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私は仏

ごきげんよう

四季が対立した場合、圧倒的に夏の味方をします、ちゃんです。
理由は、クーラーが気持ちいいからです。
冬の暖房でもいいじゃないかって?
全然違うじゃないですか、思い出してくださいよ。汗がぽたぽた落ちる夏の暑い日に、クーラーがガンガンに効いた店に入った一瞬を。
あの爽快感は、夏ならではだよ。
異論は認めるから、私の意見もちょっとだけ認めてくれ。

さて、今回の絵のテーマは「男らしさ女らしさ、うるさいよ。自分らしさを追い求めればいいじゃないか」である。

ジェンダーに関する講義を受けたとき、先生の授業テーマに対してモヤモヤを抱く自分がいた。

なぜカテゴライズするのか。

ジェンダーだけじゃない。
ゆとり世代は、最近の若者は、高齢者は、元運動部はって全部うるさいよね。勝手にカテゴライズすんなよって言いたくなる。そんなもので語れることは、なにもないよ。楽しい話題として出すのはいいと思うけど、大真面目にあたかも正論のように偉そうに言う人いるよね。勘違いも甚だしい。

目の前のあなたに、愛と情を持って接する。
それができれば、いいんだよ。
理不尽なことはたくさんあるかもしれない。
でも、全員に優しい決まりを作ることはできないと思う。だからこそ、臨機応変に1人1人違った方法で寄り添わなければいけない。

カテゴライズすればするほど、窮屈になるし、個性が排除され、孤独が生まれる。みんな違うと理解することで、最後に一体感が生まれるんじゃないかな。

「個性」を求めるフリして「普通」が生き残る世に、自分は「普通」だからつまらないと自信を失う人がいる。ばかばかしいよ。

「協調性」と「個性」に揺れているようで、それらは対立するのではなく共存できるんだ。

それは「認める」ということ。

自分を認めて、他人も認める。それができれば、畑の野菜のように、みんなのびのびと育つことができるんだ。

誰かが「他人を敵ではなく、協力者だと思え」と言っていたなぁ。誰もがジブリの登場人物みたいな人間になれるわけない。自分を傷つける人もいるし、傷つけてしまう自分もいる。みんな頑張ってガードしてる。

人に求めるのであれば、まず自分が変われと。そんなことわかってる。難しいよね、無防備で人と接するのって。

どうすればええねんと考えた。そして、1つ解決方法をみつけた。

名付けて「私は仏」方式だ!!

とにかく何を言われようと「そうかそうか」と受けとめる。本当はこう思ってるけど言い方がわからないのだな、よしよし大丈夫だよ、と。
ストレスが溜まっているのならしょうがない、すべて吐き出せばよいのだよ、と。
どんなことを言われても、私は仏だと言いきかし、相手を手なずけるのである。正しく言えば、相手を手のひらで転がしているような気分で、心に余裕を持つのだ。

同じ目線に立って傷つく必要はないんだよ。少し離れてフフフと笑っていてばいい。
とにかくムキになるんじゃないよ。

人と接することは、力を貰いながらどこかで消費している。世界中には、まだ出会っていない人がたっくさんいる。人間なんて信じられない、なんて根拠無しのカテゴライズはやめよう。合わない人とはちゃっちゃと別れを告げて、新たな出会いを迎えようね。マッチする人に出会うことができたら、大切にしよう。

自分自分と守るよりも、案外他人を思いやることに徹した方が、楽だったりもするよ~。
しんどい時は、一旦辛い自分から幽体離脱しよう。心地いいときに自分に帰ってくればいいんだ。

どうか皆さまが、肩に力を入れて息詰まらず、
のら~りくら~りと生きていけますように。

幸せな人生なんて送らなくたっていい。ただ笑う時間が過ごせればいい。

またね。

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