶とウイダーをもってきてもらう。この時、まだ麻酔が効いていたのだが陣痛の波がついてきた。2、3分おきに張りの値が100までふれる。これはもしかして今日中に産めるかも?!と夫に笑顔で伝えてバイバイ。
18:00 日勤の担当の看護師さんはあがってしまい、今日は産まれなかったけど今夜の深夜から夜勤だから、産まれる時に会えるかなあ、どうかなあと話していた。明日も促進剤を朝から投与して、産まれなければ陣痛開始から時間が経ち過ぎることになるので帝王切開も考えるとのこと。
夕方からの看護師さんに交代して晩御飯を持ってきてもらう。冷奴だけ食べられそうだったので食べた。

頭痛そしてスピードアップ

19:00 なんだか頭痛がする。痛み止めをもらえないかナースコールをしたところ、マグセントという切迫早産の時に使われる薬を点滴で投与するとのこと。それによって子宮口がまた閉じてしまうかもしれないこととポカポカして動悸がするという副作用があるがどうするかと言われて、それでも投与してもらうことに。
19:30 ポカポカというにはおかしいほど熱いし悪寒がする。たびたびすみません、とナースコールを押して体温計を借りたら38度越え。熱は出ないはずなのに、と言われるが寒気が止まらず熱はまだまだ上がりそうな気配。同時に陣痛がだんだんひどくなってくる。そして冷奴をリバース。また出るものもなくなる。
20:00 この頃まで夫とラインができていた。熱が出てつらいと愚痴っていた。今夜は義母が来てくれることになったが、21時くらいにしか来られないとのこと
ここからどんどん熱が上がりながら陣痛が強まっていく。硬膜外麻酔のボタンを押しても押しても全く痛みがひかず意味がない。それでもボタンを連打する。それでもいよいよ我慢ならずナースコールをして、痛い痛いと泣き言を言っていたが明らかに痛がり方が変わってきたので、内診をしてもらったらなんと子宮口全開。ただ、頭がまだ上の方にあるので産まれるまでは時間がかかりそうとのこと。
21:40  旦那さんを呼んでいいですよとのことで、でも話せない程痛いし高熱もあいまって「ねえ来て」くらいだけ言ってほぼワンギリして呼んだ。電話後すぐに陣痛室から分娩室に運ばれる。

いよいよ

22:10 夫登場も、高熱と痛みでそれどころではなさすぎて「ああ」くらいのリアクション。ポカリ飲ませて、と言った時にストロー付きキャップのありかが分からなかった夫がそのまま飲ませようとしてわたしの胸元にポカリをこぼしたときはブチギレそうになった。すまん。上の子の時はコロナ禍真っ最中だったので、立ち合いも面会もNGだったため今回が初の立ち合い。何もできないなら立ち合い不要と言う人もいるかもしれないが、やはりいてくれた方が安心する。そして立ち合って無力さを感じて、出産の大変さを理解してほしい。
陣痛であらん限りの泣き言を叫んでいた。「やっぱ産むの無理やめる」「帝王切開にして」「死にそう」「うんち出る」全部言った。すみませんでした。陣痛のたびにぎゃーぎゃー叫んだ。入院中よく分娩室から聞こえていた叫びを自分がやっているなあというメタな視点も痛くない時にやってきた。わたしが「もう無理うんち出る!!」と謎のキレをかましてるとき、分娩時担当してくださった先生は明らかにマスクの下でニヤついていた。いやこれは確かに笑わない方が無理。
陣痛の波が来るたびに痛みを逃そうと脚を突っ張ってしまったのだが、それはよくないらしく「膝伸ばさないで!足開いておしりは下につけたまんまで!」と助産師さんに言われるが、毎度脚をどうしても突っ張って伸ばしてしまう。そんな私の足元に研修医の人が突っ立っていて、思わず「ちゃんと私の膝持って押さえててください!」とキレる。またもやすみません。でもせっかくお産に立ち合っているのならお産に参加してください。

