がんと共に生きる 31 生きること

抗がん剤治療の1クール目なので、1週間後の経過診察へ。血液検査の結果は特に異常なしでした。ゆえ、引き続き、続けていきます。

1歩ずつだなぁ、本当に。仕事をしていると半年間なんてあっという間なのに、病気になってからは、良くも悪くも1日1日がとても長く深く重たく、貴重。

がんになってからは、家族や友人、仕事仲間、色々な方と「生きること」について真剣に話す機会が増えた。私だけではなくまわりの方たちにとっても、一緒に考えるきっかけになっているようだ。もともとキャリアコンサルタントなので、常に人生とは、生き方、働き方、暮らし方・・・がテーマな私でもあるので、特別なことではないのだけれど、ためらいなく周りの方と生老病死について話す機会が増えている。

不老長寿という言葉があるように、やはり人間は老いずに長生きしたいという欲がある。死を知っているからこそ、死への恐れがあるからこそだとは思うけれど。健康寿命という言葉もある。健康なまま、長生きする。それが幸せであるとなんとなくのイメージが保たれている。

そしたら若く、早く亡くなった方は不幸なのか、障害や病気を抱えたまま生きることは不幸なのか、、、、すごくいろんなことを考えるきっかけになっている。なんの制限もなく生きられていて、毎日が幸せで、それが続けばいいなーと思うことは自然なことだと思う。今までのわたしがそうであったように。

では今のわたしは病気になってしまい、少なくともこれから5年間はいろいろ怯えて暮らすことになるが、それが不幸なのかと問われると、少なくともわたしは不幸ではない。万が一、5年以内に命を終えたとしても、たぶんその日まで幸せを味わいながら(意識があればだけれど)、過ごせるのではないかと最近は思っている。

自分にとって、幸せに生きることって何なのか、その基準は自分の中にしかない。家族は、1秒でも長く生きてほしいと私に言うけれど、長く生きることだけが幸せではないことを、どう伝えたらいいのかなぁ。そう思ってからは、今日あった幸せなことをメールして、「今日も素敵な1日であった」と伝えている。少なくとも病気になる前までは、味わえなかったくらいの、周囲からの愛情を感じられているからだ。

前にも書いたけれど、「死にたくない」ことと「生きたい」ことは私にとっては違った色合いなのだ。私は、死にたくないのではなく、生きたいのだ。生きたいのは未来ではなく、「今」なのだ。そう思うと、今日も幸せな1日であることに気づく。

嫌なことだってもちろんあるよ、すべてのことが幸せなわけではない。それでも、今日もご飯が食べられた、今日も好きな人に会えた、今日も幸せだと感じられた、その1つ1つを味わっているのである。

さて、また明日から1歩ずつ。わたしのペースで怖れと向き合い、今、ここにある幸せを味わいたい。

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