さいきん。

先週末、叔父と最後の別れをしてきた。
生命力の塊のような人だった。ようやく実感が湧いた気がする。
母方の祖母が先に入っているお墓で、叔父が納められるときに久しぶりに姿を見た。
従兄宅の愛猫ちゃんも。一緒に居たんだね。
親族を見送ることは今までも何度かしてきたけど、その度にやっぱ生死について考える。
皆に必要とされていたのに、この人を愛する家族がいたのに、この人はもう居ない。何で旅立つのが私じゃないんだ、はもう止められても自然と出るからしゃーないね。受け入れるしかない自分の言葉。
小学生の頃、お骨の「もう生きていない」というイメージが強烈過ぎて怖くて、父方の祖父のお骨を壺に収めるときに部屋から出てしまったことを、大人になってから後悔するようになった。ちゃんとお別れすればよかった、って。
しばらくお墓参り行けてないな父方…。

変な言い方だけど、ああいうしんみりする場にちびっ子が居ると空気が和らぐから良いなと。明るくしてくれる。"生"側に強く引き込む感じ。無垢は強い。
今まであまり会えてなかった従兄のとこのちび兄弟がわりと構ってくれて嬉しかった~ニコニコなの。かわいい。また会いたい~。
昔はべったりくっついてきた女の子ちゃんにはもう完全に照れられているからちょっと寂しいけど、すぐ対等に話せる日が来るんだろうね。中学生はマセマセになるお決まりなのよ…。

死者への敬いというか、そういうのが若干強いような気がしてる。我ながら。
だからか、と創作作品に対して納得もする。死生観マルダシだもねあれらは。
亡くなったら全てが終わり、と思いたくない節がある。忘れられていくことは怖い。孤独になっていくことと等しいから。
かと言って生き続けることも怖い。ニュアンスは違うけど、生も死も置き去りにされていく孤独がある。と思う。
たぶん「龍の詩」の戒藍皇国の創世主・龍が一番私っぽいかもしれない。人物皆っていうかあの世界まるまる自分をちぎったカケラに骨組み肉付けしたもんなんだけど。
あ~早く話の本筋を描きたい(5億回目

そんなこんなで公私共々なんだかんだバタバタしてたり、その間についったアプリが突然ログアウトしててそのままだったり腕の調子もちょっと危うかったりで浮上してないもののわりと元気。
ちょい今日は寝覚めの悪い夢を見てしまいどうにも気分上がらないけど…まあ梅雨ってのもあるでしょう(乱暴
ほんの少し、なにかほんの一つでも報われたい人生~。久々にin the soupの川を聞いて泣きそうになっちゃったよ~。四国R14すこ。

美酢のお酒(チューハイ?)がおいしくて最近ハマり中。
そして夏の風物詩・チョコミント太りがアップを始めました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?