どんどん短くなる陣痛の間隔と増す痛みと高熱で朦朧としていたが、その時メインで分娩介助をしてくださっていた助産師さんとは別の助産師さんが「落ち着いて!◯◯さん(分娩介助をしてくださっている助産師さん)の言う通りにしたら必ず産めるから!大丈夫だから!!!」と言ってくださり、その言葉にハッとして、全部その助産師さんの言う通りに呼吸といきみを繰り返したら、脚の突っ張りをなんとか抑えられ、「そう!その調子!」と褒められるようになってきた。助産師さんに陣痛の間で赤ちゃんの名前などを聞かれる。朦朧とした中でなんとか返答する。罵詈雑言を放つだけではなくて会話ができるようになっている。夫にはずっと陣痛が来るたびに腰を下から押してもらっている。
23:00それを繰り返していたら、「はいもう頭見えてるよ!次か次の次で赤ちゃんに会えるからねー!」と言われて驚く。そして、次の次まではもう待てない、絶対次で出してやるというPK決める気持ちになる。

23:03 「はい出たよ!もういきまないで!」と言われてずるりと誕生。でも臍の緒が首に巻き付いていて泣かなかった。「え、泣かない」と私が言うとすぐに助産師さんが「大丈夫!なくよ!」と言ってくれて、その瞬間に高い声で泣き出した。上の子の泣き声は「ゲロゲロ!」というカエルの鳴き声だったのに、この子は「おぎゃー!」のような典型的な泣き声で、あれ泣き声が全然違う!というのが第一印象。そして見せてもらえたのが、むくみが少なくシュッとした産後3日目の上の子そっくりの一回り小さいバージョン。「うそ!そっくり!!!かわいい!!!!」と夫とびっくり。冷静になると夫到着から1時間しないくらいで産まれたのだが、痛みと高熱で永遠のように感じられた1時間だった。

産後の陣痛級の痛み

あーやっと産めた、という余韻に浸れないほど、お腹が痛い。今しがた産んだはずなのに、陣痛時のマックスくらい痛い。夫が色々話しかけてきてくれてるが「ごめん今それどころじゃない」と打ち切ったくらい痛い。すると分娩に立ち会ってくれた先生が、他の先生を呼んで何やら話しており、その後私の隣に来て「胎盤が剥がれた後の出血が多いです。だから止血のためのバルーンを入れますね。貧血の値とこれからの出血量によっては輸血も考えられます」との説明。陣痛のようなものすごい痛みは、子宮の内側に片手を突っ込んでさらにお腹の上からももう片手で押して挟むという圧迫止血をおこなっていたからだった。今考えるとゾッとする止血方法だし、それは痛くて当然だ。カンガルーケアも後回しで、バルーンをいれて水を注入された。

あとで分かったことだが、経膣分娩での出血多量の基準は500ml以上の出血の場合だそうだが、私は1400ml以上の出血だった。ちなみに人間の血液は5000ml程で、怪我をした際1000ml以上の出血は命にかかわるそうだ。その時はすごく冷静に言われたが、翌日バルーンを抜去する時も10人以上のスタッフに囲まれて慎重に抜いたので、やはり大事だったのだろう。鉄剤の点滴を打ったり錠剤を飲んでもしばらく顔面蒼白だったし、産後3日目は血の塊が出て貧血で倒れるしで大変だった。
またこれもあとで分かったことだが、高熱が出たのはマグセントのせいではなく、感染症が起きていて、ステージ2の絨毛膜羊膜炎、ステージ3の臍帯炎になっていたそうだ。何の後遺症もなくてよかった。
会陰切開をした覚えがなく、聞いてみたら「切ってないですが裂けてますね!2、3針縫いますよ〜」と言われてサクサク縫ってもらったが、何をされてるかあまり分からないくらい痛くなかった。それくらい止血の方が痛かった。ついでにいつ裂けたのかも当然記憶にないくらい、陣痛がはちゃめちゃに痛かった。
バルーンを入れ終わり落ち着いた時に、全身を拭いてもらって綺麗になった赤子をカンガルーケア。赤子はホクホクに熱くて私もまだ高熱があって、2人してアツアツすぎて大丈夫か心配だったが赤子は産まれた直後からとっても可愛かった。上の子はもっとガッツみがあったが、下の子はシュッとしていて早速写真映りも良かった。37週だが小さすぎず、エコーでの推定2,600gを上回った2,900g超えで一安心。
カンガルーケアをし、入院のスケジュールなどの説明を聞いて、貧血の値も輸血不要と分かり、夫は帰宅、私は約2日振りに一般病棟に戻ることに。ちなみに出血が落ち着いた後すぐにその場にいた皆様に罵詈雑言の謝罪。ミキティとなっちゃんがやってるテレビ番組『夫が寝た後に』でも、「産後の医療スタッフの皆様への謝罪まで含めてが一通りのお産」というフレーズがあって、まさしくその通りであった。

