謎翻訳コラム-Enthralled=夢中になって?
筆者がよくプレイしているStonehearthというゲームに、"Enthralled"という状態異常(デバフ)が存在する。このデバフは、吸血鬼に噛まれた傷が悪化し、ゾンビのような姿に変貌してしまった状態のことだ。
この状態および"Enthralled"という字面から、自分の中ではこのデバフに「眷属化」のようなイメージを持っていた。ところが後日、日本語訳版を確認したところ、この言葉には「夢中になって」という訳が当たっていたのだ……
今回はなぜこんな謎訳が生まれてしまったのか探っていく。
なおこの記事には訳者に対する非難や糾弾その他の意思は一切なく、ただ自分が調査した内容とその感想を短く述べただけのものであることをここで断っておく。
Enthralledの辞書的意味
デバフの実際の状態と、「夢中になって」という名前。両者のイメージは160度くらい違う。よってこれは単純な誤訳ではないとまず直感した。一単語で誤訳っていうのも違うと思うしさそこでまずシンプルに"Enthralled"をそのまま英和辞書で引いてみると、なぜ「その訳が生まれたか」という疑問についてはすぐに解消した。
これは一番上にあった対訳だが、他の辞書を見てもポジティブなイメージの言葉が並んでいる。つまり"Enthralled"は単体だと「魅了された」「心奪われた」などのポジティブな単語だと解釈されているのだ。
ちなみにDeepLに翻訳させた結果も「うっとり」「夢中」など、似たような結果になった。
これを踏まえると、冒頭の謎訳が生まれるのもごく自然なことだと思われる。
Enthralledの組成
次の疑問は、"enthralled"という単語に対する自分のイメージと辞書的意味になぜそんな乖離があったのかということだ。
そこで少し語学的なアプローチでこの単語を見ていこう。
"enthralled"という単語は大きく3つの部分から成る。
en-thrall-ed
^ ^ ^
2 1 3
①まず"thrall"という単語が核にあり、
②接頭辞"en-"が付くことで「~にする」という意味の動詞になり、
③"-ed"が付いて過去分詞すなわち受動態になる。
自分のイメージでは、
①"thrall"=「奴隷」と解釈しており、
②"en-"がついて"enthrall"=「奴隷にする」という動詞になり、
③受動態になって"enthralled"=「奴隷にされた」という意味になる。
そこにゲーム内の状況をあてはめて、「吸血鬼に操られるってことは眷属化ってことだよね」と解釈していたのだ。
というわけで"thrall"や"enthrall"に乖離の理由があるのではないかと思い、この方向性で調査する。
thrall
英英辞書で見ると、"thrall"の意味は次の通り。
抄訳
1.奴隷にされていたりマインドコントロールを受けている人。
2.誰かの支配下に置かれている状態。
3.棚。
3.は正直よく分からないが、上2つから判断して概ね「奴隷」という意味を持つ単語と解釈していいはずだ。語源を読んでも古期英語では"slave"(これも奴隷)と同じだったようなことが書いてある。
つまり、この時点では自分のイメージと辞書のイメージが一致しているようだな。次は"enthrall"だ。
enthrall
再び英英辞書。
抄訳
1.魅惑する
2.(まれ)服属させる
ここだ!
"thrall"は確かに奴隷という意味だったが、"enthrall"になると「魅了して虜にする」という意味が先に立つようだ。
まあ……日本語でも「虜」が確かにそんな感じの単語だしな……
一応、"enthrall"にも服属させる、すなわち「奴隷にする」の意味は残っているようだが、"now rare"=現代ではまれとハッキリと書かれてしまっている。たしかにその意味だと普通は"enslave"のほうが使われる。
つまるところ、"enthrall"には「奴隷化」の意味がほぼ失われているため、その過去分詞たる"Enthralled"も同様になり、辞書には「魅了する」「虜にする」の意味しか残っていない、というのが真相のようだ。
まとめ
筆者は"Thrall"=「スラル」という言葉をKenshiというゲームで知った。Kenshiにおけるスラルとは、ざっくり言うとスケルトンと呼ばれる人型ロボットの頭部を切除し、自我を失くして主に従わせるようにしたものだ。早い話が奴隷ロボットということである。
そういうわけで筆者は"thrall"という言葉を「奴隷」と解釈する(これは奇跡的に合ってた)とともにあまり良いイメージは持たなかった。そして派生語となる"enthrall"などにも同様のことが起こる。なるほど、ここで辞書の意味と自分の中のイメージの乖離が発生したのだ!
それを受けての冒頭のStonehearthである。
今回ゲームではたまたま"Enthralled"がネガティブなイメージで使われ、自分のイメージとも合致していたため「誤訳っぽいな」などと言えたのだが、逆に辞書通りにポジティブなイメージで使われていたら多分こっちが恥をかいていたのだろう。
今回の件は結局、筆者が"Enthralled"の辞書的意味を知らなかったところに原因がある。というか辞書で"thrall"他この記事で出した単語を引いたのは今回が初めてだったりする。お前翻訳MODとか出してるけど大丈夫か?
※ちなみに元の語と派生語の意味が引っくり返るのはそんなに珍しいことでもなく、有名どころだと"terror"に対する"terrific"なんかがそのパターン。
知っているつもりの単語でも、一度は辞書を引いておくと新しい発見があるもんだよ!という至極月並な結論で本記事を終わりとしたい。
※なお英語に限らん模様。
というか、辞書を引かずに分かった気になるのはむしろ母語でこそ起こりやすい事象である。
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