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在独15年を過ぎて…

私が初めてドイツに来たのがフライブルクというフランス、スイス国境に程近い街で、語学勉強のための1ヶ月強、2003年のドイツマルクからユーロに通貨が変わってまもない頃だった。
それから日本で大学を卒業、東京へ就職し、慌ただしさの中、
今度は海外に「住んでみたい」
という想いがあふれた。
仕事はとにかくバタバタ、新卒で入った小さなインテリア事務所ではカツカツの給料。しかも東京に住んでいたものだから何でも大体高い。貯金もなく、語学なんてまたゼロに戻った段階でのチャレンジは「AuーPair(住み込みのベビーシッター)」という海外留学の制度だった。
一年のビザなのでとにかく一年と思い、フランクフルト近郊に縁がありそこへ出向く。
が、一年経ってもなかなか言語が伸びない。そしてこの時日本に帰るのもドイツでこれをしてきた!と胸を張って言えるものがなかったため、もう少し、もう少し、と色々なビザを駆使して3年半ほど、ちょうど東北大震災の起こるちょっと前に日本に帰ることをほぼ決めていた。
しかし、この後のご縁も不思議で友人から後釜を探しているから、と流れるように日系の会社へ就職。
そして異動。北ドイツへ引っ越すことになった。
恋愛のいざこざなどなどもあって、その場所から離れることは私の中では自然で、
引っ越す直前に、フランクフルトの某地下鉄駅で久しぶりに偶然あった知人の知人に
「絶対幸せになるよ!!!」
と言ってくださったことを思い出す。そのかたとは数回しか会ったことがなくほとんど私のことなど話したことがないのに不思議だった。

北ドイツのまたハンブルクよりも以北のその都市はまた不思議な都市で、
南ドイツのような可愛らしさ、や、私の好きなドイツ、の感じではなかった。
シェアアパートに何ヶ月か住み、不思議な人たちとの共同生活もあり、(だいたいおじさん)私は私で朝から晩まで仕事だったので寝るためだけの部屋、みたいなものでもあった。

その仕事場でドイツ人同僚にある時、誕生日会に呼ばれる。
それが夫との出会いのきっかけだった。
隣に座っていたのに全く話さず、でも始終ニコニコしていて感じは悪くなかった。
のに、同僚同士で何人かと写真を撮ったらその人も何気にしっかりカメラ目線でにっこり笑って写っている。家に帰って、だれ?となった。
その後にまた同じ同僚が彼女と遊園地行くから行く?と誘われ、その時はまあドイツの遊園地行ったことないしな、と行ってみたまで、のつもりが…なんと夫が来ていて、勝手にダブルデートみたいになってしまったのだ。
その後に連絡先を交換して、それからそれから付き合うまでにはそんなに時間はかかっていなかったかもしれない。

この間に、独学で心理学や成功法則のようなもの、自己啓発etc…
いろいろなものをひっそりとやっていたことも。
それからあまりにストレスがひどかったこともあってか、夜はひたすらAmebaピグという仮想世界で遊んでいたこともあった。それからYouTubeでお笑いをひたすら見るなどなど。。。(→そりゃあドイツ語伸びない(泣笑)

夫に出会って、また世界が広がった。
一緒に旅行することは本当に毎回楽しみで、楽しくて、色々な都市を回った。
私の誕生日旅行でポルトガル旅行に行った時は、私が逆プロポーズしたりして。

ずっと夢だった大好きな人と自分の家族をつくる夢はどんどん叶っていった。
こどもたちを授かり、また新たな課題や関係性の変化、現場の渦中にいると多少発狂することもある、が、やはり幸せの中にいるのは事実、私の夢だったのだから。

仕事はパンデミックと育休産休と挟んで若干混沌とした中に自主退社という流れにはなった。
でも、あのままだったら私はずっと、目的も目標もなく仕事をしていただろう。
そしてただただ、文句を言い続ける…そんな悲しい現実はもういいかな。

今個人事業のことやら別事業のことでとにかく学びを最優先で過ごしている。
まだまだ自分の動けていることは少ないけれども、自分が本当にどうしたいか、誰のために、という問いかけ。
私は私の家族が大事で、関わってくれる友人、知人たちも本当に大事な仲間だ。
夫も、そういうところには共感してくれる人で改めてこの人と出会った核心はこういうところにあるなあと思う。

このnoteに書き留めていくことも、行動であり、新たな出会いや、人の助けになることもあるのではと願っている。なんせ、貯金ゼロ、語学ゼロ、人脈ゼロで、ドイツに住んでしまおうと来てしまった私だ。

これからもドイツの魅力と私の考え方と作品とを発信していこう、
そう思った2023年。豊かになる2023年をコミットしている。





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