義務ノパイディア

どうもこんにちは、辺屋ハクと申します。

義務人生

今日の増田。
オタク趣味が全て「やりたい」から「やらなきゃ」になった
>「好きだからから「皆に付いていくため」「取り残されないため」になった
>何より、もう気力が無い 一生を捧げられると確信が持てたのに、なんでこうなったの
非常に共感を得られる投稿。
加齢により、こういった状態に陥るオタクはかなり多いだろう。
私も例によってこれになり絶賛義務人生中である。
では一体どうしてこんなことになってしまうのか?
・社会的な期待とプレッシャー
多くの場合、社会的な期待やプレッシャーが私たちの趣味や情熱に影響を及ぼす。仕事、家族、友人からの期待に応えようとするうちに、かつて純粋に楽しんでいた活動が義務や責任に感じられるようになる。この変化は、趣味を追求する時間やエネルギーが限られていることを意識させ、結果として「やらなければならない」という感覚につながる。

・情報過多
インターネットとSNSの普及により、趣味や興味の対象に関する情報が氾濫している。新しいアニメ、ゲーム、技術などが絶えず出現し、それに追いつこうとすると圧倒されがちだ。かつては「好き」だけで追いかけられたものが、「追いかけなければ取り残される」という焦りに変わる。この絶え間ない情報の洪水は、趣味を追求する喜びよりも、追いつくための負担を感じさせる。

・価値観の変化
年齢を重ねるにつれて、私たちの価値観や興味は変化する。若い頃に夢中になった趣味や活動が、年齢を重ねると共に魅力を失うこともある。これは自然な進化であり、新しい興味や情熱を見つける機会でもある。しかし、変化する自分自身を受け入れることは容易ではなく、かつての情熱を追い続けることで、成長しない自分に対するフラストレーションを感じることもある。

・エネルギーと時間の制約
加齢と共に、私たちのエネルギーと時間は限られてくる。仕事、家庭、健康など、優先すべき事項が増えると、趣味に費やす時間は自然と減少する。かつては夜通しゲームをしたり、アニメを見たりすることができたが、今はそういった活動に必要なエネルギーがない。このように、生活の変化は趣味へのアプローチを変え、それが「やらなきゃ」という感覚につながる。

・さらに、社会人になると仕事や家庭の責任が増え、趣味に割く時間が限られてくる。時間の制約の中で、「やりたい」ことを選ぶ余裕がなくなり、「やらなきゃいけない」ことに追われる生活になる。これが趣味を「好きだから」ではなく、「皆に付いていくため」「取り残されないため」にする原因となる。

突然SNSを更新しなくなったりアカウント消す人いるでしょ

あれぼく。
これもひじょ~に共感。
むしろ私は更新しなくなった側なのだが、
自分の思想をただひたすらに垂れ流す、
というのが段々と怖くなってきたのもある。
いや今もやってんじゃんって言われたらそれまでなんですが。
大分歯に衣着せて書いてますからね。
いつどこで晒されるかたまったもんじゃないので。
あとSNSやってる場合じゃなくない?と冷静になってしまうのと、
愚痴としょうもない馴れ合いしかしなくなってやっててもあんまりおもんないなと感じてきてしまうのも原因の一つ。
SNSのやりすぎで普通の会話が疎かになったのだが、
別に辞めたところでリアル生活は改善しない。

人間らしさってなにさ

内容をみる限り明らかに老化。
操り人形化して人間らしさを失うインターネッツ増田は多そう。
感情を摩耗することが人間らしさと言うならば、
今の世は人間らしい人間はぶったたかれるのが基本になるのが怖い。

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