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決めつけないことの難しさと大切さ

誰しも自分の価値観、自分なりの理屈、大事にしていること、正しいと握りしめていることがあると私は思っている。それ自体はなんの問題もないし生きてきた自分の人生の中で培われるアイデンティティでもある。

自分の価値観や理屈、正しいと握りしめていることを他者も同じではないと頭のどこかでわかっていつつも、マジョリティだと感じた瞬間に「全てにおいての正解」のような伝え方、受け取り方に変わっていく。

心理学を学ぶ中で、「一般化しない」ということをとても意識する。そしてその人の言葉だけを捉えて判断しないということも学んだ。

常に主語は自分であること。言葉だけではなく言外にこめられた思いや背景、普段の行動、いろいろな側面で人を見ることを私自身は大切にしようと思っている。

「普通はさ」「常識的に」「女性って・・・」「◯◯な人ってさ」とか、そんなんで当てはまるかい!と。昨日読んだ本ではマーケティングでも、昔はF1層とかいう言葉があったが、生活スタイルも含めて、個人ごとに違うのであまりはまらないとおっしゃっていた。そうそう、マスメディアやマス広告では売れない時代になってずいぶん経つよね。

私自身は、四年制大学を落ちた時に、高校の同級生たちの中ではマイノリティな進路選択になった。就活がうまくいかなかったときに、マイノリティになった。なんなから音楽でプロを目指すと言った時にマイノリティになった。

まわりは「失敗」「道から外れた」と思った。私も最初はそう思って落ちこみ引きこもっていたときがある。が、今となったら、それもキャリア。自分の糧となっているので、今はポジティブに語る。が、当時は混沌とした。マイノリティになったのだと。

今ならわかる。マジョリティって作り出された何かであって、個々人みんなマイノリティというか、個々人なんだよね。

正義を振りかざす人、その正義を否定するという正義を振りかざす人、さらにそれを否定して正義を振りかざす人・・・とエンドレスループをネット上で見かけることがある。それを見るたびに、キャリアコンサルタントとして、そうならないように普段からすごく気をつけないとならない職業だと思っている。

私も人間で、自分の価値観、自分なりの理屈、大事にしていること、正しいと握りしめていることがある。そのことを意識し、一度、横に置いて、これはわたし特有のものなのであると、深呼吸して目の前の人にはフレッシュに向き合いたい。

それでもやってしまうことがあるので自戒をこめて。講座で話したりすると「正解」「正論」と思われることが多いので、いつも「ヒント」「コツ」として伝える。実践しながら加工しておくれと。それしか言えないなぁと。

研修講師としては、なかなかだめなのかも知れないが、誰しも絶対うまくいくことなんて教えられないし教える自信もないからさ。

noteに書いてあることもあくまでも私自身の考えであって、誰にでも当てはまることでもなければ何の正解でもない。なるべく「わたしは」とつけるようにしているが時に忘れる。気をつけないとね。あくまでも主語は「私」なのだ。

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