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京都旅行

5/9と5/10、京都旅行に行っていた。同行者が1人、ともに行き現地解散、それぞれの会いたいひとに会う、という感じだった。

目的と行き

もう5年以上前の話になる。そのときわたしは初めて東京の同人誌即売会に出た。東京でサークル出店するのは初めてだからと電子パンフやpixivで他のサークルのお品書きを見て、買い物に行くサークルがないか調べた。そこでこれは絶対に手に入れておきたい!というお品書きをあげているサークルに出会った。
自サークルも落ち着いてきたとき、そのサークルに真っすぐ行って本を買った。書き手とお話もした。そうして、やっぱりあの本も買うべきだっただろうか、と悩んで1周し、もう1回そこのサークルの買ってない本を買った。
ホテルですべて読んで、画面づくり、イラスト、言葉たち、その全てが好みで惹かれ、ツイッターをフォローし、奇跡的に相互になり、多分その日のうちか旅行から帰ってDMに長文の感想を送った。
それで、その人と縁がずっと続いていて、この2.3年のうちに通話もするようになって、「会えるといいね」という話になっていた。そうして去年からのんびりと計画を立てて、京都で落ち合うこととなった。それが今回の旅行である。

大分から小倉、小倉から新幹線で京都。
そもそも電車に乗るのが体感初めてに近いので楽しかった。小倉まで1800円で行けることがわかり、「映画と同じ料金で行ける」ことがわかったのも大きかった。映画を旅と思ったことはなかったけれど、なんだ、どうやら映画は一番手軽な移動方法だったらしい。
大分から小倉までは殆ど外を見ていて、小倉からは家族が窓際に座ったので3冊本を読了した。どうして外にいるときに限って本を読むのって進むんだろう。本を読むために旅に出るのもいいかもしれない、と思った。
書を持ち、旅に出よう。

京都水族館

そんなこんなで京都である。駅の集合場所で迷ったけれど無事フォロワーさんと会うことができた。
お昼を食べて、1日目の目的である京都水族館に向かった。

京都水族館特にオオサンショウウオとくらげに力を入れている水族館で、10のエリアに分かれていた。
とても綺麗な水族館だった。思えばわたしが生まれた直後、何の心であったのか両親にうみたまごに連れて行ってもらった覚えがある。水族館はわたしの記録というか、節目にとって大事な場所らしかった。
わたしはくらげが好きだ。くらげに全然詳しくないけれど。
計画を立てる通話のときに京都水族館の話になり、行きたいね、と計画に入れた。そのとき「見たい動物とかいますか?」と聞かれたので「くらげが好きなのでくらげが見たいですね〜」と答えたら「ならきっとあたらよさんは喜ぶと思います!具体的にはネタバレになるので言えませんけれど…」と言われたので水族館にもどうやらネタバレってあるらしいな、と思いながら楽しみにしていた。

※以下、くらげの写真を貼るのでくらげが苦手な人、また、くらげに全身を刺されたことがトラウマである人は注意。全身を刺された上でトラウマでない人は大丈夫です。

この解説文を見た時点でもっとくらげが好きになった。



ここに住みたいと思ったスペース

ここに住みたいと思ったスペース。円形の水槽の内側に入ることができ、見渡す限り360°くらげが見える。

くらげとは、漢語で「水母」。漢字で「海月」海の月と書く。他にも色々な書き方があるが、海の月を反射して月のように見えるから「海月」と書くのだとかそういう説がある。
わたしは海が大好きで、海を生命の羊水(羊水と書いて泥と呼んでいる)と呼んでいるけれど、羊水にも月があるのだよな、と思うとそれはうつくしいよね、そういう理由でくらげが好きなのだ。人の羊水に月があるかは、人によると思う。だけれど、海ならある。

結果としてくらげがもっと好きになれた。
ただただうつくしい。この体に謎がある。くらげを研究している人には申し訳ない願いだけれど、明かされないことを願う。そちらのほうがうつくしいからだ。

ちなみに古事記にくらげという表現は本当にすぐ出てきて、古事記の冒頭は『天地初めて發けし時、(あめつちはじめてひらけしとき=世界が始まったとき)』から始まり、「そのとき高天原というところにパートナーのいない3人の神様がいました」という内容からから始まるんですが、そのすぐ後。『次に國稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂える時(わかくうきしあぶらのごとくして、くらげなすただよえるとき)』という文がある。「地面には形がなく、水のように浮かぶ油のような、くらげが漂っているような状態でした」という話。聖書でいう2日目にあたる立ち位置の文章だ。毎回ここの表現ってすごいよなぁ、と思う。大地は水に浮かぶ油のように不確定で、それを「くらげが漂うように」と表現した人間がいることがすごい。逆に言えばこの世界は古事記に倣えば、くらげのような状態だったのだ。嬉しい。

売店でくらげのマグカップとくらげの栞を買った。今度からお茶はこれで淹れよう。栞は……使うかどうかわからなかった。わたしはあまり栞を使わないタイプなので…それでも素敵だな、と思ったら栞を買ってしまう。本に挟むのが仕事の栞を本に挟まないのは、プッチンプリンをプッチンしないみたいな贅沢さと勿体無さを感じる。