振り返ると

そんなこんなで、前期破水、分娩時間36時間越え、出血量1400ml越えの大量出血、急変してエコノミークラス症候群疑惑になった難産だった。経産婦は分娩時間が早いというセオリーを覆し、第一子の19時間40分を大幅に超えてきた。4ヶ月近くの妊娠中の入院だけでも大変だったのに、出産もどえらく大変だった。しかし、難産だったことと絨毛膜下血腫だったことには相関はなさそうであった。

翌朝もそれ以降も、主治医の先生や入院中ずっとお世話になったたくさんの顔見知りのスタッフの皆様に「産まれたんですね!おめでとうございます!」と祝っていただいてとても嬉しかった。担当の助産師さんは産まれた2時間後くらいに会えて、分娩台で寝ていたけど会いに来てくれた時思わずハイタッチした。長らくお世話になった分感慨もひとしおで、退院する時赤子を抱っこしてナースステーションに挨拶をした時、ちょっと泣いた。
余談だが、そんな瀕死のボロボロの産後の朝、看護師さんに服薬確認をされた時に「ロキソニンとカロナールの二刀流です」とボケて滑った。死にかけててもボケないと気が済まない自分の芸人根性に我ながら驚き呆れた。

毎日毎日「まだ産まれてこないでね、お腹の中で大きくなってね」と祈りながら指折り数えて過ごし、胎動が少なく気になって眠れなかった日、早産のリスクに怯えても泣く場所も相手もおらず4人部屋のカーテンの内側でこっそり泣いて、大部屋でもだんだん夜も昼間も眠れるようになり、妊娠週数を更新した日はおめでとうと夫と電話でお祝いし、大きいお腹で短い時間のシャワーの持ち時間と格闘し、3周くらいして献立のサイクルや全てのおかずの味までわかるまでになった病院食や、週に一度の面会を心待ちにしていた日々のことは生涯忘れない。
今我が子は元気に産まれて生後100日を超えて、お家ですやすや一緒に眠っていることは奇跡だ。そろそろ生後4ヶ月で、そしてようやく入院期間よりもこの子が産まれてきて外の世界で一緒に過ごしてきた期間の方が長くなる。しかしそんな長くお腹の子を想い続ける入院期間を過ごしたものだから、生後4ヶ月よりもずーっと長く一緒にいる気がする。いや、本当に一緒にいたんだよね。
血腫は消えず最後まであったけど、懸念されていた早産や羊水過少や胎盤早期剥離にはならず、32週での前期破水も持ち堪え、37週3日の出産となりました。赤ちゃんも私も何度も命を助けてもらい、奇跡的に母子共に無事で帰宅できました。3歳の我が子もワンオペで家を支えてくれた夫もみんなよく頑張った、忘れられない4ヶ月間でした。
今回大変お世話になった医療機関の皆様、本当にありがとうございました。本当にお産は母子共に命懸けだよ。そんな命懸けなのに、何度も自分も死にかけたのに、赤ちゃんを見ると可愛すぎて、無限に赤ちゃんを産み育てたくなる不思議。そこまで理性を吹き飛ばしてしまう赤子の可愛さが怖い(まんじゅうこわい的な意味で)。

こんなに長いレポを最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。同じ診断で心配な方に、出血を繰り返しても医療の力で正期産に元気な赤ちゃんが産めたということが、希望になれば幸いです。同じ診断を受けて不安な思いをされている妊婦の皆様が、無事に元気な赤ちゃんに会えますように。


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