哲学を読んで人生が変わった話①
アタロウです。
1回目は哲学を読むに至るまでの話を書きたいと思います。
大学を期に上京してきた私は、やることもなかったのでひたすらに映画を見る生活を続けました。
1年で150本以上の映画を見たのですが、登場人物に悉く影響を受ける私は「こんなかっこいい人生を自分も送りたい」と思うようになりました。
特に『GATTACA』という映画のイーサン・ホークは半端じゃないほどにカッコよかったです。遺伝子的に優秀なガールフレンドに対して、劣等遺伝子を持つイーサンが言った台詞は、今思い出してこの記事を書いている時でも涙が出てきます。
君は自分の悪いところばかりを見ている。いいところはいっぱいあるのに。
イーサン・ホーク
クーー。しびれます。かっこいい。男惚れします。
アトピーを持ちで肌が汚いという若きアタロウの悩みに響いたのだと思います。
この映画を機に私は登場人物が語る台詞一つ一つに感情が移入するようになりました。
するとこれまでただの娯楽として見てきた映画が突如としてメッセージを発しているように感じられるようになりました。
さらには映画だけではなくて、歌や小説や詩、ダンスなどへの見え方も変わりました。
以前の私は「よくこんなカッコつけた歌が歌えるな」「どうせ万人ウケするような台詞を考えたんだろ」と思っていたのですが、どうも違うようなのです。
どうやら制作者が本当に心から思っている、本当に伝えたいメッセージを台詞や歌詞にのせて発信しているようなのです。
「斜に構えているだけだ」と思っていた私は、それは斜に構えているということではないことに気がつきました。私はただ何もない、悩みすらも持っていない、ペラッペラの薄人間だったのです。
どんな臭いセリフも書くことができないのです。
人に伝えたいメッセージが一つも無いのです。
厳密に言えばメッセージは無いのではなくて、そのメッセージの根拠や論理が無いのです。
漠然としたメッセージに真剣に考えたことがなかったからです。
この時私は焦りました、が、同時に少し安堵しました。
自分は何のために生きているのかすら自分が分かっていないことに気が付いたからです。
死ぬ前に気がつけて、あーよかった。他の人に遅れはとっているかもしれませんが、それでも、余裕で間に合います。
私は自分は何のために生きているのかを考え始めることにしました。
頭の切り替えと行動へと移すのが早いことは私の強みです。
しかしそんな壮大なことを考えたことがなかったので早々に詰まります。
早々にというのも烏滸がましいほどに一つも考えられませんでした。
問題が難しすぎました。
何のために生きるのなんて、バカな事聞かないでプリーズ 稲葉浩志
これはB'zの『DIVE』という歌の歌詞なのですが、まさにこの状態から進まないのです。
稲葉さんは考えた挙句一周回って、二周目の意味でこの歌詞を書いているのだと思いますが、僕は一周目の意味でこの歌詞に共感したのです。
こういう困った時は高校の数学教師が言っていたこの言葉を思い出します。
「学ぶ」は「真似ぶ」からきている。 数学教師Y
応用は基礎が出来てから。まずはできる人の真似をすることから始めよ。
耳にタコができるほど聞いた言葉ですが、私の人生に本当に役に立っています。
なので生きる意味について考えてきた"偉い人"を探し始めました。
色々と本を読んだり、ネットサーフィンをしていると、今回のお題にとても関係がありそうな名言を見つけました。
人間存在は実存が本質に先立つ。 ジャン=ポール・サルトル
これはどういう意味かと言うと、例えばハサミは「紙を切りたい!」という役割(本質)があって、そのあとにハサミ本体(実存)が作られますが、一方で人間はまずは赤ちゃんとして産まれてしまって(実存)、どういう役割(本質)を持つかは後から決まるものなんだよ、と言うことです。
クーー。しびれます。かっこいい。
私は哲学を読んでみることにしました。
サルトルに男惚れした私の哲学は実存主義と呼ばれる分野から始まります。
以上ありがとうございました。
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