古事記にでも挟んでおこうか。

古事記より前にくらげの記述がある本があるか気になったので家にある古史古伝たちをゆるりと漁るのもいいかもしれない。

岩波の古事記とくらげの栞



下鴨神社

2日目は下鴨神社へと向かった。下鴨神社は葵祭のリハーサルというか、立ち位置確認をしていてそれが終わるまで本殿に入れなかったのでしばらく日陰で待っていた。そうすると葵祭保存会の方が声をかけてくださり、葵祭やその裏事情、実は…についてお話してくださってとても貴重な機会となった。

おみくじを引いた。結果は大吉だった。次来るときまで財布に入れておくらしいので、財布に入れた。
あと下鴨神社敷地内には君が代に出てくる「さざれ石」がある。

さざれ石が実在していると知らなかったというか、モデルがあったことを知らななかったので驚いた。良い石でした。

そうして、色々な時間があってお昼に解散した。沢山の良い時間をいただけたと思う。お相手には本当に感謝だ。勿論、ここに書いてあることが旅行の全てではなく、ここに書いていることは旅行の本当に、ほんの一部であり書かれていないあとはわたしたちの時間だ。

京都について

京都はとても良い場所だった。観光地なので人は多いが、ごみごみしてないというか。東京や帰りに寄った大阪は「雑多」な感じがするけれど、人が多いのに静かというか、土地が落ち着いている感じがした。
バスが多く今回の京都観光でも多くバス移動を使用したが、運転手さんが丁寧だった。特に最初に乗ったバスの運転手さんが丁寧で、ここが揺れやすい、とかアナウンスしたり、人が多くてぱんぱんなので一回後ろのドアから出てお支払いをしても良いですよ、とか、支払いお手伝いさせていただいてよろしいですか?とか。信じられないくらい優しかった。
初日の昼に食べたうどん屋さんでは、無料のお茶が美味しかったので支払いのときにお茶の銘柄を聞くとお茶の種類とそれについての雑談を店員さんお二人でしてくださった。
ホテルから出て夕飯を行くとき、ナビがいまいち使えなくて道で悩んでいたら、そこのホテルの方が口頭で道案内をしてくださったり、神社の葵祭保存会の方だってそうだ。
慈しみがある。

京都の人は嫌味が多いとかこれが嫌味だとかネットでバズってる姿も見るが、わたしは全然そういう方には出会わなかった。あのバズはそういう体験をした人たちの「わかる」と知らないけど「そうなんだ」と「そうであって欲しい」が含まれているのだろうな。バズとはそういうものなので……

わたしはとてもうつくしい場所だと思った。神社や歴史も好きだし、人のお心遣いも好きなのでまた行きたいと思えた。京都は良い場所です。


バス停案内表示

あと大体のバス停に画像上のような「バスが今何処を通ってるか」の掲示板があり、これ便利だなぁ、地元だと駅にしかないから全部のバス停に欲しいなぁ………いや、地元にそこまでしてもな………という気持ち。京都だからできることですね…
京都の市バスには「バスの本数を増やせないの?→これでも増やしているけれど運転手が足りない状態です」という張り紙もあり、観光地の大変さを感じた。出会ったバスの方々は素敵な方ばかりだったのでどうにかその方々が楽になれば良い、と願うばかりだ。

旅について

旅をしてわかったことは、「意外とわたしはどこにだって行けるのだ」ということだ。ちょくちょく出している有料記事を見ている方ならわかると思うが、いずれ家を出たいと思っている。
わたしもその心の動きは新鮮で、わたしはわたしの肉体と家を抱えて心中しようと思っていたので、家を出ようと思った時点でかなり変化しているのだが、お金さえあれば、いや、なくても歩けばいい。手段はどこにだってある。どこにだって行けるみたいだ。世界はわりと続いているし、意外と「行ける」。それを知れただけで、かなり大きかった。

旅について後悔はない。本当に満たされた旅だった。


いや、ごめん。1つだけ心残りがある。
夜ご飯を食べて京都駅からホテルへ帰っていたら、京都駅付近のドンキで若者がサイファーをしていたのを見たのだ。

旅人でなければ、めちゃくちゃ参加したかったです。地元のサイファー、アカウントはあるんだけど大昔にアカウントが止まってて…と思ったら新しくアカウントができていたが2023年に更新が止まっている…DMしたらできるんだろうか。とりあえずサイファーを見たい、あわよくば参加してみたい。憧れがあるけどどこでもやっている状況ではないので……サイファーを見かけれてよかったです。

どこかしこにも京都がありました。たくさんのことを知りました。世界のことなんにも知らないよなってこととか。旅行、楽しかったです。
京都という場所よ、本当にありがとうございました。


花譜#60「景色」【オリジナルMV】











一瞬何のどうぶつかわからないペンギンの毛づくろいの写真です

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