人魚の末路

魔法をかけられた人魚は足を引きずってぼろぼろになりながら、激痛を感じながら歩くのだ。

そういう気持ちで新しい生活を生きている。
実際人魚なんていいもの、いきものでは自分はないけれど、まあ、そういう気持ちだ。

ことばって難しいよね、と思う。ことばを知っていても、普段使うかと言われれば微妙なことばばかり知っている気がする。
それは知っていて、それを普段使いできる人たちの前からすれば、何も知らないに等しくて。自分の泳いでいた海ではない世界で立つのは難しい。
上に上がる、と言っただけで不機嫌になる父のことを思い出す。まあ、ここもまた泳ぎにくくはあるな。というか苦手意識はここからだろう、とは思う。

自分の中のルールもことばも自分の中にしかなく、「世間」で生きるためにはそれに適応しなければいけない。それをするのが苦痛でない人間もいれば、痛みに打ちひしがれる人間もいるだろう。

どうやらわたしはそれでも必死に生きようとしているみたいだ。沢山の契約と約束があり、それは自分にとって優しいものから棘のようなものまであるけれど、それがある限り地上で溺れても傷だらけでも生きていくのだろうな。

そういえば人魚姫の結末は人によって分岐する。大きく分けて泡になって消えてしまうパターンと、泡になって消えたあと風の精霊になるパターンがあり、そこから細かい派生がある。受け取った文庫やそして記憶、思い込みによって変わってくるだろう。あとはディズニーの人魚姫(作品名:『リトル・マーメイド』)のイメージが強い人もいるかもしれない。「人それぞれの人魚姫」がある。
これを読んでいる人の人魚姫はどういう結末を迎えたのだろうか。それが今かなり気になる、そういう気分でこれを書いているし、わたしの未来を考えるのであった。


因みに、ハンクリスチャンアンデルセンと本当に関係ないのだけれど、書き手が思い浮かぶ人魚といえばどうしても、どうしても『赤い蝋燭と人魚』の人魚なのでした。だって、人魚はどこにでもいますからね。

青空文庫 小川未明 赤い蝋燭と人魚



関連書籍

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青空文庫 人魚の姫 ハンス・クリスティアン・アンデルセン 矢崎源九郎訳


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